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四街道店
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らしさ

投稿日:2016/9/30

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Camera;katsu

Codi;oikawa

 

偶然と必然。

偶然とは、何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。思いがけないことが起こるさま。

必然とは、必ずそうなること。それよりほかになりようがないこと。

自分が人生を送っているなかで、日常の生活中に偶然と必然が起こっている。

撮影中にシャボン玉をふけば、シャボン玉が出来るのは必然であり、撮影に来て下さったお客様と外のスーパーでたまたま会ったりするのは偶然と言える。

最近、会社の中で「バランス」という言葉をよく聞く。例えば、自分が幸せを届けるカメラマンになりたいという目的があるのであれば、そうなるための達成しないといけない目標が出てくる。

ただ幸せを届けるカメラマンになるという目的をもち、そのための具体的な計画を立てても、それを行わなければ、考えだけもっていて、何も行っていないことになる。つまり、何も変わっていない。

逆にただただ目的を見失い考えなしに行動していくのは、自分にとっては何かが生まれているようで、うまれていないのかもしれない。

目的と目標は、同時に必要なもので、2つで1つのようなセットのようなものである。目的は過程の中で見つけることができ、目標は結果物というものでみることが出来る。

では偶然と必然も2つで1つなのかもしれない。そういう考えをもつようになった。

ライフスタジオで営業日はいつも撮影をしている。例えば、カメラを握ったときは、こういう写真がとりたい、こういう写真をとるためには、ここに子供にいてもらって、このタイミングでおもちゃをおき、何秒後かにこのタイミングで、こちらの方から声をかけてもらえば、自分が撮りたい写真が撮れる。撮影中、頭の中で瞬時に瞬時に生まれてくるものである。

実際コミュニケーションが取れる年齢になったら大体自分が望むように被写体となる子供達を誘導していくことができる。

実際100%そうなるとは限らないので必然という言葉を使うことは出来ないかもしれないが、自分が必然的になるように誘導をすることは出来ると考えている。

そして自分が思い描いた過程の中で、実際誘導していくと、自分が思いもよらなかったことが撮影の中で起こっていく。それは、子供自身のリアクションであったり、アシスタントの方の声、動きであったり、ママ、パパの声、姿で、そこから偶然的に起こるものがある。

自分がこういう写真を撮りたいとあるが、実際行ってみればそこから撮影に関わってくる人達と共に、必ず偶然的に思いもよらなかった瞬間をみることが出来る。

すごく単純な考えであるが、撮影はこのように必然と偶然が混じり合って出てくると感じている。

そのため、撮影中こういう写真を撮りたいから、このように誘導していくが、その中で、自分が思い描かなかった姿も見たいと思ってしまう。

 

今回のこの写真はまさに偶然と必然が重なりあった瞬間であった。

電車が好きな男の子。撮影前から電車が好きという情報を聞いていて、実際電車のおもちゃを見せると、集中して電車を繋げて走らせる。

子供の写真を撮るときに、いつもママ、パパが見ている姿を撮りたい、ママ、パパが知らなかった子供の姿を撮りたい、より可愛く、より綺麗に、よりかっこよく、ふとした瞬間、表情から見る喜怒哀楽、何気ない行動など、様々な姿を75カットを通してストーリーのように撮っていきたいと考えている。

その中で今回の1枚は、電車で遊ぶのが好きな姿を撮りたいと考えてこの写真を撮った。最初は電車を床の上において、床にはいはいポーズを取りなが電車を動かす写真が撮りたいと思い、電車を床においた。これは、自分の中の考えの中にある、こうなるであろうという大まかな必然を自分の中で作ったのだ。しかしここから同時に偶然が生まれる。

まさかの床に寝っ転がって電車で遊び始めたのだ。自分の中では思いもよらなかった行動であった。もちろん、この瞬間にシャッターを切ったのだが、このように必然と偶然はいつも同時にあるのではないかと考えるようになった。

いつも偶然で写真を撮るのでなく、いつも決められた自分だけのコース、取り方で写真を撮るのではなく、常に探していきながら、その中で必然となる誘導をしていきながら、そこでうまれた偶然も一緒に形に残して行く。

ライフスタジオの大切にしている「共に」という言葉には、人と人が共に手を取り合う姿が理想であり、重要に考えているが、1つものと、もう1つのものが統一されるという、共にという意味もあるのではないのかなと、ふと考えるようになった。

「バランス」というのはまだ、自分が意識していないだけで、知らないだけで色んなバランスが日常生活にあるのではと考えるようになった。

 

そして最後になぜこのように写真を撮ったのか。

電車で遊ぶ様子を写真で収めるので、その姿をアップで撮る方法もあったが、私の中では床で無邪気に好きな電車で遊んでいる様子を伝えたかった。そのために、床を広く移し、プラス、床から上の背景をたくさん入れてしまうと、インテリアに目がいってしまうため、より写真を見た時に、この仕草に集中がいくようにこの構図で撮ったという意図もある。

今回は日常の生活の中で感じるバランスの重要性、撮影中に起こる偶然と必然、というポイントで写真を見てみた。

 

 

 

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