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四街道店
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映画サークル 整理&主題討論
投稿日:2017/10/29
1939 1
当日の流れ
1:リクリエーション(チーム対抗ジェスチャーゲーム)
2:映画評価・時代背景・内容・ポイント・感想(かつ発表)
3:主題討論(自分を出して深く考えてみよう)
映画の評価
・1994年公開のアメリカ映画
・ 日本公開は95年で配給収入38億円のヒット作品
・第67回アカデミー賞作品賞
・第52回ゴールデングローブ賞 ドラマ部門作品賞受賞
・キャッチコピー「人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からない」
※このセリフは、『アメリカ映画の名セリフベスト100』において第40位!!!
※ちなみに1位は「おれには関係ない」映画名;「風と共にさりぬ」
映画の時代背景
<映画の中で出てきたアメリカの現代史>
1:「フォレスト」
フォレストとは南北戦争時の南部側の将軍でクー・クラックス・クラン(KKK)の創設者、ネイサン・ベッドフォード・フォレスト将軍からとった。母親が、人間は時に愚かで無意味なことをすると言うことを思いだささせるためにつけたとのこと。
クー・クラックス・クラン(KKK)とは白人至上主義団体で、黒人やヒスパニック系を差別した団体。
2:エルヴィス・プレスリー
プレスリーはマリリン・モンローとならび戦後アメリカの象徴的存在で大衆文化の花形。独特の振りで一大ムーブメントを起こす。
3:アラバマ州立大学黒人入学拒否問題
1950年代から60年代にかけてアメリカは公民権運動が活発となる。キング牧師、マルコムXらが黒人差別を訴え、非暴力と暴力とが吹き荒れた。公民権運動は1964年ジョンソン大統領の下で公民権法が制定される。
4:ケネディ大統領
1961年ジョン・F・ケネディが共和党のニクソンを破り大統領となる。在任中は国内では公民権運動が盛り上がり、国外ではベルリンの壁構築やキューバ危機でアイゼンハウアーとフルシチョフが作った「雪どけ」ムードが消え、再緊張となる。またベトナムも戦争が本格化。そして彼はテキサス州ダラスで暗殺される。
5ベトナム戦争
1959年 ~1975年、ホー・チ・ミンを指導者とする北のベトナム民主共和国と、南のベトナム共和国との統一戦争であったが、北ベトナムを中国が、南べトナムをアメリカが支援する東西対立の代理戦争であった。1963年のトンキン湾事件以降介入を本格化させたアメリカは、当初の予想に反して泥沼化する戦争に苦慮し、ナパーム弾や枯れ葉剤などジャングルを焼き枯らすなどしてベトコンのゲリラを掃討していくがソンミ村虐殺事件など数々の非人道的な行為も明らかとなり、国内の反戦運動も盛り上がり結局ニクソン大統領は1973年アメリカ軍を全面撤退させる。その後1975年南べトナム政権は崩壊、南北統一が果たされる。
6:ジョンソン大統領
暗殺されたケネディ大統領を後を継いだ副大統領のジョンソンは、ケネディの路線を引き継ぎ、公民権法を成立させるとともにべトナム戦争において北爆を開始し地上軍を投入、戦争は拡大・泥沼化していく。べトナム戦争の引き際を見いだせないジョンソンは1968年に予定されていた大統領選挙に出馬しないことを表明、戦争を終わらせることができないまま大統領職を離れる。
7:べトナム反戦運動
当時アメリカで盛り上がりをみせていたのが公民権運動と学生運動、そして反戦運動である。この三者は密接につながっている。その共通点として「既存の体制への反抗、体制の破壊」を目的としているところである。これらの運動に多くの若者が参加し、ヒッピーなど一つの文化を形成していった。しかしこれらの運動はまた多くの若者をニヒリズム・アナーキズムに駆り立て、若者の間にドラッグや無分別なセックスなど退廃的な行動が横行する。
8:ブラックパンサー党
公民権運動はキング牧師のような非暴力を訴えた人ばかりではない。暴力的な差別撤廃運動を主張したマルコムX、カーマイケルが唱え、オリンピックの場でも主張されたブラック・パワー、そして革命による黒人の解放を訴え、黒人居住区を警察官から守るための自衛組織として立ち上げられたブラックパンサー党である。
9:ピンポン外交
