フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
ひらけごま・ザ・制限。
投稿日:2015/4/30
1122 0
家族での食事際にはいかにテンションが上がっても裸になってはいけないし、外でも裸になってはいけない、自分の要望が通らずに不満がたまっても人を殴ってはいけないし、悪口は言ってはいけない。
家では道徳的にやってはいけないことをとても学びました。
幼稚園や小学校にあがると、母から先生が集団生活においてのやっていいこととやってはいけないことを学びました。
朝礼の挨拶では私語をしていけない、喧嘩はしてはいけない、授業は居眠りしてはいけない、皆にやさしくしなくてはいけないこと。
中学にあがると知恵も力もついてきて、物事に対しより疑問を抱きながら毎日生活をしてゆきます。
テストは極力頑張らなくてはいけない、部活に参加しなくてはいけない、遅刻早退はしてはいけない、自転車で登下校してはいけないこと。
高校に上がると社会への準備が始まります、熱血指導で有名な先生から色々なことを学びます。
あいさつはこのようにしなくてはいけない、制服はこのように着なくてはいけない、髪型はこのようにしなくてはいけない、誰もを敬わなくてはいけないこと。
社会に出たらもう大海原にでた様なもので、誰からも教わることは無く自分で制限をします。
新入社員はこのような振る舞いをしなくてはいけない、ビールのお酌はラベルを上に向けなくてはいけない、失礼はあってはいけないこと。
いつの日も誰からか教わり、いつしかは自分自身に制限をすることを教わり、毎日を知らず知らずに過ごしています。
私達は成長と共に一つ一つの物事に対し疑問を持つことが少なくなり、それがいわゆる普通の状態になります。
それが普通だから、でも普通とは何なのでしょうか、普通から外れたものはよくないことでしょうか。
でも私はたまに思うのです、果たして本当にそうしなくてはならないの?
人間は機械のように生きることは出来ません、なぜなら血肉はあるし寿命もあります。
そして何より映画で出てくるようなAIロボットと異なる点は、好奇心はあるし、楽しむことも出来るし、感情があるのです。
一度感情の火種がついたものをどうすることも出来ません、自身の想像にあることを得ようと行動するまでその感情の火種は消えることは無いのです。
よく考えてみると私達は普通なことから学ぶ事はそう多くありません、それよりも普通から抜け出したときこそ色々なことを知ることが出来、何よりも楽しく学ぶ事が出来るのです。
普通から超えたものを行ったときの、反省や達成感などは大人になった今も忘れることの無い思い出として鮮明に覚えています。
スカートだからと言って胡坐で座っていけない理由はないし、髪の毛を大きく振り乱してはいけない理由も無い、制服だからといって着崩れていることが悪い理由も無い、しかし私達はいつも普通という見えない物体に襲われています。
そんなときこそ、制限から一歩足を踏み出してみると、いつもと違う景色が待っているのではないでしょうか。
そこで新たな感情の種が見つかるかもしれません。
この記事をシェアする