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『 一滴の雫 』
投稿日:2018/4/29
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「一滴の雫」
Life studio Shonan
Photo by Masashi Kuroki
Codi by Mayuko Hara
暗い鍾乳洞の中にひっそりと溜まる水たまり。
それはそれは静かで何の雑念も無い静寂の中である。
月あかりだけが差し込むその冷たい水の水面に一滴の雫が落ちた瞬間、「ポッタン」という音がした。
今回は、このような「イメージ」をどのように「写真」へと反映させていくか?
そして、その写真にはどのような意味が含まっているのか?
そういった話をしていきたいと思っています。
まず、写真においてだけではなく、これは絵でも音楽でも、人に対する行為にでも共通することですが、
イメージだけではなかなか「理想の結果物」として成立させることは難しいと私は考えています。
なぜならば、イメージと結果物は自然には直結しないからです。
そのイメージと結果物との間には「それとそれとを繋げる工程」が存在しています。
ですが、対外の場合その工程を軽視してしまいがちになり「感覚」というある種ぼんやりとしたものに頼ろうとしてしまいます。
「良い写真が撮れない」と悩んでしまう時などはこういう状態に陥っている場合が多いのではないかと感じます。
しかしながらこれは当然なことでもあり、「料理」に例えれば分かりやすいのですが、「美味しい料理を作りたい」そんなイメージだけでは美味しい料理など作ることは難しいでしょう。
そこで次の瞬間この工程を踏むことになります。
「何を作るのか?」と、いくつかの候補を上げ「決定」します。
そして「食材の買出し」に行き「調理」をします。
料理の場合この工程を踏む事で美味しい料理へと繋がっていくでしょう。
つまり「美味しい料理」と「良い写真」とをイコールとするならば写真においてもこの様々な工程は必要となってくるのです。
もちろんただ一回作っただけ、一回撮っただけでは美味しい料理にも良い写真にもなり難いため、やはり繰り返し繰り返し実践していくことも必要でしょう。
それでは写真においての工程に関してですが、これは話していけばキリがないほどに沢山存在しているので今回は「イメージ」を主として話しているのでその中のいくつかをピックアップします。
まずは今から撮るその写真の「ジャンル」を絞ること。
いわゆるテーマとも近いかもしれませんが、それが愛なのか生なのか、ドキュメンタリーなのかフィクションなのかなどを選択し、そのジャンルに「イメージ」をもしくはイメージにジャンルを重ねます。
そのイメージは細かく説明ができればできるほど意味を含んだ写真へと繋がっていくと思っています。
そしてそのイメージと今、目の前にあるその状況とを重ねどれだけリンクさせることができるか。
この場合、よりイメージとのリンクをさせるためにはこのふたりを離した状態からはじめるのか、くっつけた状態ではじめるのかそのどちらでもない状態であるのかを考えました。
そして彼らの行動を予測しその時私は冒頭にあるイメージをこの瞬間に重ねました。
私がこの写真で表現をしたかったことは「彼らの事実」です。
一生懸命にふたりを愛する父と母。
そしていつでも元気でいっぱいな子供たち。
しかし時にふたりは静寂な瞬間も作り出す。
そこには子を育てることの幸せ、喜び、そして苦悩などたくさんの事実が詰まっている。
ふたりに言葉の会話がなかったとしても、そこにある事実は決して変わることはない。
それは、「ふたりが兄妹であるということ」
私はそんな事実を残したかった。
一見当たり前に思うようなことであっても、色々な角度から感じ、イメージをし撮りつづけ悩みつづける。
私のその気持ちは変わることはないでしょう。
静寂の中、妹が動きはじめ兄を離れたその瞬間、私の頭の中には水面に一滴の雫が落ちる音が響きわたりました。
Life studio Shonan
Photo by Masashi Kuroki
Codi by Mayuko Hara
暗い鍾乳洞の中にひっそりと溜まる水たまり。
それはそれは静かで何の雑念も無い静寂の中である。
月あかりだけが差し込むその冷たい水の水面に一滴の雫が落ちた瞬間、「ポッタン」という音がした。
今回は、このような「イメージ」をどのように「写真」へと反映させていくか?
そして、その写真にはどのような意味が含まっているのか?
そういった話をしていきたいと思っています。
まず、写真においてだけではなく、これは絵でも音楽でも、人に対する行為にでも共通することですが、
イメージだけではなかなか「理想の結果物」として成立させることは難しいと私は考えています。
なぜならば、イメージと結果物は自然には直結しないからです。
そのイメージと結果物との間には「それとそれとを繋げる工程」が存在しています。
ですが、対外の場合その工程を軽視してしまいがちになり「感覚」というある種ぼんやりとしたものに頼ろうとしてしまいます。
「良い写真が撮れない」と悩んでしまう時などはこういう状態に陥っている場合が多いのではないかと感じます。
しかしながらこれは当然なことでもあり、「料理」に例えれば分かりやすいのですが、「美味しい料理を作りたい」そんなイメージだけでは美味しい料理など作ることは難しいでしょう。
そこで次の瞬間この工程を踏むことになります。
「何を作るのか?」と、いくつかの候補を上げ「決定」します。
そして「食材の買出し」に行き「調理」をします。
料理の場合この工程を踏む事で美味しい料理へと繋がっていくでしょう。
つまり「美味しい料理」と「良い写真」とをイコールとするならば写真においてもこの様々な工程は必要となってくるのです。
もちろんただ一回作っただけ、一回撮っただけでは美味しい料理にも良い写真にもなり難いため、やはり繰り返し繰り返し実践していくことも必要でしょう。
それでは写真においての工程に関してですが、これは話していけばキリがないほどに沢山存在しているので今回は「イメージ」を主として話しているのでその中のいくつかをピックアップします。
まずは今から撮るその写真の「ジャンル」を絞ること。
いわゆるテーマとも近いかもしれませんが、それが愛なのか生なのか、ドキュメンタリーなのかフィクションなのかなどを選択し、そのジャンルに「イメージ」をもしくはイメージにジャンルを重ねます。
そのイメージは細かく説明ができればできるほど意味を含んだ写真へと繋がっていくと思っています。
そしてそのイメージと今、目の前にあるその状況とを重ねどれだけリンクさせることができるか。
この場合、よりイメージとのリンクをさせるためにはこのふたりを離した状態からはじめるのか、くっつけた状態ではじめるのかそのどちらでもない状態であるのかを考えました。
そして彼らの行動を予測しその時私は冒頭にあるイメージをこの瞬間に重ねました。
私がこの写真で表現をしたかったことは「彼らの事実」です。
一生懸命にふたりを愛する父と母。
そしていつでも元気でいっぱいな子供たち。
しかし時にふたりは静寂な瞬間も作り出す。
そこには子を育てることの幸せ、喜び、そして苦悩などたくさんの事実が詰まっている。
ふたりに言葉の会話がなかったとしても、そこにある事実は決して変わることはない。
それは、「ふたりが兄妹であるということ」
私はそんな事実を残したかった。
一見当たり前に思うようなことであっても、色々な角度から感じ、イメージをし撮りつづけ悩みつづける。
私のその気持ちは変わることはないでしょう。
静寂の中、妹が動きはじめ兄を離れたその瞬間、私の頭の中には水面に一滴の雫が落ちる音が響きわたりました。
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