PhotogenicShonan

『 re 』

2018/4/29

572 0

No.24  Lifestudio Shonan
Photo by Masashi Kuroki
Coordi by Mayuko Hara
 
 


私自身、あまり写真に撮られるという事が好きではありません。
これは幼い頃から思っていることで、写真に写っている自分の姿がどうも好きになれず、写真に写ると画になる人いわゆる「写真写りが良い人」を羨ましいなと思っていたものでした。
しかし、そんな自分でも唯一撮って欲しいと思う時はギターを弾いている時の姿でしょうか。
その瞬間は自分自身が最も夢中になっている時でもあるので写真に残して見てみたいと思ったりします。
ではなぜ、その瞬間ならば写真に残したいと思うのか?
私はギターを弾いている自分が格好良いとか思えるほどナルシストではないのでそういった事ではないのですが、その写真自体が「イメージ写真」のようなものになっているからだと感じています。
おそらく自分が写真の中でイメージ化される事により、主体が自分ではなく抽象的なものとなり良い意味で自分がぼやけるから良いと思えているのでしょう。
 
ここまでは写り手側の話でしたが、ここからは撮り手側の話に移っていきます。
「イメージ写真」これはライフスタジオの写真の中でも欠かせないものです。
ライフスタジオの75枚の写真が構成している要素は大きく二つに分類することが出来ると考えます。
それは「説明写真」と「イメージ写真」です。
 
説明写真とは、カタログなどの商品の写真の中でその商品の全景を写すものがそれであり、その商品がどういうものなのかを一目瞭然とする写真です。
これをスタジオの写真の中で例えるとするならば、ご家族全員が白壁の前に立ち皆でこちらを見ている全身写真などがそれにあたるでしょう。
家族の容姿や身長、家族構成などが一目瞭然である写真です。
一方、イメージ写真とは、私自身一口に言うのは難しいと思っているものですが、一言で表すのならば「想像を膨らませやすい写真」という事もそのひとつだと思います。
想像を膨らませやすい写真、例えば、よちよち歩きの赤ちゃんの後ろ姿。
この後右に進んだのか?左に進んだのか?はたまた倒れて泣き崩れたのか?振り返って笑ってくれたのか?そもそもその後ろ姿は泣いているのか?と、見る人によりそれぞれの想像を膨らませます。
それらの想像を全て合わせて「可愛い」というイメージ写真になっているのです。
 
しかし、そのイメージ写真はなんとなくでは成立するものではありません。
なんとなくうつむいている少女を撮ればイメージカットというのはとても薄く感じどっちつかずの写真になりかねません。
だからこそまず撮り手側のイメージが必須となってくるのです。
しかし、イメージという言葉は広範囲の意味を持っている分、具体的には考え辛いものです。
そこで、例えばその大きなイメージというものをどんどん細かくしてゆき、その細かくしたものに全て言葉を付けていきます。
そうすることで自分の中でのその写真に対するイメージが言葉として決定します。
「何が?何の為に?どうしている?」といったように一度言葉を使って具体化したものをイメージ写真として切り取り直すという作業をすることでそのイメージ写真が意味を持ち始めます。
ですが、あくまでもイメージ写真である以上、見た者がそのイメージを膨らませられる余裕を持たすこともまた重要であると思います。
そしてここからが撮り手側としての面白いところであり悩むべきところの話になります。

一つは「フォーカス」です。
いわゆるピントをどこにもっていくか?という事ですが、元々、一点に焦点をもってゆくことでそのイメージ感を増幅させるために長いレンズを使用しています。
この写真の瞬間で合わせるフォーカスとしてはいくつか存在していて、母の指輪、子どもの指、そして子どもの横顔があります。
とても微々たるものではありますが、時にそれはその写真の意味をも変えてしまう事があるので多いに悩むべきところでしょう。
そこでその瞬間に悩んだあげく私は子どもの指にフォーカスを合わせました。
それには母が女性としての再認識をする事と同時に母としてのこれからを一枚に表したかったという意図があるからです。
余談ですが、これがもし自分の個人的な作品としての写真であったとするならば子どもの前にゆっくりと落ちていくシャボン玉にフォーカスをあてていたかもしれません。

二つ目は「なぜ横写真で捉えたのか」です。
この場合、子どもを中心に縦写真で捉える方が凝縮してスマートな写真になるかと思いますが、横写真としてフレーミングを大きく取ることで子どもに少々の孤独感を与え、くっついているのだけれど親と子どもの分離を図ったという意図があります。
こういった瞬間が、私としては撮影の面白みを最も感じる瞬間であり、頭の中で脳というハムスターが滑車を漕ぎまくっている瞬間でもあります。
 

この写真にあるご家族はご結婚後数年が経ちその記念も含めてドレスを身に纏い撮影となりました。
いわゆるこれは「リマインド・ウェディング」と呼ばれるものでもあり、母になった女性がもう一度一人の女性としての自分を再認識することを意味します。
湘南店では今後の取り組みとして「リマインド・ウェディング撮影」を計画しています。
現在、それに向けて皆で準備を重ねている最中ですがそこでこういった話が上がっています。
「どういった写真がリマインド・ウェディング写真なのか?」
家族写真ではなく、ウエディング写真でもないリマインド・ウエディング写真とは?
今後その撮影をしていく上でおそらくここでも大きな役割を持つであろうイメージ写真。
そのイメージの具体化を多く持つ事がこれからの準備としての重要なポイントであろうと考えています。

総括して私が思っていることは、説明写真は元々被写体が具体的であるのに対し、イメージ写真は被写体が具体的ではない分撮り手側が具体的に捉えていなければならないということです。

 


「そもそも人はなぜ写真を残すのか?」
それは常に想像をする生き物だからであると私は考えます。
過去を振り返りこれからを想う。その想像をするために「写真」がなくてはならないのです。
『 re 』とは、リトライ、リスタート、そしてリマインドの re 。
いつの日か再び何かを思い出せる写真、そして再び想像を膨らませることが出来る写真、それが「イメージ写真」なのではないでしょうか。













 

この記事をシェアする