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新百合ヶ丘店
逆に読む世界史
投稿日:2011/8/26
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私が逆に読む世界史という題名を初めて見た時は現代から始まって過去に帰って世界史に目を通す方式だと思った。
だが、本の初めて明らかにすることのように左翼の目で世界史を叙述したのでその間右翼の史観の反対に、逆にという名前が付けられたのだ。
マルクス主義社会主義革命などの開始から各国の大きい事件を中心に解いていっていて、実際に幼かった時はレーニン、毛沢東などが"社会主義者"であるために無条件悪い人だとばかり思っていたが(もちろんライフ スクールでの教育が世の中を見る目を広げてくれたことだ。)労働者と資本家、軍閥、あるいは王から、あるいは外勢から解放させた功績も大きいという事を知ることになった。
かえってイ・スンマン韓国初代大統領や蒋介石の様に"反社会主義者"だが列強について自身の権力を独占しようとする人々がさらに悪いということができるし、スターリンのような社会主義の仮面をかぶった独裁者とは区分をしなければならないだろう。
序文中引用..
“ここに選択された現代世界史の色々な事件は人間が不公平な社会関係の抑圧から自身を解放させる過程を明らかに見せる。 また、それが少数の英雄でなく多数大衆の集団的で組織的な力によって成り立ったことを、人間が社会関係の付属物でなくその主人であり、少数英雄や支配階級でなく不公平な社会関係義解苦痛を受ける多数大衆が社会歴史発展の主人であることを明白に見せる。 “歴史発展とは何か?”という疑問に対して東西古今の多くの思想家がそれなりの解答を提示したことがあるが現代世界史の主要事件は人間が、そしてますます多数の大衆が社会の抑圧を破って自身の意志に立って社会を改造していく過程であることを証明する。 いかなる社会的抑圧と不平等も永遠なのはなくて、人間の集団的意志と実践によってそれを改造することができるという真理でこそ“歴史発展とは何か?”という質問に対して歴史それ自体がおりる解答である。”
著者ユ・シミン氏はこの本の構想を大学校に通う時に色々なデモ、闘争をしながら小部屋で隠れて立ったという。
したがってあまりにも左翼的な内容で歴史をわい曲したり自身の思想が照らされるのではないかはっきり調べなければならないだろう。
序文で明らかにしたように彼の思想は人間の集団的意志と実践が歴史を変えると断言しているということに対する疑問もそれで開始すると見ることができる。
“歴史は現在と過去の間の絶え間ない対話”というE.Hカーの言うように、暴悪な独裁者が国家競争力上昇神話を引き出した偉人になったりもする。
このように歴史を見る観点は非常に多様な中で、非常に大衆的歴史書物の‘逆に読む世界史’の歴史叙述が公平かは確実でない。
ところが著者は私たちが普段には接近するのが難しかった歴史的事実に対しとても興味深くて、教訓的に扱っている。
思想と政治指向に関係なしで数年にかけて着実に愛されているのもそれを証明する。
この前9.11主犯オサマ・ビンラディンが米国の特殊部隊の作戦の末に射殺されたというニュースに接した。
オバマ、米国大統領は彼の死でこの世の中により一層安全になったと話した。
果たしてそうか?
幸い私たちは‘歴史は何か’で偏狭な歴史に対する思想は危険だという結論を下したのでこの問題にも媒体に振り回されない。
イスラム勢力と西側の対立はまだ根本的問題が解決されなかったのでひとりの不在が終わりでないことを私たちは知っていることだ。
このように最大限偏見ない事故思考で世の中を正しく見るために最も重要なのは偏食しない読書と考える。
一つの見解にだけ世の中を眺める誤りを防止できるということだ。
この本で話すことが真の歴史なのかどうかは確信できない。
しかし私たちが今まで学校で習ってきた‘注入式歴史’よりははるかに興味を誘発させて歴史というのは独自の歩みでない順次的という事実にあるということにこの本の価値を充分だと考える。
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