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映画討論準備①整理
投稿日:2017/9/19
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映画「ニューシネマパラダイス」
<あらすじ>(インターネットより参照)
シチリアの小さな村で青春時代を過ごし、現在はローマで暮らす映画監督のサルヴァトーレはある日の深夜、地元にあった映画館「パラダイス座」の元映写技師アルフレードの訃報を聞きます。思わずサルヴァトーレは過去の思い出を回想するのでした…。
第二次大戦時、幼少時のサルヴァトーレことトトが住んでいた村の唯一の娯楽は、パラダイス座での映画鑑賞のみ。トトも足しげく映画館に通いつめる毎日を過ごしており、特に映写技師アルフレードが籠る映写室に入り浸っていました。
当時のイタリアは検閲により、劇中でキスシーンなどがあると神父がベルを鳴らし、そのシーンのフィルムをカットしなければなりませんでした。そのカット技術が巧みだったアルフレードをトトは尊敬していたのです。
最初こそアルフレードはトトを邪魔者扱いしていたものの、次第にふたりの間には世代の枠を超えた友情が芽生え、ついにはトトは映写技師の仕事を習うまでになります。トトはカットしたフィルムを欲しがるも、配給会社に返却する際に元通りにする必要があると拒否されます。
そんなある日、パラダイス座でフィルムが焼けて火事が発生。トトの救出によりアルフレードは一命を取り留めるも、視力を失ってしまいます。代わりにトトが映写技師として働くようになり、成長するにつれ映画撮影に興味を持つと同時に初恋を経験していきます。アルフレードはそんなトトに「外の世界を見て来い」というアドバイスを授け、ローマに旅立たせるのでした。
それから30年が経過し、映画監督となったトトことサルヴァトーレは、アルフレードの葬儀に参列するため故郷に戻ります。かつて入り浸っていたパラダイス座も閉館し駐車場になる聞き、寂しさを募らせていたサルヴァトーレはアルフレードの形見を渡されます。
それは一本のフィルムで、かつて検閲でカットされたキスシーンをつなげたものだったのです。試写室でサルヴァトーレは、ひとり涙をこぼすのでした
<どんな映画だったのか>
主人公トトの心、交流の半生を描いた映画である。
映画が3部構成の少年期、青年期、中年期となっている。
少年期:映画が好きだった少年時代
青年期:映写技師として働きながら恋をした青年時代
中年期:有名な映画監督になったが過去にしばられていた中年期
このような人生を歩んできたが、少年期に出会ったアルフレードの死をきっかけに、今までのアルフレードとの交流から得たもの、そして最後にアルフレードがトトに残してくれたフィルムというのがきっかけで、トトは新たなスタートを切っていく。
ざっくり言えばこういった内容であったと考えます。
<映画のポイント探し>
トトの少年期から中年期にかけてずっと出てくる登場人物がアルフレード。
そして最後のアルフレードからもらったフィルム。
この2つがトトの人生に影響をもたらした、トトを変えたといえるポイントだと感じたので、この2つのキーワードから映画の核心を考えていきます。
<キーワード>
「アルフレード」
「最後のフィルム」
<このキーワードから映画の核心探し>
・牛乳を買うお金で映画を見てしまい母親から怒られているトトを助けた
・仕事のノウハウを教え、映写機の使い方を教えた
・「お前のくるような所ではない」「フィルムはお前にやる。しかし今は預かる。2度と来るな」と言った
・『学校へ行き、勉強をしろ』と小学校をやめて働くと言ったトトを叱った
・王女と兵士の逸話を話す。
・「寂しくても帰ってくるな」と言い、ローマへ行かせた
・フィルムをトトに残した
<なぜトトにそのようにしたのか>
結論から言ってしまえば、トトの事を自分の息子のように愛していたからだと考えました。
