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新百合ヶ丘店
アクロポリス-哲入門第第11章-直観的知識
投稿日:2012/4/23
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第11章-直観的知識
ラッセルの‘哲学とは何か’…
それなりに‘哲学’の理由を簡単に解説しているというこの本に毎度挫折する自身を発見する。
内容がますます難しくなるたびに私は反抗するになり疑問を投げる。
いったいその‘実在’を探すことがなぜ重要なのか?
普通の人々は実在など眼中にもなくて、かえって分からなくても何の不便なことなく生きないか?
実状机の実在がなにかという質問よりは机がいくらの交換価値を持つかが主な関心分野という状況でその興味は近く差し迫ることができないためだ。
理由がどうであれ私は久しぶりに再び本を広げた。
現象と実在。
この中‘実在’の存在の有無と存在する姿に対する議論は多様な返事を引き出す。
なぜなら私たちの感覚とは独立的に存在する‘実在’は現象と違い簡単に把握されることができないためだ。
もちろん実在が持つ確実性を探求するためには感覚に依存した経験的な現象から始まらなければならない。
しかしこの時の認識を助ける‘センスデータ’はあくまでも間接的に事物の属性一部だけを把握できるだけ‘実在’ということはできない。
基本的にすべての知識は私たちの本能的な信念に基づいて構成されなければならないという点を‘自明’するためにはこの本能的な信頼が合理的なことだし、その信頼の信頼性が攻撃受けてはいけない。
うん...。
結局、エラーを減らすための‘信頼に対する批判的検討’が持続的に成し遂げるべき実在に近接できるということだ。
誰でも認めてしまう‘科学’、‘物理学’、‘数学’をありのまま受け入れれば入れるほどエラーに陥ってしまう事に気を付けようというのだろうか..
プラトンの絶対的知識(イデア)だけ存在するならばどれ程良いだろうか?
すると哲学がもう少し容易になったであろうが…今日一緒にこのような否定的な姿も‘哲学’をしているという証拠であろうか?
このような否定的な姿にもいつかはこういう話をする日が来るか?
それでも“一握りの実在を得た”と。
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