フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
愛する事。命を貰う事。
投稿日:2015/7/1
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photo by Rolly. coordi by Yumi
撮影には愛が必要で、その時間は命を貰っている。
写真館と言う場所があり、フォトグラファーと言う職業がある。
写真館の使命は何なのか。そして、フォトグラファーとしての使命は何なのか。
写真館の、特に子供写真館と言う場所の持つ大きな使命は「親が幸せを再確認する場
所」で有る事だと思う。
被写体は子供だが、そこに来る理由は親が持っているし、子供写真館で写真を撮って
、その写真に一次的に価値を見出すのは親だからだ。
だからこそ、子供写真館である以上笑顔等の親が喜ぶ写真と言うものは撮らなければ
ならない。
では、そこで働くフォトグラファーとしての使命は何なのか?
カメラを握る人に限らず、そこで働く人にとって様々な使命があると思うが、自分に
とってのフォトグラファーとしての使命は「撮影を通じて被写体がより自分を好きに
なる事が出来、結果として自他を愛する事が出来る様になる事」だ。
写真館の使命は親にフォーカスし、自分の使命は被写体(子供)にフォーカスしてい
る。
そのバランスを常にどう取っていくか。と言うのが自分にとっての一つのポイントだ
と思う。
さて、人の写真を撮る時に、その人の何を表現したいのか。
自分と言うフィルターを通してその人をどう見るのか。と言う事が出来たら最高だな
ぁ。と思う。
理想を言えば、相手の事をしっかりと知った上で、そこに自分のイメージを投影して
撮影をしたい。
でも、その為には
①それを知るだけの感受性・知識等を持っていなければいけない
②相手の事を知るだけのコミュニケーションや関わりが有る事
③それらを表現するだけの技術や感性が有る事
④前提として、被写体がその表現を納得したり、理解した上で協力してくれる事
以上の4つが必要になると思う。
つまり、
誰かを見てその人を判断し「こういう人だ」と感じるためには、自分自身に経験が必
要であり、相手を理解する能力が必要になる。
また、いくらその経験や能力があっても、そもそもそれらを知覚するだけのコミュニ
ケーションや関わりが無ければそもそも相手を判断する事が出来ない。
また、それらをクリアしたとしても、技術や感性が無ければ表現が出来ない。
そして、相手の持つイメージや撮られたい姿と、自分の捉えるイメージに差が有る場
合、そのギャップを埋める作業が必要になる。
例えば、笑った写真を撮られるのが苦手な人が居たとして、その苦手な理由が自分の
笑顔に自信が無いから。だとする。
でも、撮影する側がその人の笑顔が素敵だと感じ、それを残したい。と思った場合は
、その理由を被写体に説明して、納得し、協力してもらわない限り笑顔の写真は撮れ
ないし、無理やり笑わせて撮ったとしても、やはり納得はしてもらえないと思う。
しかし、自分が被写体の笑顔を素敵だと説明し、それを表現し、被写体が喜んでくれ
れば、それは自分の使命を果たした事になるのではないだろうか。
被写体を表現すると言う事は愛する事に近い。
その為には、被写体の事を知り、被写体の事を好きになり、被写体に納得してもらい
、協力してもらい、被写体の事を自分と言うフィルターを通して表現していかなけれ
ばならない。
ある人が、人の写真を撮る事をその人の命をもらう事だ。と言っていた。
写真を撮る間時間と言うのは、即ちフォトグラファーが被写体にその時間を割いても
らっている。
つまり、その分の命を貰っている。
だから、被写体の事を良く知り、好きになり、自分の事を知って貰い、納得して貰い
、時には協力してもらい、最高の写真を「一緒に」撮りたい。と。
子供写真館で被写体が子供である以上
④被写体がその表現を納得したり、理解した上で協力してくれる事
が成り立たない事が多々ある。
それでも、接する時間の中で親と話、子供と遊び、自分の中でその子をイメージし、子供を愛そうとする。
その撮影を楽しんでほしい。笑うのが苦手なら笑わなくても良い。その子に沢山可愛い、カッコいいって言ってあげたい。
それで少しでも自分の事をより好きになって欲しい。
数ある写真の中で、どの写真を気に入ってくれるかは分からないけれど、それでも命を貰っている時間の中で、最大限愛して表現したいと思うのです。
撮影には愛が必要で、その時間は命を貰っている。
写真館と言う場所があり、フォトグラファーと言う職業がある。
写真館の使命は何なのか。そして、フォトグラファーとしての使命は何なのか。
写真館の、特に子供写真館と言う場所の持つ大きな使命は「親が幸せを再確認する場
所」で有る事だと思う。
被写体は子供だが、そこに来る理由は親が持っているし、子供写真館で写真を撮って
、その写真に一次的に価値を見出すのは親だからだ。
だからこそ、子供写真館である以上笑顔等の親が喜ぶ写真と言うものは撮らなければ
ならない。
では、そこで働くフォトグラファーとしての使命は何なのか?
