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新百合ヶ丘店
Gustave Courbetギュスターヴ・クールべ-石を砕く人
投稿日:2011/11/13
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今見れば、新しいことがないこの絵。
庶民の日常生活を芸術に昇華させた絵と作家はいくらでもあふれ出る世の中だ。
だが、この絵が世の中に出てきた時の1849年には事情が違った。
論議を越えて十分に革命的だったことだ。
当時は高尚な絵は必ず高尚な人物を描くべきで労働者や農民は風俗画にでも適用される対象であった。
芸術というのは徹底して美しさのためのものという価値観が社会風潮であった。
そのために貴族好みの甘美で軽快な美術がその時代の画風を掌握していた。
上の絵‘石を破る人’を調べよう。
絵の中に出てくる二つの人物は社会の郊外で生きていく労働者、具体的には採石場で作業をしている少年と老人だ。
重労働を耐えられるにはかろうじて見える、その上古くてほつれたシャツとチョッキを着た幼い少年と老人をモデルに、つらい労働をしながら生きていかなければならない庶民らの人生を克明に見せている。
こういう姿は党時代の現姿を見せている。
しかし貴族や支配層の考えはこれを認めていない。
芸術は貴族だけのことでなければならなくて、美しくなければならないためだ。
そして自分たちが見せたくない社会のまた他の体面を保つ勇気が無いためでもある。
クールべの‘世の中の祈願’という作品も詳しく見たくない世の中を風刺して批判した絵で有名な理由だ。
それではクールべはなぜこういう主題の絵を描くのだろうか?
次の話で彼の思想が分かる。
“私は社会主義者だけでなく民主主義者で、共和主義者です。 一言で話して革命の支持者で何よりもリアリスト、すなわち本当に本当の真の友です。”
彼が‘社会主義者’で自任することになったところは無政府主義者のプルドンの思想に接することになったのが大きかったと思う。
プルドンの思想を受けたクールベにおいて生と芸術のリアリティーは形態や色彩、感情と個性、そして想像力などにあるのではなくブルジョアらで搾取される庶民らの人生と彼らを凄惨な現実に追い出している非人間的な社会中にあった。
すなわち彼の‘写実主義’は単にその時代の姿を知っていることだけでなくそうすることを土台に前に社会が進む方向を悟って行動するということだったのだ。
芸術家である以前に人間であることを自覚したクールベ
知性的自由のための方便で絵を選んだ彼はお決まりの技法と古い養殖らを取りはらう端緒を提供した。
また、クールベのリアリズムは西洋美術史にあって芸術家が‘何をなぜ描くべきか?’という問題を社会的現実から探そうとした最初の流派だったという点で大きな意義を持つ。
そのために現実を直視して正確に描写するのは彼が絵を描く理由だったかもしないだろうか?
“私は天使を描かない。 それを一度も見たことがないからだ。私が天使を描くことを望むならば私に天使を見せてくれ”
“リアリズムの世界にはショッキングなこととはない”
ブルジョアに絵で正面勝負を展開したクールベ..
私は彼を‘芸術界のマルクス’と呼んでみる。
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