フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

『私が見ていますか...』

投稿日:2015/5/31

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『私が見ていますか...』 


写真の中のモデルと最初に会ったのは、2011年の夏です。
サンプル撮影のためにNちゃんを招待してNちゃんはママと一緒に店舗と来て、楽しい撮影をしました。その当時はまだ子供なので子供のイメージで明るく元気に撮影をしました。ところが、その当時から今に至るまでの気持ちが、Nちゃんは目でなにかを言おうとしているのだ。目で自分の感情を表現することができる能力を持っているということである。目が自分は子供ではなく、女性だと言っているようでした。
その感覚がわかろうがわからまいがNちゃんが子供ではなく、女性という感情を自分自身感じて、それがどのような感情なのか、本人は知らなくても自分自身を表現する方法として、手、表情、目で知ることができる。
 
私が言いたいのは、Nちゃんの存在についてです。
7歳といっても女性としての感情、はっきりわからないけど好きという感情、人として感じることができる感情を感じながら成長していることを言いたい。自分で自分の存在を知っていること。
自分が何に興味があって、何をするとき楽しく、腹が立っている感情。
自分の周りを構成する人々、物事について調べていくことが大切なことを知っていくものだと思われます。
 
成長過程から子供というのは、親のことを受け入れるものです。
7歳は親のものではなく、少しずつ自分のことを探していく時期だと思います。
年齢が重要ではなく、親からの独立をしようとして自分の存在生活について真剣に悩む時期が誰しもがあります。
人は誰でも存在について知っていく時期にあるが、自分の姿を見ながら少しずつNちゃん自身が自分の存在を知ってゆくようでした。
私はNちゃんが、自分に対して知り、自分を作っいくことを望んでいるように、Nちゃんが幸福を受けながら、成長して欲しいと願いながらこの写真を撮影しました。
私自身もかつて限りなく小さく見える自分の存在について失望し、また、否定をしました。それでも今の姿が私の姿だな、とを知った瞬間、私は私を認めることができ、私自身の心が楽になり幸せを感じました。
 
他人が作ってくれた私ではなく
人になにかを与えてたと感じきに幸せを感じる
私の家族が幸せに笑う姿を見ること
写真で誰かに幸せを作ってもらうこと
様々な方面から様々な自己で人を見ようと努力すること
このような姿が私の存在です。
誰もが大切な存在であるため、どのような状況であっても尊重し努力しなければならないと私は考えています。
私が一枚の写真を撮影しながら、Nちゃんに、また私自身に言いたいメッセージでした。
 
 

 

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