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【殿堂入り011】S Family(Kuroki Reiri)

投稿日:2018/6/27

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エピソード

 

ご予約のお客様の中に、見覚えのある名前を見つけることは、少なくありません。
そして大体、前回の撮影の時の写真が脳内をフラッシュバックします。


でも、何だか近しいな、と個人的に感じているお客様の場合は、写真だけではなくて、
撮影当時の会話やエピソード、その写真を撮るまでのやり取りの過程、といった、『思い出』の記憶まで呼び起こされます。
その写真の、そのカタチに至るまでの色んな経緯。
投げかけた言葉に予想外のアクションとして返って来ていたり、
キメキメなポーズのようでいて実はちょっとお間抜けなやり取りがあったり、
上手くやれてるようで実はもの凄く嫌がっていたり。

75カットの写真の1枚1枚、その裏に見える、撮影者と、ご家族と、子どもたちとの時間。
その時間の、その場所の、そこにいたひとたちとの、光や色や匂いまで含む、『空間』の思い出。


勿論、そのすべてを子細に覚えている訳ではないのですが、
とは言え印象的なエピソードは、色んなご家族との間にたくさん、本当にたくさんあります。
ご予約のお客様の名前の中で、彼の名前を見つけた時に呼び起こされた思い出のひとつは、『めがね』でした。
 


2014年、彼が1歳の時に、新横浜店で初めて出会いました。
その時の彼は、つかまり立ちもやっとくらいで、若干へっぴり腰な1歳Babyでした。笑
まだとてもよちよちしたバランスで、その赤ちゃんらしい仕草とフォルムが可愛くて可愛くて、
今写真を見返してみても、『可愛い』と感じている自分の感情が、写真に乗っていることを感じる75カットでした。


感情が乗る、というのが、何しろ感覚的で今ひとつ論理的に説明できないことがもどかしくもあります。
でも、とにかく、昂った感情や共感を動機とした写真がたくさんあって、
その感情や共感が写真に表現されていて、それは何だか人間らしさを感じるものだった、ということだと思います。
自分が人間らしく、感じる感情のままに撮った写真だなあと。


その撮影の終盤、小物として彼に丸めがねをかけてもらいました。
勿論、嫌がられます。もの凄い速さで取られました。
でも、その一瞬のめがね姿があまりにも似合っていて、可愛くて、思わず盛り上がってしまう大人一同。
何度かチャレンジするうちに本当に嫌がられてしまったので、
しばらく間を置き、撮影の最後に再チャレンジをしました。

ママさんの膝の上で。笑
手を抑えてもらいながらの、一瞬のめがね姿。
それが、最初の出会いの、75カット目でした。

それから、
彼の撮影では毎年「めがね」が定番になりました。
2歳になってぐんと背が伸びた彼の撮影の終盤、
ママさんからのリクエストでこの時はピンクのサングラス。
やっぱり嫌がられました。

3歳の撮影の時には、コーディネーターにも伝えておいて、
黒いサングラスを用意して待っていました。
この時も案の定、結構な速さで取られてしまいました。

2歳の時も、3歳の時も、私はblogにその時のことを書いていて(笑)、

このご家族との撮影の時間においては、ちょっとした遊び心と、
今までの思い出を振り返るアイコンとして、「めがね」は共通言語になりました。

 

そして今年、ご予約のお客様のお名前の中に、彼の名前を見付けました。

その瞬間、ああ、今年ももうそんな時期か、
なんて、風物詩のように感じながら、
今までの写真やエピソードがいっぺんに思い出されました。

勿論、彼の今までの「めがね」の写真と、
それに伴う過程のエピソードの数々も。

お電話をすると、ママさんが
「黒木さんを追いかけて、横浜青葉店で予約を取っちゃいました〜」と仰ってくださいました。
「ストーカーのように追いかけさせてもらいますね!今年は青葉店でよろしくお願いします」というママさんの言葉が、
嬉しいやら面白いやらで、そしてきっと、
両想いならストーカーとは言わないだろうなと思いました。


