フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
ひとりの人として存在するということ、存在しあうということ。
投稿日:2015/9/30
753 0
Photographer:Ta-na-
Coordinaite:Kaori Sasaki
Coordinaite:Kaori Sasaki
Lifestudio:Yokohama Aoba
人は人との関係を通して初めて「私」を感じる事が出来る。
感じる事が出来た瞬間にこそ、人は「生きている」という事を実感することが出来る。
そう、私は常にLIFE studioという場所で撮影と言う行為を通して感じています。
私には、本当にありがたい事に「また、是非あなたに撮影をしてもらいたい」
そう温かいお言葉を投げかけてくださる大切な人が沢山います。
求められるから行く。求められているから撮影をする。ではありません。
私自身も、まったく同じ事を相手に対して求めています。
求め合うことを許してくれる環境が、このLIFE studioという場所には存在していると考えています。
それは、「従業員」としての自分ではなく「諏訪友理」として「ターナー」として相手の前に存在をする事であり、「お客様」を超えた「かけがえの無い親友家族」または「家族のような大切な存在」として相手に対して向き合うことで生まれる関係性であると言えます。
この概念は、完全に私を変化させた概念であり、「日本の写真文化を変える」という理念を持った上で生まれたLIFE studioというブランドが持つブランドアイデンティティーです。
「従業員」または「店員」そして「お客様」という人と人との関係性に対しての問いかけを行うということは、簡単なようでとても難しいことです。なぜなら、私達は生活をしながら、「常識」と認識している出来事に対して深く考える習慣もなければ環境もあまり多くはないからです。
当たり前な出来事に対して疑問を持たない大きな理由は「そのままの従業員と顧客という関係でも特に何も問題はないから」です。
そんな環境の中で、なかなか変化に気づき、違和感を認め、改善をするという実践を起こすという事は、口で説明をされる印象よりも遥かに難しいことなのです。
ですが、私達は常に「被写体らしさ=自然な美しさ」を引き出すことを選択し、「らしさ」という「美しさ」をカタチを最大限に引き出しカタチに残すための技術を求めています。
これらを表現すること、そして「楽しみの空間」を創造する為には、今までの「常識」に対しての疑いをかけることなく価値を生み出すことは出来ないという「矛盾」という壁にぶち当たります。
なぜなら、私達が生み出したい、そう願っている「らしさ」とは一体何なのか?という問いかけに対して「らしさとは~である」という互いの中の「哲学」なくして表現することは出来ないからです。
「哲学」と聞くと、少し身構えてしまうかもしれません。
ですが、「哲学」とは、互いの「人生観」であると私は考えています。
先ほども少し触れましたが、「今」という瞬間を美しく残すという行為に必要なのは、「美しく残す」為の「知識」と「技術」です。どんなに「美しく残してあげたい!」と強く願っていても美しく残すための撮影の知識や映し出すための技術がなければ相手の要望に応えることは出来ません。
ですが、同時に「知識」や「技術」だけ持ち合わせていたとしても「日本の写真文化」を変える事は出来ません。なぜなら、「撮影者」と「被写体(お客様)」という距離感は本来の姿のまま変わりないからです。
例えば、市役所やとある全国的に展開をしているチェーン店などで、このような回答をされたことはないでしょうか。「申し訳ございませんが、そういう決まりですので出来ません」。
このような対応に対して「決まりであれば仕方がない」と納得せざる得ない状況であることは頭では理解出来るものの、心の中に「そこをなんとか出来ないのかな?」と、なんともやるせない気持ちになった経験。
どう処理すればいいのかわからない気持ち。処理という言葉はあまり適していないのかもれません。
行き場のない感情、つまり「誰にも受け入れてもらえなかった自身の感情と想い」だけがふわふわと残り、その感情を「決まり」に従い、押し殺すことしか出来ないのが現状です。
確かに、丁寧できちんとしている対応かもしれない。けど、誰が相手でも変わらない対応。
相手がどんな被写体であり、相手がどんな人格を持った人であったとしても、決まった手順で撮影を行い、決まった声掛けをすること、つまりそれは「自分の中の決まった型」に当てはめて、常に毎日同じ形のクッキーをくりぬいているかのような印象を与えることであり、「私として認識してくれようとしてくれない」という相手に対して孤独感を与えている作業ではないでしょうか。被写体からしてみたら、かつての成人式の撮影のときに私自身も感じた「カメラマンさんは何を感じてこの指示を出しているのだろう?」という疑問すらなく、日常化されている光景に対して、そうだ、と受け入れつつも心のどこかで「寂しさ」を感じていた私という感情です。
こうした、役割やルール、表面的なコミュニケーションの形式を楯にして自分自身の実感や居場所を明かさない人との間に生まれる人間関係から果たして何を生み出すことが出来るのだろうか?
