フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

『EDGE』

投稿日:2014/11/16

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地球は丸で。
蜂の巣は六角。
ホームベースは五角。
写真は四角だ。

カメラのレンズは丸いのに出来上がる写真は、なぜか四角で不思議に思ったことがあります。
それには様々な理由があるし、ここではどうでも良い話かもしれません。

撮影者は1枚の写真を作るとき、その四角のフレーム全体に意識を向け、見せたい構図を想定し、フレーミングする。被写体にフォーカスを当て、最終的な露光の決断を下す前に、カメラを上下左右に動かしてフレーミングを少し変えてみる。
私たちはその行為を当たり前のように日々実施し撮影を行っている。

写真とはこう見えるべきだ、というルールや前提を各々がもっているが、そのルールに則って被写体を配置しフレーミングすることで、素晴らしい写真ができるかもしれないし、そう上手くはいかない場合もあることでしょう。
その空間、カメラによって強制的に限定された四角形のフレームの広さの中で、どのように被写体を表現するか。その問いかけを繰り返して写真が出来上がる。

この写真は、目に見えるものを写すのではなく、見えないものを見えるように写している。これはとても重要なことだと思います。
私はこのフレーミングで露光する以前に選択肢をいくつかもっていまして、あとは写真の鍵となる関係性のなかでうまく要素が配置される瞬間を選んで切り取るだけでした。
写真に含まれているものと含まれていないものの瀬戸際の領域をフレームのエッジを鋭く利用し、切りとっています。ここではパパとママの手首を境目にフレーミングしており、画面から手をはみ出させています。それによって、核心となる一つの要素を生みだそうとしています。

宙に浮く情熱の赤い糸は、そのスペルを読めば分かるように「愛」を表し、
それが父と母を繋いでいます。それを見上げる子どもたちの様子から伝わってくるものは、ただ頭上にある赤い糸を見上げているだけかもしれないし、手首がフレームで切られていて不自然だと解釈できるかもしれない。赤い糸は二人の小指で繋がっているのか、もしかすると糸電話で愛を囁きあっているのかもしれない。どのような解釈をするかはそれぞれです。


Photo by SU & Ikuyo Kitamine

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