ライフファミリー
Life Family
【殿堂入り031】Takahashi Family(Kuroki Reiri)
投稿日:2018/8/10
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記憶の、記録
- Takahashi Family -
記憶の記録
誰もがそうであったけど、誰もが忘れてしまうこと。
限られた時間のあいだ、ただただ『赤ちゃん』であったこと。
あなたが忘れてしまっても、あなたの家族は覚えている。
それでもいつか、遠い未来で、記憶がおぼろげになったとしたら。
その記憶を繋ぐものが、『写真』でありたい。
そんなかけがえのない時間のために、私たちはシャッターをきります。
”いつか”の日を、想像しながら。
人は、記憶と共に、生きてゆく。
これは、かつて新横浜店で、【New Birth Baby撮影】に取り組んでいた時の撮影コンセプトです。
2013年の夏の終わりにOpenした新横浜店に、私はオープニングスタッフとして浦安店から異動してきました。当時の店長は、河野さん。近隣の横浜青葉店との差別化を図るべく、Baby撮影店舗というコンセプトを打ち出してスタートした新横浜店は、河野さんと、谷津さんと、私。それから、当時は横浜青葉店に所属していた斉藤愛美にヘルプで来てもらっての、不思議な4人で始まりました。それから幾つかの紆余曲折を経て、河野さんも谷津さんもいなくなった新横浜店に戻った私が、その時一緒にいてくれた仲間たちと始めたのが【New Birth Baby撮影】というプロジェクトでした。生後半年までのBabyを対象とした特別撮影として企画した【New Birth Baby撮影】は、当時の新横浜店のBaby撮影というコンセプトを、より特化して明確に打ち出すことで、他店舗との差別化とブランディングを図ることを目的としていました。今はもうライフスタジオを退職したコメと、現・自由が丘店にいるShieちゃんと、3人でコンセプトを決めて文章を考えて、年明けから始めようと撮影練習を重ねていたのが、2015年の秋のこと。
その年の瀬に、撮影でお会いしたのがTakahashi Familyでした。笑顔がとても可愛らしい無邪気なママさんと、穏やかに微笑む知的な印象のパパさん。そして、生後1ヶ月半の、小さな小さなBabyだった、まこちゃん(※男子です)。まだ首も据わっていない、表情もあまり出ない、本当に小さなまこちゃんの姿を見て、身体の芯から沸き上がるような不思議な感情の昂りを覚えています。こんなに小さくて、こんなにか細くて、それはあまりに繊細で、それでもしっかりとその命の重さを感じられる存在感があって。彼を見詰めるパパさんママさんの、愛情溢れる眼差しの温かさ。12月の日差しが温かく差し込む部屋で、その家族の姿はとても、とても、美しかったのです。
ライフスタジオの撮影は、75カットの原本から成ります。
だからこそ、様々な角度からのそのひとたちの美しさを記録するべく、被写体を動かしながら撮影をしていきます。しかし、新生児は自分で身体を動かすことができません。まだよく見えず、聴こえず、反応も薄く、表情が出づらい新生児。だからこそ、私たちは【New Birth Baby撮影】に向けての撮影練習を行っていました。そんな最中に訪れた、まこちゃんとの出会い。「あれ、やってみようか」「あの資料の、あの感じでいってみようか」アシスタントで入ってくれたコメと、1カットずつ丁寧に撮り進めながら、新生児の撮影の楽しさと難しさ、責任の重さと、そしてその価値を、再確認するようでした。パパさんママさんと、小さな新生児との対比。ごくごく限られた時期の、生まれたばかりのいのちの姿。尊くて、美しくて、貴重な記録、記憶。それを写真に残すことの、意味。そういうことをたくさん、たくさん考えながら、大切にシャッターを切っていきました。ママさんは、撮影用に色んな小物を持って来てくださっていて、そういった小物も合わせて撮影しながら作られた、75カット。その75カットは、【New Birth Baby撮影】に向けて、課題の再発見と少しの自信、そしてその価値を、私たちに教えてくれる撮影になりました。
その時の撮影は、まだ【New Birth Baby撮影】が始まる前の、通常撮影でした。