これらの問いかけは、私が常に自身に対して問いかけている「命題」です。
この命題に対しての「これだ」という答えを今もまだ、たどり着けていません。
確かに、共に過ごしている撮影時間内だけ関係を作るだけでも十分だという声もあるかもしれません。それも決して間違いではありません。ですが、LIFE studioでいう「日本の写真文化を変える」という「文化を変える」の部分を理解し、それをミッションとして考えるのであれば、今まで当たり前だと感じていた時間の流れ方に対して、違和感を感じ、条件を変えるという選択が必要です。
「人に深く入ること」は、相手を自分の決められたままの型に当てはめることではなく、深く入ることで自分の中にあった「こう撮影すればいいだろう」という固定概念という型を壊す必要が毎回あります。
何が好きで、何を求めてここにいて、何を今感じていて、何に対して反応し、何に対して笑うのか、何に対して関心を示して、どの方法で自分を表現してくれるのか。
限られた撮影時間内で相手の全てを理解しようということは確かに難しいことかもしれません。
なぜなら、「あなたはどんな人ですか?」という問いかけに対して「私は~です」と答えることが出来る人は少数だからです。(私自身も現在模索段階です・・・)
だからこそ、撮影という方法を用いて私達はお互いを少しずつ感じあいながら自分を知って行くのです。
相手は「自分を理解してくれようとしてくれる姿」にまずは心を開くのではないでしょうか。
撮影中にそのような「相手に対して問いかけをすることが出来る人」とは、どんな人なのでしょうか?
恐らく「人に深く入る」と同時に「自分の中にも深く入れる人」ではないでしょうか。
だからこそ、ライフスタジオでは「自分とは何か?」という問いかけを最も続けているのです。
自分が生きていること、を改めて思い出すような瞬間に喜びを互いに感じあえるのだとしたら。
心が眠っているような状態や、生きているんだか死んでいるんだかわからないような状態ではなく、人が「より生きている」と感じる瞬間を生み出すことを思い出すために働きかけることが「いい仕事」なのではないでしょうか。
この写真も、私一人では決して生まれることはない1枚です。
一緒に時間と空間をコーディネートしてくれる仲間と、撮影した写真を使って毎年パパはプロモーションビデオを作製し、ママはスクラップブッキングを作製したものを見せてくれた上で「毎年、本当にライフスタジオに来ることが楽しみで仕方が無い」と「娘の成長を残すこと、共に思い出を作ること」を本当に大切に考えていると伝えてくださったパパとママのお話や姿、そして本当はパパとママのことが大好きなんだけど、成長と共に少しずつ「大好きだ」と相手に素直に伝えるという事に対して恥ずかしがっていたMちゃんの姿と言葉を聞いた上で提案をさせてもらった1枚です。
パパの事が大好きなMちゃん。だから、時々ママとパパの取り合いになります(笑
)この写真はそんな恥ずかしがりやなMちゃんの笑顔を引き出したいと考えママがその場にいない瞬間に撮影をしました。
「こう提案して見たい。表現して見たい。」
そう思わせてくれるには、自分以外の「相手」の存在が必要なのです。
互いの「大切なもの」を見せ合うこと、伝え合うことで共に作り上げられる物語こそ、LIFE studioでの撮影の醍醐味であり、ブランドアイデンティティーそのものであると思うのです。
また、お会いできますように(^^)素敵な時間と、温かいお言葉をありがとうございました。
人は人との関係を通して初めて「私」を感じる事が出来る。
感じる事が出来た瞬間にこそ、人は「生きている」という事を実感することが出来る。
そう、私は常にLIFE studioという場所で撮影と言う行為を通して感じています。
私には、本当にありがたい事に「また、是非あなたに撮影をしてもらいたい」
そう温かいお言葉を投げかけてくださる大切な人が沢山います。
求められるから行く。求められているから撮影をする。ではありません。
私自身も、まったく同じ事を相手に対して求めています。
求め合うことを許してくれる環境が、このLIFE studioという場所には存在していると考えています。
