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新百合ヶ丘店
[忘れえぬ人」1883年 イワン・クラムスコイ
投稿日:2011/10/23
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イワンクラムスコイはロシア社会主義リアリズムを作った‘移動派’の先頭的な存在であった。
フランス語を話すことが王室と貴族の自慢でヨーロッパの文化を憧れて享有することが自慢だった19世紀ロシア、
零下40度の寒い冬にも絵を持ったまま列車でシベリアのあちこちを通う人たちがいた。
彼らは‘絵は皇帝と貴族など支配階層のために存在するのではない”として“貧しい農民も、奴隷も絵を感想と評価する権利がある”と叫んだ。
彼らがイワンクラムスコイを中心にした‘移動派’だ。
そのような理由でクラムスコイは貴族や皇帝などの支配階層の絵を描かなかった。
平凡なロシアの大衆的な姿を描いたのだ。
クラムスコイの‘忘れえぬ人’.
この絵のタイトルは色々な意味で翻訳されることもできるが、‘未知の女性’というタイトルにも呼ばれている。
この未知の女性の肖像はよくトルストイの小説“アンナ・カレーニナ”のアンナ・カレーニナを描いたものという。
肖像画を契機にトルストイとクラムスコイは二人の芸術家はお互いの人格に魅了されたという。
当時“アンナ・カレーニナ”を使っていたトルストイはクラムスコイをモデルでミハルコプという人物を小説の中に創造したというと互いに影響をたくさん受けたことは確実だ。
こういうトルストイとの関係、そして小説の中のアンナの姿とあまりにも似ていた彼の作品の女性は‘アンナ’と多くの人々が予想をした。
しかしこの作品が発表される時みんなが慌てたという。
自身の絵に対していつも真剣に説明したクラムスコイはこの作品に対しては一言も言わなかったためだ。
結局最後まで画家は絵の女が誰なのか明らかにしなかったし美術史家が画家のメモと日記を探してもどこにも言及がなかったという。
言葉どおりクラムスコイが付けた題名…’未知の女性’である。
それではこの絵を調べよう。
絵の魅惑的な美人は高い馬車の上で観覧者を見下ろす。
絵をどの高さにかけようが彼女が見下ろすから私たちは畏敬だということを持って見上げなければならない。
それでも身分的に私たちが畏敬心を持って見なければならない位置の人物ではないだろう。
上で見回してみたようにクラムスコイは大衆的な絵を描いた‘移動派’であったためだ。
したがって私たちはこの絵を19世紀ロシアの大衆的時点で観察しなければならない。
18世紀ヨーロッパの肖像画らとは違った意味と魅力があるということだ。
王家と貴族の誇張されて美化された観点を抜け出した大衆的現実を。
傲慢に半分ぐらい閉じて見下ろす目と鼻筋がとおる鼻、赤い唇で個性が明確で自意識が強いと思った女性も見られる。
ちょっと見れば貴婦人のようだが、また、そんなに断定するのも難しい。
実際にこの絵が発表された時かなり論議があったという。
絵の女性が売春婦ではないのか? でなければ貴婦人がからだを売っているのか?
当時にはかなり猥褻に受け入れられたとする。
私たちはこの絵を通じて彼女に会ったことだけ同じ錯覚を持つようにする。
雪が降ったモスクワの初冬ある日、雪に覆われた通りを馬車に乗って走って少しの間私の前をかすめて行った彼女。
悲しくて寂しい瞳。
ただ一度のかすめて行く目つきが縁を考えるようにする。
王族や貴族と同じように近付くことはできない畏敬だということに混同して近付くことができる魅力というものに再び混同する。
彼女は名前も分からない未知の女性…言葉どおり分からない事実がこの絵をさらに神秘にさせる。
女性の左側席の主人公は誰か?
女性はどこへ行くのか?
でなければどこで帰ってくるのか?
画家が愛した女性、でなければどんな関係があった売春婦、または、貴婦人を描いたことだろうか?
女性の冷たくて傲慢な表情にもかかわらず、あまりにも美しい姿にとって多様な考えと質問をするようにする。
もしクラムスコイがこの絵の女性に対して説明をしたならばこういう多様な解釈が出てきたのだろうか?
今日も美術の妙味に陥ってみる。
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