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新百合ヶ丘店
悪いサマリア人ら
投稿日:2010/11/26
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今日全世界は伝統的な国境の意味がたくさん消えていくという世の中を経験している。
もちろん個人が国境を越えるためにはパスポートが必要だが、ひとまずパスポートだけあるならば特別な許可なしで簡単に国境を行き来することができるし、さらに重要なのは該当国家に行かなくても自身が願う情報を得ることができるという事実であろう。
これは通信と運送手段の発達、いいかえれば技術の発達によって多くの人々が難なく他の国の消息を聞くことができるということだ。
このように人的、情報資源問題なく国境を行き来することができるのと同じように資本主義の源泉になることができる資本の移動もやはり簡単に成り立っている。
脱冷戦時代をたどりながら開かれた世界化時代は経済の概念が国際的に変化することになったし、その中心には理念の勝利者の米国が位置していることだ。
米国の理念というのは他でもない'資本主義の正当性','新自由主義信奉'で世界化、いいかえればグローバル化において必然的な装置ですべての国に奨励されていることだ。
'悪いサマリア人ら'という書籍はこれに全面的に反論する本だ。
聖書でサマリア人らは旅人に悪いことを日常行う邪悪な人々に出てくるという。
それに対する比喩的表現で貧しい国々に金持ち国々は悪いサマリア人らとしてどんな悪いことをするのか著者は実証的な例を土台に資料を調査するとみられてくれる。
私たちが先立って読んで討論した'レクサスとオリーブの木'は新自由主義と経済自由主義の妥当性を、それは受け入れなければならない宿命だと叫んでいて600ページを越える負担感で私たちを洗脳しようとしたのではないか?
'悪いサマリア人ら'というレクサスという新自由主義を強く批判している。
英国や米国、日本などいわゆる先進国らが金持ち国になることができた背景には自由貿易でなく保護貿易の中で自由市場経済でなく国家主義政策を使ったので可能だったという事実に注目している。
例えば国家の関税を高く付けて自国の産業を保護して、外国資本は無防備でなく対策をたてた後に持ってきているということだ。
自国の経済が安定していて落ち着いてから関税を低くし、外国資本に寛容になりえたということだ。
結論的に貿易の自由化は経済発展の原因でなく経済発展の結果というものだ。
金持ち国家は結局自身に有利で利益を追求できる自由貿易と市場第一主義論理を開発途上国らに強要している。
極端だがこの本ではWTO,世界銀行、IMFを3大悪の軸だと力説しているのも相当な説得力を発揮する。
ただしこの本は国家の経済発展に対してのみ重点を置いている。
経済発展だけが人間が追求する唯一のユートピアではないだろう。
しかしこの本を読めばバランスが取れた見解に共感できる部分が多い。
韓国、ソウルではG20(group of 20)の真っ最中だ。
G20というのは先進経済国(G7)と先進新興13ヶ国を含んだ20ヶ国が集まって多者間金融協力のために定期的に持つ国際会議だ。
遺憾ながら米国、IMF、世界銀行の力が大きい影響力を発揮するという危険が存在する。
そのようにために新自由主義に立った自由貿易に対する話題はずっと続くだろう。
それによってG20が開かれる各都市ごとに大小の反対デモが絶えず広がったりする。
'レクサスとオリーブの木'が正しいのか'悪いサマリア人ら'が正しいかは後で歴史が証明してくれることだがそれを正しく認識するために努力しなければならないのは私たちでないか?
片側に偏らないで中立的な立場で世界の流れを理解しようとするなら'レクサスとオリーブの木'を読んで、'悪いサマリア人ら'を精読することを推薦する。
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