Photogenic
草加店
見えないことの美しさ
投稿日:2017/10/25
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「諦めたらそこで試合終了だよ。」
最近安西先生の言葉が胸に響きます。
自分は諦めてしまったんだろうかと。
「何が起きても揺らぐことのない、断固たる決意が必要なんだ。」
自分の断固たる決意とはなんだろう。
山王戦前の安西先生の言葉に、
自問自答の日々はこれからも続くんでしょう。
スラムダンクは、サッカーをしていた私でも、バスケットがこんなにワクワクできるものなんだということを教えてくれた、所謂バイブル的な漫画だ。
何かに打ちのめされそうになったとき、
いつもこれを読んで自分を奮い立たせていた。
まだできることがあるはずだ。
きっとまだ燃えカスがあって、どこかまだくすぶってるんだって。
ライフスタジオという場所に、本当に未来を見てたから。
この会社が好きだなって思うし、ちゃんと人が作った会社なんだってことを肌で感じた6年だった。
寫眞館の寫眞はもっと自由であるべきだということを、ライフスタジオで学びました。
寫眞館の寫眞はもっと美しくあるべきだということも、ライフスタジオで学びました。
だから私は思うのです。
寫眞館の寫眞とは、もっと人の内面に踏み込んだ、その人の人としてのもっとも輝く何かを撮影することだと。
カメラマンは、その何かを発見するために切磋琢磨しつづけなければならないことなのだと。
人は隠された部分を勝手に想像してしまう習性がある。
だから映画の根幹はただ単に美しい映像よりも、その先にある何かをいつも論点にあがるわけだ。
最近流行りの女優ばっか並べてれば取り敢えず視聴率は撮れるでしょ的考えじゃ、
着飾った装飾品に憧れることがテーマになっちまうてわけだ。
ふかわりょうが言ってた。
テレビの時代は終わったって。
ただのエンターテイメントに成り下がったって。
テレビ自体がもともとそういうもんだそういうもんだと言われればそうかもしれんが、
そうじゃないってテレビの向こう側を信じてたのは確かだ。
後ろ姿やパーツカット等、抽象度の高いイメージカットは、簡単に撮れるものではなくて、具体的な内容がないと奥行きのない薄っぺらい寫眞になってしまう。
薄っぺらい寫眞は、想像力を与える程力を持たない。
記録とか、記憶に残すことだけじゃなくて、寫眞を見た相手が被写体の隠れた部分を想像できるという観点において、ライフスタジオの寫眞は頭一つ飛び抜けていると思う。
それは、人の美しさについて、哲学を通して外面と内面を追求してきたからなのだろう。
君がスタジオに入ってきて、最初によろしくーと声をかけたとき、私のことを怖がったのを覚えている。というか、よく怖がられるから君は間違ってないよ。
撮影をしながら、徐々に距離を縮めていき、最後は一緒にご飯を食べに行こうと、帰るのをためらっていたことも覚えている。
素直で、優しくて、照れ屋で、よく笑う。
手を伸ばす。
シャボン玉を掴む。
それだけの動作なのだけれど、
君の感情がわっと溢れ出た瞬間だった。
後にも先にも、こちらの意図とは関係なく、溢れ出たその感情を寫眞に収めようとしたとき、表情の一部を隠そうと思った。
きっと、君の瞳はキラキラしている。
パパとママの顔を初めて見た時のように。
寫眞は特別なものだということを、私たちは再認識しなければならない。
寫眞は物理的にはプログラムモードでシャッターを押せば撮れるものだけど、
寫眞はシャッターを切るまでの真理的プロセスにこそ可能性を見出さなければ、私たちの仕事は消費という大きな経済の波に呑まれてしまう。
だから、今だから、そういう人が必要なんだよ。
ねぇ、河野さん。
Photo & Written by Kotaro Yatsu
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