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新百合ヶ丘店
私を見る。
投稿日:2011/10/31
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今月の主題…写真で自身を表現しなさい..
写真で自身を表現するということは本当に難しい。
カメラを持っていれば何をとるべきかが果てしないからである。
何か自分自身の主題を持って写真を撮らなければなければならないといつも話してきた私が自分の主題を捉えられずどぎまぎしている。
1997年大学のカメラ授業で自分自身を表現した写真という主題で写真を演出したことがある。
からまっている針金と金網の間でゆがんだ自身の顔を持ち出して、おかしなポーズとった。
何か素晴らしくなければならないという‘青春の美しさ’に焦点を合わせた誘致した写真であった。
自身を表現したと話しながらその写真を見る時ごとに恥ずかしくて破りたい衝動を感じた。
多分、課題という圧迫と成熟でない表現性の失敗だっただろう。
そしてその演出された写真での自身は自身でないという恥のためであろう。
歳月が流れて…全く一緒である主題の写真を撮らねばならないとは…。
上の写真は三番目の息子の写真だ。
構図、構成、露出、どれ一つまともに表現された写真ではない。
おむつすることが嫌いで逃げるという話を私たち夫婦だけが共有している極めて私的な写真だ。
しかしある日この一枚の写真で心奥深いところで上がってくる何かに殴られる気持ちを感じた。
昔の自身の姿がオーバーラップされてそれに微笑んでみたり、理由なくに涙が出てこようとして、何か感謝の念を抱いたり、愛を感じたりもする…複雑で重い心の中の動揺。
昔我が家にはアルバムが一冊あった。
両親の若い時期、姉達の子供だった時の写真、私の子供だった時の写真など。
カメラがなかった時代…両親が誰かにカメラを借りたりしながら写真を撮ったのであろう。
そのために10年間の写真がただ一冊のアルバムで整理されていた。
実際に二番目の姉は自身の子供の頃の写真が2~3枚しかないことに不満を吐露する程に写真の量は少ないものであった。
そうなのだろうか。
私はその写真らを一枚一枚ほとんど記憶している。
そしてその記憶は私だけの記憶でない私たちの家族の思い出の共有というものであることは間違いない。
以前父が三番目を見ながら“君の二才の時と全く同じだなぁ”言っていた事があった。
それと共に“君が二才の時おしっこをもらして逃げた写真を覚えているか?”と。
もちろんだ。
わずか何枚しかなかった私の子供時の写真を記憶していないはずがない。
煉炭を使った昔の台所。
そしてそこでいたずらな顔をして逃げている姿。
その姿を父はとても大切に記憶していた。
そして.. 36年後の三番目の写真。
そのことには36年前の私の姿がそっくり含まれていた。
ただ一枚の写真で思い出が共有される瞬間、そしてまた共有が始まろうとする瞬間。
両親と子供との関係、そしてカメラマンと自身との関係、また写真を見る人々との関係。
その時の私がいたのでその関係性は次の関係性を作り出す。
思い出は現実を作って現実はまた他の思い出を作る。
写真の中の主人公はその時その姿そのままであるが、実際に主人公(私)は変わって行く。
悲しくなったり大変だったり嬉しかったり..
だが重要なのは私自身は一人ではなかったし今後も一人ではないということだ。
両親の関係でもそうだったし私の子供達もそのように愛を受けたり与えたりもしながらそのような関係の中で生存して行くという事。
そしてもう一歩出て、私とからまっている社会。
そのような関係のためにお互いに支えあう人生はこの世の中に存在する価値がある意味ある人生であろう。
だから人の幸福の90%が人間関係にかかっているという話がある。
私の価値観と考え方、習慣と文化は私たちの両親から受け継いだ。
そして私の価値観と考え方、習慣と文化は私達の子供たちに影響を与えるだろう。
いつか両親が亡くなって私たち夫婦が亡くなっても、私と両親は残った者たちの生活の中で生きていく事となる。
ある人は言う。
“過去と未来は存在しません。 今あなたには現在だけが存在します。 現在に忠実にして下さい。”と。
しかし私は果敢にこの言葉に反対する。
30代後半の私であっても両親の前では寝小便をした子供二才の姿で存在すると。
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