本当の親子ではないので親子愛のような友情と言えるかもしれません。
アルフレードは結婚していますが、子供がいません。そんな状況の中、トトはほとんど毎日のように自分の仕事場の映写室に来てくれる、自分の仕事に魅力を感じてくれている、夢をもっている、ほとんど毎日を一緒に過ごし、色んな経験がトトという存在が我が子のような存在になったのだと考えます。そのため、トトには叱ったことも、恋の相談をしたことも、彼の可能性を広げるために背中を押してくれたのだと思います。実際トトに叱った時の経緯は、同じ街に住む子供が映写室に入って来たから叱ったのではなく、当時のフィルムが可燃性をもっていて危険だったため、そんな危険な場所に大切な存在を入れては危ないと感じていたからだと思います。また、トトに映写技師のノウハウを教えた時に学校をやめて映写技師になることを相談してきた時彼に、学校にいくように強く主張していました。これもアルフレード自身が10歳から映写技師を始め、ろくに小学校をいかなく、年老いてからしっかり学校に通っておくべきだったと後悔しているために、トトに勉強するという学びの重要性を強調していました。また、彼が恋に迷ってしまった時も、アルフレードはトトという存在を長い目で考え、彼女との恋を無理やりでも実らせるべきなのか、それとも彼の才能の可能性を広げるのが良いのか考え、彼の恋の辛さを知っていましたが、ローマへ行かせました。またこの時にアルフレードは「自分のような人間になってはいけない」と言っていましたが、それは小さな街の映画館で少ない収入でずっと好きな人と暮らせるか分からない未来でなく、昔から好きだった夢にぶれずに行って欲しいという願いがあったのだと思います。
そのため、このようなアルフレードのトトに対する考え方、接し方、決断、後押しは、親のように愛していたからこそだと考えました。
<フィルムにどんな意味があったのか>
アルフレードが亡くなる時、フィルムをトトに残してくれました。
そのフィルムは昔トトが集めていたフィルムのキスシーンの寄せ集めでした。
トトの少年時代は、戦後まもない1950年頃のイタリアのシチリアにあるジャンカルド村というところで、この村には映画館が1つだけしかありませんでした。この映画館は、今のように個人が経営するというよりは、信者に娯楽を提供するために、教会が運営していました。そのため、牧師が映画を上映前にチェックし、キスシーンやわいせつな部分は鈴をならして、そのシーンをアルフレードがカットしていました。そのカットされたフィルムをトトは内緒で集めていて、少年時代のトトの大切な宝物でした。少年時代のトトにアルフレードが「フィルムはお前にやる。しかし今は預かる。2度と来るな」とあるシーンで言っていましたが、その当時の約束を忘れずにアルフレードが持っていてくれプレゼントしてくれました。
ここから推測ですが、少年期のトトは映画が好きでした。つまり少年期のトトは映画が自分の軸でしたが、青年期から映画が軸でありながらも、エレナという彼女の存在の軸がトトの中に生まれました。ローマに行き自分の軸である映画をやっていきながら、別れたエレナという過去に縛られた人生を送っていた青年期から中年期。しかし、このフィルムを見て、自分は「映画」が好きだったという原点を思い出して、彼女との別れは心残りでなく、過去のこととして考え、映画が自分の中心軸にある今の人生を過ごしていこうと気づかせてくれた物であると考えました。
<結論>
この映画の中でアルフレードはトトに「学びの重要性」を教え、彼の父親変わりとして彼に「愛」を与え、縛られた過去をひきずる彼に「過去は過去として現実に向き合って生きること」を教え、私はこの映画で「人を思う気持ち・思いやり」というのをアルフレードから学び、トトから自分の夢に対して「自分の軸をブレずに進んでいく」ことを学びました。
この「学びの重要性」「愛」「過去は過去として現実に向き合って生きること」「人を思う気持ち・思いやり」「自分の軸をブレずに進んでいく」の5つを1つまとめて、私は、この映画が1番伝えたかったのは「人生の生き方」だと考えました。