2016年から、私たちが特別撮影としての【New Birth Baby撮影】に取り組み始めて数ヶ月後、予約のお名前の中に見覚えのある名前を発見します。ちょうど、対象となる生後半年ギリギリの時期に合わせて、再度Takahashi Familyがご予約を取ってくださいました。季節は春。生後半年になったまこちゃんは、それはもう、ケラケラ良く笑う口元とぷくぷくなほっぺたがめちゃくちゃ愛らしい、それはそれは可愛らしいBabyへと進化を遂げてやって来ました。笑冬から春へ、たったひとつ季節が変わっただけで、まだ首も据わらずか細かった小さなBabyが、自分の腕でぐいと顔を上げるうつ伏せができるようになっていて、支えがあれば座ることさえできて、声をかければ笑い、好奇心に満ちたキラキラの瞳で私たちを見詰めます。それは、彼の変化を体感させてくれた再会でした。たった4ヶ月程で、こんなにも変わる。Baby、という一括りのカテゴライズの中に、密な変化が詰まっていることを改めて感じ、Baby撮影の価値を再確認しました。その時の撮影は、とにかく私も、コメも、可愛いかわいいと大興奮しながら、過呼吸になるんじゃないかというくらいに大はしゃぎでした。ママさんは、前回の撮影で使った小物をまた持ち込んでくださり、敢えて全く同じ構図で撮りました。他のものは変わらないのに、まこちゃんは確実に、大きくなっていく。
その年の秋、まさかの3度目の撮影で、ようやく1歳のまこちゃんに会うことが出来ました。1年のうちに3回お会いできるお客様は、そう多くはありません。普通だったら、1歳のBabyは【Baby】なのに、生後1ヶ月半の頃から見てきたまこちゃんは、あまりにお兄さんになったように見えました。何となく言葉っぽい音を喋るようになり、自分の意志で動き、遊び、私たちの予想を軽々と超えていく。その変化と成長を喜び合う私たちにとって、まこちゃんは、Takahashi Familyは、新横浜店でのBaby撮影の価値を体現してくださったご家族でした。生まれたばかりの、もぞもぞと手足を動かすのが精一杯なくらいの小さなBaby。その姿はあっという間に成長し、記憶の彼方にその面影を残すのみとなります。だからこそ、ほんの僅かなこの時期の写真を、美しく残すこと。それが、新横浜店での私たちの命題でした。そしてその命題に、何もかもを注ぎ込みながら打ち込んで来た価値があったと、そう思わせてくれたのが、Takahashi Familyだったのです。
その撮影の最後、パパさんのお仕事の都合で、海外に行かれることを知った私とコメの意気消沈ぶりと来たら……。笑
私たちにとって、まこちゃんは新横浜店のBaby撮影を象徴する存在でさえありました。だからこそ、これからもまた新横浜店で会えると、根拠なく思っていました。しかし、まこちゃんの成長と同じように、変化することは止められず、変わらないものなんてないのだと、その時期の私は知りました。Takahashi Familyは旅立ち、コメはライフスタジオを離れ、私は横浜青葉店に異動することになりました。
【New Birth Baby撮影】はちょうど1年で終わり、Baby撮影に対しての経験の蓄積と自信、そして情熱が私の中に根拠として残っています。その撮影を通して出会った、たくさんのご家族と横浜青葉店で再会しながら、いつかまたTakahashi Familyと再会することを、待ち望んでいました。
……が、ひょんなことから、突如としてその再会は果たされました。
きっかけは、下関。
「下関店で、新横浜店のアイドル!って言われてた子が予約取ってくれたらしいですよ?」という情報を私にもたらしたのは、何だかやたらと情報網の広いこばちゃんでした。その瞬間「まさか」と思ったのは、私とコメの彼への愛情をだだ漏れにした顧客情報のメモに『新横浜店のアイドル』と書き綴っていたから。笑下関店の予約を見れば、懐かしい名前が。即河野さんに連絡を取り、スケジュールを確認して、その日がOne point会議であることを知り絶望しました。断言します。Onepoint会議でなければ、ありとあらゆる手段を使ってでも、私は下関店に上陸してTakahashi Familyに会いに行っていたでしょう。しかし、その時私は、会議を優先しました。会議が大切だったのも勿論ですが、何よりも、『河野さんなら、おまかせして大丈夫』と思ったからでした。河野さんは、私にとってあまりにも大きな意味を持つひとです。こんなことを言ったら彼女は嫌がりそうな気もしますが。