それは、「従業員」としての自分ではなく「諏訪友理」として「ターナー」として相手の前に存在をする事であり、「お客様」を超えた「かけがえの無い親友家族」または「家族のような大切な存在」として相手に対して向き合うことで生まれる関係性であると言えます。
この概念は、完全に私を変化させた概念であり、「日本の写真文化を変える」という理念を持った上で生まれたLIFE studioというブランドが持つブランドアイデンティティーです。
「従業員」または「店員」そして「お客様」という人と人との関係性に対しての問いかけを行うということは、簡単なようでとても難しいことです。なぜなら、私達は生活をしながら、「常識」と認識している出来事に対して深く考える習慣もなければ環境もあまり多くはないからです。
当たり前な出来事に対して疑問を持たない大きな理由は「そのままの従業員と顧客という関係でも特に何も問題はないから」です。
そんな環境の中で、なかなか変化に気づき、違和感を認め、改善をするという実践を起こすという事は、口で説明をされる印象よりも遥かに難しいことなのです。
ですが、私達は常に「被写体らしさ=自然な美しさ」を引き出すことを選択し、「らしさ」という「美しさ」をカタチを最大限に引き出しカタチに残すための技術を求めています。
これらを表現すること、そして「楽しみの空間」を創造する為には、今までの「常識」に対しての疑いをかけることなく価値を生み出すことは出来ないという「矛盾」という壁にぶち当たります。
なぜなら、私達が生み出したい、そう願っている「らしさ」とは一体何なのか?という問いかけに対して「らしさとは~である」という互いの中の「哲学」なくして表現することは出来ないからです。
「哲学」と聞くと、少し身構えてしまうかもしれません。
ですが、「哲学」とは、互いの「人生観」であると私は考えています。
先ほども少し触れましたが、「今」という瞬間を美しく残すという行為に必要なのは、「美しく残す」為の「知識」と「技術」です。どんなに「美しく残してあげたい!」と強く願っていても美しく残すための撮影の知識や映し出すための技術がなければ相手の要望に応えることは出来ません。
ですが、同時に「知識」や「技術」だけ持ち合わせていたとしても「日本の写真文化」を変える事は出来ません。なぜなら、「撮影者」と「被写体(お客様)」という距離感は本来の姿のまま変わりないからです。
例えば、市役所やとある全国的に展開をしているチェーン店などで、このような回答をされたことはないでしょうか。「申し訳ございませんが、そういう決まりですので出来ません」。
このような対応に対して「決まりであれば仕方がない」と納得せざる得ない状況であることは頭では理解出来るものの、心の中に「そこをなんとか出来ないのかな?」と、なんともやるせない気持ちになった経験。
どう処理すればいいのかわからない気持ち。処理という言葉はあまり適していないのかもれません。
行き場のない感情、つまり「誰にも受け入れてもらえなかった自身の感情と想い」だけがふわふわと残り、その感情を「決まり」に従い、押し殺すことしか出来ないのが現状です。
確かに、丁寧できちんとしている対応かもしれない。けど、誰が相手でも変わらない対応。
相手がどんな被写体であり、相手がどんな人格を持った人であったとしても、決まった手順で撮影を行い、決まった声掛けをすること、つまりそれは「自分の中の決まった型」に当てはめて、常に毎日同じ形のクッキーをくりぬいているかのような印象を与えることであり、「私として認識してくれようとしてくれない」という相手に対して孤独感を与えている作業ではないでしょうか。被写体からしてみたら、かつての成人式の撮影のときに私自身も感じた「カメラマンさんは何を感じてこの指示を出しているのだろう?」という疑問すらなく、日常化されている光景に対して、そうだ、と受け入れつつも心のどこかで「寂しさ」を感じていた私という感情です。
こうした、役割やルール、表面的なコミュニケーションの形式を楯にして自分自身の実感や居場所を明かさない人との間に生まれる人間関係から果たして何を生み出すことが出来るのだろうか?