4歳になった彼は、昨年のblogで私が書いた通り、
今年はめがねに対しての抵抗があまりありませんでした。

園服を着こなした彼は(パパと同じ幼稚園なのだそうです)、何だかずいぶんとお兄さんに見えて、
自分があの日ファインダーから見ていた、あのへっぴり腰なBabyの面影を探すのに、少し時間がかかる程でした。
めがねは最初難色を示したものの、「シャボン玉しようよ」という交換条件に応じる形でかけてくれて、そして彼は、そのままでいました。

ああ、もう、嫌がってめがね取らないんだ。
話が通じて、理解をして、承諾したらそのままやってくれるようになったんだ、と、
何だか少し寂しいくらいの気持ちで、彼のめがね姿を見ていました。

 


積み重ねられた思い出が、こうしてひとつひとつのエピソードを繋いでいきます。
あの日、撮影の最後の最後で、嫌がられためがねを再チャレンジした。
それは、ママさんが本当に、あの時の彼のめがね姿に「可愛い!!!!」と喜んでくれていたから。
ママさんが『可愛い』と感じてくれたそのめがねは、勿論それまでにもたくさんの子が使っていたものではあったのですが、
その丸いフレームはまん丸な彼のほっぺたにリンクしていて、本当にとても、その時の彼に似合っていました。
だからこそ、ママさんからは素の『可愛い!!!!』という反応が生まれましたし、
私には「本人には嫌がられてしまっているけれども、でも、この写真を残したい」という執着心が生まれました。笑
パパさんママさんにとって、いちばん大切なこの子の、新しい魅力を見付けた瞬間だと感じたから、です。


あの瞬間、パパさんママさんにとっていちばん大切なものを、私も大切に記録しました。
その写真が、それから4年間、ずーっと続く恒例行事のいちばん始まりになるなんて、その時は知る由もなかったけれど、
でもあの瞬間に、私が「この写真を残したい」と思ったものは、きっとパパさんママさんにとっても、とてもとても、大切なものであったのだと思います。

自分の感情的な部分や、ひとに影響されやすい部分は、少し恥ずかしいところだとさえ思っていました。
でも、それがこの場においては、『感情移入』という形で良い方向に作用していくことを、知りました。
誰かの大切なものを、大切に。自分がそんな姿勢で残した写真が、こうして毎年続くひとつの関係性を生んでくれたのだから。
 


後日、パパさんママさんは、Guest storyに私が彼を抱っこしている写真を投稿してくださっていました。
抱っこされた彼の目線は、私より、上でした。当たり前なのですが、抱っこしている自分からはあまり見えない彼の大きさを改めて感じ、
抱っこすれば懐に収まるくらいの大きさだったのになあ、と、1歳の時の重さを思い出そうとしてみます。
それと同時に思い出されるのは、あのまん丸いほっぺたや、丸めがねをかけられてきょとんとしていた75カット目。
その翌年のやんちゃな表情も、その更に翌年の虫に刺された赤いほっぺたも、
毎年チャレンジしては嫌がられていためがねのエピソードのあれこれも。


積み重ねられた思い出は、共感を刺激します。

私は感情的な人間です。それが恥ずかしいと感じていたけれども、そういう『感情』に基づいて、人間らしく、
感じたことを表現していく自分のスタイルが、最近では悪くないかもなと思えるようになってきました。

わざわざストーカー宣言までして会いに来てくれる、そんなひとたちのおかげで。


目の前の、その家族の、大切なものを大切に。

その姿勢でのぞくファインダーの中は、いつも宝物のような瞬間でいっぱいです。

できるだけ美しく、できるだけ温かく、その宝物を切り取りながら、
まだ見ぬ未来のあなたたちへ、残していきたいと思っています。

 



▼Kuroki Reiriさんのブログはこちらから

 


 

 

 

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

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