Photogenic
豊川店
愛してるは、見える
投稿日:2024/4/30     更新日:2024/4/30
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私は写真に対して中途半端なキャッチコピーを載せることが大嫌いだ。
理由は二つあって、一つは写真のイメージがその言葉で大きく左右されること
もう一つは、受けても撮影者も自由にイメージを膨らませる権利があるのではないかと思うからです。
私のこの写真は、豊川店を象徴する一枚として
店舗の広告のメインとして使いました。
目にされた方も多いと思います。
この写真は、撮影するときのエピソードや事件性、そういう付加価値を全て取り除いても
「いい写真である」と私が判断した写真だからです。
そしてこの写真に私はコピーを載せました。
コピーは一言。
「愛してるは、見える。」
エピソードはたくさんあります。
また、この撮影は決してスムーズだったとか、特殊な何かを駆使したとかそういう類のものではありません。
全社員が、すぐに再現可能である技法だけを使い
被写体に無理をして食い込まず、フォトグラファーの気配はそこにないものにする写真です。
私が私を主張しないことで、この写真は見るものにとって自由を与えます。
ライフスタジオの写真は、何が魅力なのでしょうか。
ファッション誌から飛び出してきたようなオシャレさでしょうか。
我が子とは思えない都会的な衣装でしょうか。
はたまた、誰も真似できない計算され尽くしたインテリアでしょうか。
私はそのどれもが正解であり、不正解だと思います。
私たちは、作品を一方的に作って提供する人ではないですし
そういう集団になってはいけないと思います。
だからこそ、写真の中にフォトグラファー、もしかするとコーディネーターの気配さえも
何も感じないことがいいのかもしれません。
この写真の主役は、被写体の三人です。
人見知りで泣いた赤ちゃん、慣れたように抱き上げるママ
そして不慣れな一面が見え隠れしつつも愛情いっぱいに一生懸命あやそうとしてくれるパパ
私は冬の光だけで撮りました。
今回のフォトジェニックのテーマは「自由」でした。
それは、どんな被写体でもいいよという捉え方もできますが
私は「自由に撮影するとはどういうことか」「自由な写真とは何か」というテーマだと捉えました。
だから、過去の写真を掘り起こして
私の気配と私のアクが一番見えない、関係性から見る人がたくさんの想像を自由に巡らせることのできる写真を選びました。
写真には奥行きがあること
光は被写体に対して最適なチョイスであること
自然かつ自由なポージングであること
そして、そこに私たちのエゴが見えないこと。
唯一見えることを意識位したとすればそれは「愛してる」という感情です。
「愛してるは、見える。」
これが私の「自由」の最適解です。
studio:Toyokwa
photographer:mari
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