フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

『Us』

投稿日:2015/3/24

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photo by Ryo  codi by Kaori  in Yokohama Aoba



少し晴れ間がのぞき、少し時間が経てばまた雲の中に入る。

不安定な空のように写真を考え、人と向き合う。

私たちが求める物は何か、求められる物は何か。

ここに居る意味とここで撮る意味を混同しながら、本当の答えを探す毎日。

 

撮影の中で自分が考える理想を100%を求めるのは少しわがままで、50%を求めるのは少し消極的すぎる。

90%の意図と10%の偶然が心地よく感じます。

写真の技術的側面では自分でイメージを持ち、フレーミングを計算し、光を作りポージングをつけ適切な数値を導きださなければいけない。

ここまでの意図的な達成が結果物に対する90%であるとしたら、残りはカメラの中ではなくその他の部分になります。

私が知らない彼女の写真を残すには技術的な再現と、その人を捜すためコミュニケーションによる疎通が必要です。

技術は撮影者の持つ『範囲』でもあると考えます。

その写真の構成要素を考え、効果的に瞬間を写す事が出来る環境。それがカメラマンの『範囲』です。

 

なぜ、見た目に美しい写真が撮れたとしても何か足りない物を感じてしまう時があるのか。

それはその写真が技術的観点に収まってしまった瞬間です。常に私たちの結果物は被写体との関係に依存します。

何かが足りない、それを感じる時はだいたいカメラが操作できるもの意外の部分が欠けている時ではないでしょうか。

技術においても完璧を求める事は良い事ですが、完璧と言う物を自分の感覚で決めてしまえば、その写真は自分のための写真になってしまいます。

 

私たちは常に人と向き合う環境に身を置き、写真という媒体でそのつながりを記憶し記録します。

だからこそ写真も、その撮影時間も美しく楽しくあるべきです。

10%は何故か残りの90を覆す可能性を秘めている。

この事に対して数値化する事は大変困難なのですが、写真を撮る中で自分自身に多少の約束を作る必要があります。

私の中でその約束は不完全な数字がベースとなる、曖昧な計算です。

物ではなく人間を撮る私たちの写真は有る意味常に不安定であると考えます。

完全は無く予想は常に覆され、計算を狂わせる切っ掛けに満ちている。それが人を撮ると言う事ではないでしょうか。

 

私はカメラを持ってから常に美しさを求めています。

知らない物を知る事が美しさ追求に繋がり、知っている事をしっかりと行う事が美しさとの出会いに繋がる。

自分の持っている力で探し、時に違う目的にたどり着く。

予想のように行かない事もまた、私たちの発見に繋がり、知らなかった美しさを感じさせてくれます。

終わりの無い探し物は、常に私たちを成長させ世界を広げてくれます。

 

折れた口紅、閉じた口元。

少しの未完成がまだ飾る事を知らない被写体の今を表す。

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