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3rd Triple P -acceptance & figuration-
投稿日:2015/6/20
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“人間はどこまでいっても不完全だ。
永久に不完全な生き物だ。
不完全な自分を自ら引き受けることから、全ては始まる。”
永久に不完全な生き物だ。
不完全な自分を自ら引き受けることから、全ては始まる。”
被写体と向き合う時、私は常にその人の真実を知りたいと思う。
真実に向かおうとする過程が、被写体のことを受け入れることになり、
被写体に深く入ることである。
では、他者に向かう自分はどうか。
私は他者の人生に入ることを望む。
しかし、自分自身の人生についてどれだけ真実を語れるのか。
「こう在りたい」とはたやすく言える。
「こう在る」という事実は、全て真心で受け入れることは難しい。
私は私である故に、自分の不完全さを知っている。
でも見ないふりをして生きてきた。
不完全で在ることを、心のどこかで恥じていた。
不完全である自分に、常に憤りを感じていた。
そうして拒絶を繰り返し、どこまでいっても不完全であることは、
私に寂しさをもたらし、そして、不完全な自分を突き放してきた。
「こう在りたい」と思う理想の自分を表現するために、
不完全さを晒すことを恐れる故に、
他者に対して、現実の自分ではなく虚勢の自分を表現したいと思う心は「自尊心」だ。
誰かに自分を全て受け入れてほしいと望む欲求だ。
誰かに自分の存在の在り処を丸ごと引き受けてほしいと思う心だ。
自分という存在はどこまで行っても自分でしかないのに。
自分の人生を生きるのは、自分でしかないのに。
そして、やがて、私は知る。
私の人生の欲求は、「自分として在り続けること」であると。
それは変化を拒むことでは無い。
変化する自分をも、自分で在ると認めること。
私は自らを「被写体」とする。
「被写体」を撮るときに心がけていることは、その「被写体」特有の「美の表現」である。
それは「存在の美」であること。
「存在そのもの」を美しいと感じること。
私自らが「被写体」となるということは、
私自身の「存在の美しさ」を受け入れ、
私自身の「存在」を活かし、「存在」の表現を形作ること。
この自己受容こそが、自分として堂々と生きることの始まりとなることを確信している。
自由に、まっすぐに、自分を見つめることが、
自分自身を終わることのない寂しさから解放し、真に自分として生きていくことになる。
自己の存在を、自分自身で受け入れるということは、
理想を諦めることでは無く、
自分を肯定するだけのことでもない。
否定も、肯定も、してもいい。
だけど拒絶はしない。
自らの不完全さを引き受け、不完全な存在として真っ直ぐに生きていくこと。
それが、他者を拠り所にする「自尊心」ではなく、
存在を自ら引きうけ、自ら存在を立たせる「自尊感」となる。
「飄飄と、凛凛と…」
谷津さんがくれたこの言葉は、
誰にも侵すことのできない自分の存在を、自分自身で立たせることを気付かせてくれる。
心は軽く、歩みは颯爽と、そんな風に自分の人生を生きていくということは、
自分自身をも「美しい」と思うことであり、
自分自身をも「愛する」ということである。
私のセルフポートレートは、
私が見ている「世界」を顕す。
私の「人生」を顕す。
それを他者に表現することによって、私は私の「存在」を形作る。
あなたがこの写真を見て感じたものが、私という存在そのものである。
Essay & Photo by Satsuki Kudo
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