カメラを握る人に限らず、そこで働く人にとって様々な使命があると思うが、自分に
とってのフォトグラファーとしての使命は「撮影を通じて被写体がより自分を好きに
なる事が出来、結果として自他を愛する事が出来る様になる事」だ。
写真館の使命は親にフォーカスし、自分の使命は被写体(子供)にフォーカスしてい
る。
そのバランスを常にどう取っていくか。と言うのが自分にとっての一つのポイントだ
と思う。
さて、人の写真を撮る時に、その人の何を表現したいのか。
自分と言うフィルターを通してその人をどう見るのか。と言う事が出来たら最高だな
ぁ。と思う。
理想を言えば、相手の事をしっかりと知った上で、そこに自分のイメージを投影して
撮影をしたい。
でも、その為には
①それを知るだけの感受性・知識等を持っていなければいけない
②相手の事を知るだけのコミュニケーションや関わりが有る事
③それらを表現するだけの技術や感性が有る事
④前提として、被写体がその表現を納得したり、理解した上で協力してくれる事
以上の4つが必要になると思う。
つまり、
誰かを見てその人を判断し「こういう人だ」と感じるためには、自分自身に経験が必
要であり、相手を理解する能力が必要になる。
また、いくらその経験や能力があっても、そもそもそれらを知覚するだけのコミュニ
ケーションや関わりが無ければそもそも相手を判断する事が出来ない。
また、それらをクリアしたとしても、技術や感性が無ければ表現が出来ない。
そして、相手の持つイメージや撮られたい姿と、自分の捉えるイメージに差が有る場
合、そのギャップを埋める作業が必要になる。
例えば、笑った写真を撮られるのが苦手な人が居たとして、その苦手な理由が自分の
笑顔に自信が無いから。だとする。
でも、撮影する側がその人の笑顔が素敵だと感じ、それを残したい。と思った場合は
、その理由を被写体に説明して、納得し、協力してもらわない限り笑顔の写真は撮れ
ないし、無理やり笑わせて撮ったとしても、やはり納得はしてもらえないと思う。
しかし、自分が被写体の笑顔を素敵だと説明し、それを表現し、被写体が喜んでくれ
れば、それは自分の使命を果たした事になるのではないだろうか。
被写体を表現すると言う事は愛する事に近い。
その為には、被写体の事を知り、被写体の事を好きになり、被写体に納得してもらい
、協力してもらい、被写体の事を自分と言うフィルターを通して表現していかなけれ
ばならない。
ある人が、人の写真を撮る事をその人の命をもらう事だ。と言っていた。
写真を撮る間時間と言うのは、即ちフォトグラファーが被写体にその時間を割いても
らっている。
つまり、その分の命を貰っている。
だから、被写体の事を良く知り、好きになり、自分の事を知って貰い、納得して貰い
、時には協力してもらい、最高の写真を「一緒に」撮りたい。と。
子供写真館で被写体が子供である以上
④被写体がその表現を納得したり、理解した上で協力してくれる事
が成り立たない事が多々ある。
それでも、接する時間の中で親と話、子供と遊び、自分の中でその子をイメージし、子供を愛そうとする。
その撮影を楽しんでほしい。笑うのが苦手なら笑わなくても良い。その子に沢山可愛い、カッコいいって言ってあげたい。
それで少しでも自分の事をより好きになって欲しい。
数ある写真の中で、どの写真を気に入ってくれるかは分からないけれど、それでも命を貰っている時間の中で、最大限愛して表現したいと思うのです。
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