<あらすじ>(インターネットより参照)
シチリアの小さな村で青春時代を過ごし、現在はローマで暮らす映画監督のサルヴァトーレはある日の深夜、地元にあった映画館「パラダイス座」の元映写技師アルフレードの訃報を聞きます。思わずサルヴァトーレは過去の思い出を回想するのでした…。
第二次大戦時、幼少時のサルヴァトーレことトトが住んでいた村の唯一の娯楽は、パラダイス座での映画鑑賞のみ。トトも足しげく映画館に通いつめる毎日を過ごしており、特に映写技師アルフレードが籠る映写室に入り浸っていました。
当時のイタリアは検閲により、劇中でキスシーンなどがあると神父がベルを鳴らし、そのシーンのフィルムをカットしなければなりませんでした。そのカット技術が巧みだったアルフレードをトトは尊敬していたのです。
最初こそアルフレードはトトを邪魔者扱いしていたものの、次第にふたりの間には世代の枠を超えた友情が芽生え、ついにはトトは映写技師の仕事を習うまでになります。トトはカットしたフィルムを欲しがるも、配給会社に返却する際に元通りにする必要があると拒否されます。
そんなある日、パラダイス座でフィルムが焼けて火事が発生。トトの救出によりアルフレードは一命を取り留めるも、視力を失ってしまいます。代わりにトトが映写技師として働くようになり、成長するにつれ映画撮影に興味を持つと同時に初恋を経験していきます。アルフレードはそんなトトに「外の世界を見て来い」というアドバイスを授け、ローマに旅立たせるのでした。
それから30年が経過し、映画監督となったトトことサルヴァトーレは、アルフレードの葬儀に参列するため故郷に戻ります。かつて入り浸っていたパラダイス座も閉館し駐車場になる聞き、寂しさを募らせていたサルヴァトーレはアルフレードの形見を渡されます。
それは一本のフィルムで、かつて検閲でカットされたキスシーンをつなげたものだったのです。試写室でサルヴァトーレは、ひとり涙をこぼすのでした
<どんな映画だったのか>
主人公トトの心、交流の半生を描いた映画である。
映画が3部構成の少年期、青年期、中年期となっている。
少年期:映画が好きだった少年時代
青年期:映写技師として働きながら恋をした青年時代
中年期:有名な映画監督になったが過去にしばられていた中年期
このような人生を歩んできたが、少年期に出会ったアルフレードの死をきっかけに、今までのアルフレードとの交流から得たもの、そして最後にアルフレードがトトに残してくれたフィルムというのがきっかけで、トトは新たなスタートを切っていく。
ざっくり言えばこういった内容であったと考えます。
<映画のポイント探し>
トトの少年期から中年期にかけてずっと出てくる登場人物がアルフレード。
そして最後のアルフレードからもらったフィルム。
この2つがトトの人生に影響をもたらした、トトを変えたといえるポイントだと感じたので、この2つのキーワードから映画の核心を考えていきます。
<キーワード>
「アルフレード」
「最後のフィルム」
<このキーワードから映画の核心探し>
- アルフレードはトトに何をした
・牛乳を買うお金で映画を見てしまい母親から怒られているトトを助けた
・仕事のノウハウを教え、映写機の使い方を教えた
・「お前のくるような所ではない」「フィルムはお前にやる。しかし今は預かる。2度と来るな」と言った
・『学校へ行き、勉強をしろ』と小学校をやめて働くと言ったトトを叱った
・王女と兵士の逸話を話す。
・「寂しくても帰ってくるな」と言い、ローマへ行かせた
・フィルムをトトに残した
<なぜトトにそのようにしたのか>
結論から言ってしまえば、トトの事を自分の息子のように愛していたからだと考えました。
本当の親子ではないので親子愛のような友情と言えるかもしれません。