泥沼化するヴェトナム戦争を終わらせるためにニクソンはどうしても中国との関係改善をしなければならなかった。また中国もソ連との関係悪化からアメリカとの関係改善を模索しており、「空飛ぶメッテルニヒ」ことキッシンジャー大統領補佐官のもと米中関係は改善に向かい1972年にはニクソン訪中が実現する。
10:ウォーターゲート事件
ウォーターゲート事件はニクソン大統領再選のため<に行われた民主党党本部への盗聴事件である。ニクソンは証拠隠滅をはかったが逆に議会や国民の怒りを増幅させ、ニクソンはアメリカ史上初の任期半ばでの辞任に追い込まれる。
※当日簡単にクイズしますよ
映画の内容/ポイント
概要
人より知能指数は劣るが、純粋な心と周囲の人々の協力をえて数々の成功を収めていく「うすのろフォレスト」の反省をアメリカの歴史を交えながら描いたヒューマンドラマ。
幼少期
・大きな愛を持ち、母親のおかげでフォレストはまっすぐ育つ
・背骨が歪んでいるため脚装具を付けていた
・いじめをうける
学生期
・俊足を生かし、アラバマ大学フットボール全米代表選手になる
軍隊期
・アメリカ陸軍に入隊
・命令だけこなす生活でフォレストは優秀な兵士になる
・ベトナム戦争を経験、仲間の命を助ける
卓球全米チーム期
・軍病院の暇つぶしでやった卓球で才能発揮
・卓球全米チームに入り、卓球で世界大会に出場。議会栄誉勲章をもらう
会社設立期
・「バッバ・ガンプ・シュリンプ」を設立
※亡き親友バッバとの「除隊後は2人でシュリンプボートに乗ってエビ漁を始めよう」という約束を叶える。
・アップルに投資し億万長者になり、バッバの遺族に半分、その他色々な場所に寄付した
・母を亡くし孤独な日々を過ごす
漂流期
・ジェニーと再会し別れ、理由もなく何往復もアメリカ横断をする
現在
・ジェニーと結婚、そしてジェニー子供を残して亡くなる。
・ガンプ父親となる
映画の感想
ガンプは生まれつき知能指数が人より劣っていました。他の人より物事を色々深く考えることが難しいかもしれない。しかし彼の「真っ直ぐな性格」で「真っ直ぐ人生を歩んだこと」により、ガンプは様々な経験が出来たのだと感じました。
➀変な欲望もなく、誘惑もなく、お金に執着がありませんでした。結果、寄付活動、投資などを通して、人にも喜んでもらえ、自身は億万長者にもなりました。
②真っ直ぐやることだけに集中したために、大学では俊足を生かし全米フットボール代表、アメリカ陸軍では命令を忠実にやり優秀兵士、暇な時間にやった卓球は世界大会に出るレベルになりました。
③亡き親友の約束を守り、会社設立をしました。
④幼少期に出会ったジェニー1人をまっすぐ見て愛し、結婚し、子供まで設けました。
このようにして考えてみると、映画のサブタイトル・また映画の中で1番最初にガンプがいった「人生はチョコレートの箱、開けてみるまで誰もわからない」という言葉はこの映画のポイントであることが分かりました。
私はこの言葉の意味を「人生は自分がやってみるまで分からない」そして「やると決めたら、その軸を変えずとことんやる」その結果「何かが自分に残る」ということではないのかなと感じました。
自分の性格を活かして日々をまっすぐ生きていくことの重要性をこの映画から学ぶ事ができました。
主題討論
今回の映画で、「ガンプの人生の歩み方」と「ジェニーの人生の歩み方」の違いが印象的でした。
ガンプは人生をまっすぐ生き、ジェニーは流されながら?生きた印象が個人的にありました。
そのため今回はチームごと
1、「ガンプの人生の歩み方」の規定
2、「ジェニーの人生の歩み方」の規定
3、自分はガンプとジェニーのどちらの人生の歩み方をしていて、どうこれから人生を歩んでいこうか、自分をさらけ出してみましょう
今回は伊豆を楽しみながら討論していきましょーーー♪
1:リクリエーション(チーム対抗ジェスチャーゲーム)
2:映画評価・時代背景・内容・ポイント・感想(かつ発表)
3:主題討論(自分を出して深く考えてみよう)
映画の評価
・1994年公開のアメリカ映画
・ 日本公開は95年で配給収入38億円のヒット作品
・第67回アカデミー賞作品賞
・第52回ゴールデングローブ賞 ドラマ部門作品賞受賞
・キャッチコピー「人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からない」
※このセリフは、『アメリカ映画の名セリフベスト100』において第40位!!!