笑今、私が、横浜青葉店で『近すぎる写真館』のコンセプトのもと動いていけるのも、顧客との関係形成に注力していけるのも、河野さんの姿を見て来たからです。撮影には全力で、いつだって子どもたちの味方で、決して手は抜かず真剣で、ありとあらゆるお客様と子どもたちのことを信じられない程克明に記憶していたりもして。だからこそスタッフには厳しくて、私が入社したばかりのある撮影の時には「れいりさん、何考えて撮影に入ってんですか!!?」とぶち切れながら言われたこともありました。それでも彼女は愛情深いひとで、だからこそ彼女を追って神奈川から下関まで撮りに行くお客様までいて、彼女が宿も決めずに上京すれば色んなスタッフやお客様(て言うかもう友達みたいな関係性までいっちゃってるようなひとたち)が泊まるところを提供したくなるような、そんなひと。ひととの繋がりのこと、働くということ、考えるということ……そういうことの、私が考えもしなかったような角度からの世界の見方を、河野さんから、教わりました。Takahashi Familyに会いたい気持ちは勿論ありました。でも、河野さんにも会ってもらいたい。河野さんなら、だいじょうぶ。
撮影の日、One point会議が終わる頃、河野さんから写真が送られてきました。
「…………まこが、ふたりいる」
記憶の中のまこちゃんの面影瓜ふたつの、弟のたくちゃんがそこにいました。
まだまだ赤ちゃんみたいなまこちゃんが、もっと赤ちゃんなたくちゃんと戯れるオフショットの数々。笑そして、河野さんは、私が新横浜店で撮っていた写真と同じように、バスケットに入ったまこちゃん、たくちゃんの写真を押さえてくれていました。成長がわかるように、敢えて同じ小道具を使いながら、同じように撮影した写真。それを、下関店でも引き継いでくれたことに、感謝の気持ちでいっぱいで、泣けるくらいに、嬉しかった。撮影が終わる頃には、テレビ電話でまこちゃんやママさんとお話しさせてもらいました。ママさんのご実家が下関の近くで、今回はこちらで予約取らせてもらいました〜、と笑うママさんと、その膝で抱っこされているたくちゃんと、テレビ電話の画面の端に見きれながら走り回る、まこちゃんの姿。神奈川と下関で、繋がる縁と、共にすることができる想いがある。河野さんが撮ってくれて良かった、と、心から、思いました。
そして、この話にはまだ続きがあります。その2ヶ月後の昨年末、Takahashi Familyはやって来ました。横浜青葉店に。前回の下関店での撮影では、パパさんがお仕事で来られなかったのです。ホリデーシーズンの休暇で帰国されたパパさんと一緒に、わざわざ神奈川まで、つい最近写真を撮ったにも関わらず、Takahashi Familyは来てくれました。写真を撮りに。私に、会いに。
はじめましてのたくちゃんと、あの日の面影を残したまますっかりやんちゃに成長したまこちゃん。彼らの姿を見ながら、改めて、あの日の記憶を思い出します。あんなに小さかった、か弱く見えた、あの新生児が2歳になっていて、弟がいて、その弟は兄よりもやや繊細な性格で。たった2年です。たった2年、それだけの時間で変わりゆく、ありとあらゆること。1年前、変わらないものはないのだと知りました。止められない変化は少し寂しいことのように感じもしました。それでも、こうして変わらないものがあることを、知りました。2年前と同じように、身体の芯から沸き上がるような不思議な感情の昂りがあって、2年分の時間を蓄積した逞しい命があって、それは紛れもなく、間違いなく、変わらない大切なもの。
教えてくれたのは、Takahashi Familyと、河野さん。
Takahashi Familyは、私にとって【価値を体現してくれたひとたち】です。
河野さんもまた、そういう価値を大切に、大切にしてきたひとでした。だからこそ、私が残そうとしたものを、河野さんも大切に残してくれました。だからこそ、Takahashi Familyとの縁もまた、繋がり続けています。
ひとは、記憶と共に、生きている。
その記憶を繋ぐものが『写真』でありたい。
いつかの日の為に。かけがえのない、時間の為に。
記憶の、記録。
今の私を構成する、確かなもののひとつが、Takahashi Familyとの出会いです。
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