アルフレードは結婚していますが、子供がいません。そんな状況の中、トトはほとんど毎日のように自分の仕事場の映写室に来てくれる、自分の仕事に魅力を感じてくれている、夢をもっている、ほとんど毎日を一緒に過ごし、色んな経験がトトという存在が我が子のような存在になったのだと考えます。そのため、トトには叱ったことも、恋の相談をしたことも、彼の可能性を広げるために背中を押してくれたのだと思います。実際トトに叱った時の経緯は、同じ街に住む子供が映写室に入って来たから叱ったのではなく、当時のフィルムが可燃性をもっていて危険だったため、そんな危険な場所に大切な存在を入れては危ないと感じていたからだと思います。また、トトに映写技師のノウハウを教えた時に学校をやめて映写技師になることを相談してきた時彼に、学校にいくように強く主張していました。これもアルフレード自身が10歳から映写技師を始め、ろくに小学校をいかなく、年老いてからしっかり学校に通っておくべきだったと後悔しているために、トトに勉強するという学びの重要性を強調していました。また、彼が恋に迷ってしまった時も、アルフレードはトトという存在を長い目で考え、彼女との恋を無理やりでも実らせるべきなのか、それとも彼の才能の可能性を広げるのが良いのか考え、彼の恋の辛さを知っていましたが、ローマへ行かせました。またこの時にアルフレードは「自分のような人間になってはいけない」と言っていましたが、それは小さな街の映画館で少ない収入でずっと好きな人と暮らせるか分からない未来でなく、昔から好きだった夢にぶれずに行って欲しいという願いがあったのだと思います。
そのため、このようなアルフレードのトトに対する考え方、接し方、決断、後押しは、親のように愛していたからこそだと考えました。
<フィルムにどんな意味があったのか>
アルフレードが亡くなる時、フィルムをトトに残してくれました。
そのフィルムは昔トトが集めていたフィルムのキスシーンの寄せ集めでした。
トトの少年時代は、戦後まもない1950年頃のイタリアのシチリアにあるジャンカルド村というところで、この村には映画館が1つだけしかありませんでした。この映画館は、今のように個人が経営するというよりは、信者に娯楽を提供するために、教会が運営していました。そのため、牧師が映画を上映前にチェックし、キスシーンやわいせつな部分は鈴をならして、そのシーンをアルフレードがカットしていました。そのカットされたフィルムをトトは内緒で集めていて、少年時代のトトの大切な宝物でした。少年時代のトトにアルフレードが「フィルムはお前にやる。しかし今は預かる。2度と来るな」とあるシーンで言っていましたが、その当時の約束を忘れずにアルフレードが持っていてくれプレゼントしてくれました。
ここから推測ですが、少年期のトトは映画が好きでした。つまり少年期のトトは映画が自分の軸でしたが、青年期から映画が軸でありながらも、エレナという彼女の存在の軸がトトの中に生まれました。ローマに行き自分の軸である映画をやっていきながら、別れたエレナという過去に縛られた人生を送っていた青年期から中年期。しかし、このフィルムを見て、自分は「映画」が好きだったという原点を思い出して、彼女との別れは心残りでなく、過去のこととして考え、映画が自分の中心軸にある今の人生を過ごしていこうと気づかせてくれた物であると考えました。
<結論>
この映画の中でアルフレードはトトに「学びの重要性」を教え、彼の父親変わりとして彼に「愛」を与え、縛られた過去をひきずる彼に「過去は過去として現実に向き合って生きること」を教え、私はこの映画で「人を思う気持ち・思いやり」というのをアルフレードから学び、トトから自分の夢に対して「自分の軸をブレずに進んでいく」ことを学びました。
この「学びの重要性」「愛」「過去は過去として現実に向き合って生きること」「人を思う気持ち・思いやり」「自分の軸をブレずに進んでいく」の5つを1つまとめて、私は、この映画が1番伝えたかったのは「人生の生き方」だと考えました。
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