※ちなみに1位は「おれには関係ない」映画名;「風と共にさりぬ」
映画の時代背景
<映画の中で出てきたアメリカの現代史>
1:「フォレスト」
フォレストとは南北戦争時の南部側の将軍でクー・クラックス・クラン(KKK)の創設者、ネイサン・ベッドフォード・フォレスト将軍からとった。母親が、人間は時に愚かで無意味なことをすると言うことを思いだささせるためにつけたとのこと。
クー・クラックス・クラン(KKK)とは白人至上主義団体で、黒人やヒスパニック系を差別した団体。
2:エルヴィス・プレスリー
プレスリーはマリリン・モンローとならび戦後アメリカの象徴的存在で大衆文化の花形。独特の振りで一大ムーブメントを起こす。
3:アラバマ州立大学黒人入学拒否問題
1950年代から60年代にかけてアメリカは公民権運動が活発となる。キング牧師、マルコムXらが黒人差別を訴え、非暴力と暴力とが吹き荒れた。公民権運動は1964年ジョンソン大統領の下で公民権法が制定される。
4:ケネディ大統領
1961年ジョン・F・ケネディが共和党のニクソンを破り大統領となる。在任中は国内では公民権運動が盛り上がり、国外ではベルリンの壁構築やキューバ危機でアイゼンハウアーとフルシチョフが作った「雪どけ」ムードが消え、再緊張となる。またベトナムも戦争が本格化。そして彼はテキサス州ダラスで暗殺される。
5ベトナム戦争
1959年 ~1975年、ホー・チ・ミンを指導者とする北のベトナム民主共和国と、南のベトナム共和国との統一戦争であったが、北ベトナムを中国が、南べトナムをアメリカが支援する東西対立の代理戦争であった。1963年のトンキン湾事件以降介入を本格化させたアメリカは、当初の予想に反して泥沼化する戦争に苦慮し、ナパーム弾や枯れ葉剤などジャングルを焼き枯らすなどしてベトコンのゲリラを掃討していくがソンミ村虐殺事件など数々の非人道的な行為も明らかとなり、国内の反戦運動も盛り上がり結局ニクソン大統領は1973年アメリカ軍を全面撤退させる。その後1975年南べトナム政権は崩壊、南北統一が果たされる。
6:ジョンソン大統領
暗殺されたケネディ大統領を後を継いだ副大統領のジョンソンは、ケネディの路線を引き継ぎ、公民権法を成立させるとともにべトナム戦争において北爆を開始し地上軍を投入、戦争は拡大・泥沼化していく。べトナム戦争の引き際を見いだせないジョンソンは1968年に予定されていた大統領選挙に出馬しないことを表明、戦争を終わらせることができないまま大統領職を離れる。
7:べトナム反戦運動
当時アメリカで盛り上がりをみせていたのが公民権運動と学生運動、そして反戦運動である。この三者は密接につながっている。その共通点として「既存の体制への反抗、体制の破壊」を目的としているところである。これらの運動に多くの若者が参加し、ヒッピーなど一つの文化を形成していった。しかしこれらの運動はまた多くの若者をニヒリズム・アナーキズムに駆り立て、若者の間にドラッグや無分別なセックスなど退廃的な行動が横行する。
8:ブラックパンサー党
公民権運動はキング牧師のような非暴力を訴えた人ばかりではない。暴力的な差別撤廃運動を主張したマルコムX、カーマイケルが唱え、オリンピックの場でも主張されたブラック・パワー、そして革命による黒人の解放を訴え、黒人居住区を警察官から守るための自衛組織として立ち上げられたブラックパンサー党である。
9:ピンポン外交
泥沼化するヴェトナム戦争を終わらせるためにニクソンはどうしても中国との関係改善をしなければならなかった。また中国もソ連との関係悪化からアメリカとの関係改善を模索しており、「空飛ぶメッテルニヒ」ことキッシンジャー大統領補佐官のもと米中関係は改善に向かい1972年にはニクソン訪中が実現する。