これらの問いかけは、私が常に自身に対して問いかけている「命題」です。
この命題に対しての「これだ」という答えを今もまだ、たどり着けていません。
確かに、共に過ごしている撮影時間内だけ関係を作るだけでも十分だという声もあるかもしれません。それも決して間違いではありません。ですが、LIFE studioでいう「日本の写真文化を変える」という「文化を変える」の部分を理解し、それをミッションとして考えるのであれば、今まで当たり前だと感じていた時間の流れ方に対して、違和感を感じ、条件を変えるという選択が必要です。
「人に深く入ること」は、相手を自分の決められたままの型に当てはめることではなく、深く入ることで自分の中にあった「こう撮影すればいいだろう」という固定概念という型を壊す必要が毎回あります。
何が好きで、何を求めてここにいて、何を今感じていて、何に対して反応し、何に対して笑うのか、何に対して関心を示して、どの方法で自分を表現してくれるのか。
限られた撮影時間内で相手の全てを理解しようということは確かに難しいことかもしれません。
なぜなら、「あなたはどんな人ですか?」という問いかけに対して「私は~です」と答えることが出来る人は少数だからです。(私自身も現在模索段階です・・・)
だからこそ、撮影という方法を用いて私達はお互いを少しずつ感じあいながら自分を知って行くのです。
相手は「自分を理解してくれようとしてくれる姿」にまずは心を開くのではないでしょうか。
撮影中にそのような「相手に対して問いかけをすることが出来る人」とは、どんな人なのでしょうか?
恐らく「人に深く入る」と同時に「自分の中にも深く入れる人」ではないでしょうか。
だからこそ、ライフスタジオでは「自分とは何か?」という問いかけを最も続けているのです。
自分が生きていること、を改めて思い出すような瞬間に喜びを互いに感じあえるのだとしたら。
心が眠っているような状態や、生きているんだか死んでいるんだかわからないような状態ではなく、人が「より生きている」と感じる瞬間を生み出すことを思い出すために働きかけることが「いい仕事」なのではないでしょうか。
この写真も、私一人では決して生まれることはない1枚です。
一緒に時間と空間をコーディネートしてくれる仲間と、撮影した写真を使って毎年パパはプロモーションビデオを作製し、ママはスクラップブッキングを作製したものを見せてくれた上で「毎年、本当にライフスタジオに来ることが楽しみで仕方が無い」と「娘の成長を残すこと、共に思い出を作ること」を本当に大切に考えていると伝えてくださったパパとママのお話や姿、そして本当はパパとママのことが大好きなんだけど、成長と共に少しずつ「大好きだ」と相手に素直に伝えるという事に対して恥ずかしがっていたMちゃんの姿と言葉を聞いた上で提案をさせてもらった1枚です。
パパの事が大好きなMちゃん。だから、時々ママとパパの取り合いになります(笑
)この写真はそんな恥ずかしがりやなMちゃんの笑顔を引き出したいと考えママがその場にいない瞬間に撮影をしました。
「こう提案して見たい。表現して見たい。」
そう思わせてくれるには、自分以外の「相手」の存在が必要なのです。
互いの「大切なもの」を見せ合うこと、伝え合うことで共に作り上げられる物語こそ、LIFE studioでの撮影の醍醐味であり、ブランドアイデンティティーそのものであると思うのです。
また、お会いできますように(^^)素敵な時間と、温かいお言葉をありがとうございました。
この記事をシェアする