フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
琴線に触れる
投稿日:2015/2/28
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Photographer:Nishi
Coordinaite:Volvo
今の越谷店にはカメラマンの数も多いため、様々な写真が存在しています。表現方法も各自多彩でが、自分が吸収できるものばかりです。撮影者は一定の時期が経つと自分の写真が変化しない安定期がきます。それを外から壊してくれるような刺激は新鮮です。
最近はいい写真の基準は何か?という議論や声が各地で頻繁に聞こえてくるような印象を受けます。写真というものに対して撮影者達の熱い動きを感じとることができるという見方もできますし、Lifestudioの写真が全体的安定期に入り、各自新しい何かを探しているという見方もできます。勿論どちらも同時に行われていると思います。
光が良ければいいのか、バランスが良ければいいのか、衣装が良ければいいのか…、どの項目に基準を置いても、そのまた良い理由を説明しなければいけません。
なぜその光が良いと思ったのか、その時の光の質がこうで、光の強さがこうで…。
問い詰めていけばいくほど、言葉遊びのようになり、自分でも分からなくなるときがきます。私の場合はそうです。
だとすれば何が良いのでしょうか…
人の写真を残すためには、一旦自分の中に被写体が入らなければいけません。勿論、物理的な意味ではありません。撮影者がシャッターを押す理由というのがカメラを使ってその瞬間の被写体を自分に取り込んでいる行為であって、取り込もうと思った理由というのは自分の感情がよく働いたからだと思います。もしかしたら0.1秒前の被写体の表情や姿が自分の感情が反応しなかったかもしれません。全てに反応していればビデオカメラが必要になります。当然のことなのですが。そして、いい写真を選ぶときも自分の感情からスタートします。自分の感情が作用し、数あるなかから一枚を決定しています。自分が撮ったものでなくてもそれは一緒です。だから重要なのがその感情を整理することなのだと思います。
私がいつも思うことは、自分だけがつくる枠に被写体を閉じ込めたくはないということです。しかしそうはいっても最終的には自分の枠で被写体を写します。この撮影を始めながら被写体の美しい姿というのは何度も確認することができました。そして、徐々に被写体が緊張から解放され普段の自分が現れます。その過程というのは、まだ見えない被写体の美しさを発見できる過程でもあります。はしゃぎながら、おどけながら、常に笑う健康的な姿が、私が見た彼女でした。しかし、そうではない彼女を探すことが、自分が彼女にしたいことの一つでもありました。
人にはその人だけが持つ特徴的な表情があります。その特徴的な表情こそが、被写体の固有の美しさの一つであると私は認識しています。常に笑顔に溢れている彼女だけを見ていれば、全ての物事を見抜くことができるような鋭い眼差しを持つ知性的な彼女の美しい姿を見落とす可能性がありました。美しさというものは自分の感情を高ぶらせてくれる刺激物です。
美しさを発見することは、被写体の喜びであると同時に、自分の喜びでもあります。共に同じような感情を持つことができることが本望であり、それが、私が写真を撮る理由になります。
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