10:ウォーターゲート事件
ウォーターゲート事件はニクソン大統領再選のため<に行われた民主党党本部への盗聴事件である。ニクソンは証拠隠滅をはかったが逆に議会や国民の怒りを増幅させ、ニクソンはアメリカ史上初の任期半ばでの辞任に追い込まれる。
※当日簡単にクイズしますよ
映画の内容/ポイント
概要
人より知能指数は劣るが、純粋な心と周囲の人々の協力をえて数々の成功を収めていく「うすのろフォレスト」の反省をアメリカの歴史を交えながら描いたヒューマンドラマ。
幼少期
・大きな愛を持ち、母親のおかげでフォレストはまっすぐ育つ
・背骨が歪んでいるため脚装具を付けていた
・いじめをうける
学生期
・俊足を生かし、アラバマ大学フットボール全米代表選手になる
軍隊期
・アメリカ陸軍に入隊
・命令だけこなす生活でフォレストは優秀な兵士になる
・ベトナム戦争を経験、仲間の命を助ける
卓球全米チーム期
・軍病院の暇つぶしでやった卓球で才能発揮
・卓球全米チームに入り、卓球で世界大会に出場。議会栄誉勲章をもらう
会社設立期
・「バッバ・ガンプ・シュリンプ」を設立
※亡き親友バッバとの「除隊後は2人でシュリンプボートに乗ってエビ漁を始めよう」という約束を叶える。
・アップルに投資し億万長者になり、バッバの遺族に半分、その他色々な場所に寄付した
・母を亡くし孤独な日々を過ごす
漂流期
・ジェニーと再会し別れ、理由もなく何往復もアメリカ横断をする
現在
・ジェニーと結婚、そしてジェニー子供を残して亡くなる。
・ガンプ父親となる
映画の感想
ガンプは生まれつき知能指数が人より劣っていました。他の人より物事を色々深く考えることが難しいかもしれない。しかし彼の「真っ直ぐな性格」で「真っ直ぐ人生を歩んだこと」により、ガンプは様々な経験が出来たのだと感じました。
➀変な欲望もなく、誘惑もなく、お金に執着がありませんでした。結果、寄付活動、投資などを通して、人にも喜んでもらえ、自身は億万長者にもなりました。
②真っ直ぐやることだけに集中したために、大学では俊足を生かし全米フットボール代表、アメリカ陸軍では命令を忠実にやり優秀兵士、暇な時間にやった卓球は世界大会に出るレベルになりました。
③亡き親友の約束を守り、会社設立をしました。
④幼少期に出会ったジェニー1人をまっすぐ見て愛し、結婚し、子供まで設けました。
このようにして考えてみると、映画のサブタイトル・また映画の中で1番最初にガンプがいった「人生はチョコレートの箱、開けてみるまで誰もわからない」という言葉はこの映画のポイントであることが分かりました。
私はこの言葉の意味を「人生は自分がやってみるまで分からない」そして「やると決めたら、その軸を変えずとことんやる」その結果「何かが自分に残る」ということではないのかなと感じました。
自分の性格を活かして日々をまっすぐ生きていくことの重要性をこの映画から学ぶ事ができました。
主題討論
今回の映画で、「ガンプの人生の歩み方」と「ジェニーの人生の歩み方」の違いが印象的でした。
ガンプは人生をまっすぐ生き、ジェニーは流されながら?生きた印象が個人的にありました。
そのため今回はチームごと
1、「ガンプの人生の歩み方」の規定
2、「ジェニーの人生の歩み方」の規定
3、自分はガンプとジェニーのどちらの人生の歩み方をしていて、どうこれから人生を歩んでいこうか、自分をさらけ出してみましょう
今回は伊豆を楽しみながら討論していきましょーーー♪
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