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新松戸店
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『動』

投稿日:2011/7/29

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平成23311日、私は千葉のスタジオにいました。体に揺れを感じたのはこれが初めてではありませんでしたが、徐々に大きく、体験したことの無い揺れがもう少しで自分に恐怖を感じさせる少し前に揺れは収まりました。

その日は震災の際に『家族で撮影できる日が今日しかない』と3時間遅れて来店されたお客様の撮影が終わってみたら夜の10時を回る頃でした。

その日の様々な出来事が頭の中で纏まらず、被災地の情報が頭の中にメディアを通じて毎日入って来て、精神的にまいってきた頃に、『自分は現地に行こう』と自然に思っていたように記憶しています。数週間ニュースと同時にツイッターでのつぶやきが画面にあがり、恨み、人を馬鹿にする言葉、卑下し、ふざけ、笑い、迷い、悲しみ、哀れむ言葉が数えきれないほど上げっていました。その情報の共通点は『客観』です、東電の会見で焦り、汗をかき、言葉が濁り、言葉を噛む度に『あいつは誰だ、何考えているんだ、死ね、下がれ、変われ、名前は何だ』と偽名で投稿される様子は世の中の出来事を題材に人間がまるで毒を垂れ流しているようにしか思えませんでした。

そして、思うことはそれだけではなく約七年前の故郷である新潟での大震災、もっと前の阪神淡路大震災も私が何もせず動かなかった事を思い出させました。そのことは誰も知りませんが自分は自分の意思で何もしなかったことを知っています。今回は偶然にも機会が持て現地に行くことで想いを行動にすることが出来ました。きっと今の私には背中を押してくれる素晴らしい友人達がいるからです。何が出来るのか? 考える事よりも、時には何ができるのか探す行動が必要です。

この大震災ではTVの映像や聞こえてくる話以上の凄まじい現状がありました。初めて現地に行く途中に大きな地震を受け高速道路の閉鎖で迂回することになった松島からの町並みの様子に車内に驚きが言葉にならない沈黙を流しました。廃墟のようで、まだ人の生活がはっきりと感じられる空気感が私たち全員を包んでいました。『写真館に何が出来るのか』答えがでる前に、『人』としてできる事を探しに現地に行きました。いつ復興できるのか?素人の私には予測すらできない規模の災害に現場では明らかに人が不足している状態でした。床をはぎ、ヘドロに浸かった住宅から何十枚もの畳屋、電化製品を運びました、数週間前まで生活に使っていたあらゆる家財道具がゴミとなりました。私たちが数日で出来ることはあまりに小さく無力のようにも感じられましたし、欲しい物があるとすれば当時は何をおいても人だったと思います。それにまして被災者以上にボランティアは守られていて時間や天候に大きく左右され安全の確保優先の為に作業を何度も中断させることがあり思ったように活動できないこともありました。仮に3日間では移動の時間を入れると活動できて7時間くらいでしょうか、4度行ったボランティアによって活動の難しさをあらゆる面において痛感しました。ボランティアする側の経済とボランティア活動のバランスと長く続く復興支援を考えると特定の誰かが奮起することだけでは超えられない厚い壁がそこには存在していました。この問題は震災に運良く合わなかった私達全員で解決する事だと思わずにいられません。生きる為に働き、お客様の幸せの表現者として私たちが営んでいる『写真館』、なぜこの現状で我々の活動が予想以上に広がりを見せることができなかったのか。しかし私は行動しなかった人に対して何か意義を唱えたい訳でもなく、ましてや非難する資格を持ってはいません。これから長く続くであろう復興作業に私自身もどう関わっていけるのか今はまだ解りません。ただ現地では性別、年齢を問わずできるだけ沢山の人を求めていたことが現実としてありました。

また現地のNPOの活動団体が何十人ものボランティアを現地に派遣して長期で活動する姿を見る度に、団体のスペルに『世界』を意味するWORLDの『W』を見て私たち写真館はワールドではないという空しい気持ちに私の感情が動いたことを忘れることができません。現地に行き自分が何者であるか、よくも悪くも知ることができたことが私にとって良かったのかも知れません。初めに私と一緒に現地に行ってくれた仲間は日本人ではなく、言わば日本から見たら外国人の写真館仲間でした。彼らと現地で語らい、違う価値観や民族性を時には受け入れながら以前より共通意識を感じることができました。それと同時に私の写真館仲間がこの場所にいなくとても寂しかった事を覚えています。 良い時も悪い時も分かち合えることが仲間であり『共に生きよう』と思う仲間に会えたのもこの写真館という世界でした。私は必ず仲間と来ようとその後声をかけ何度か活動に行きました。応えてくれた仲間にはとても感謝していますし、ボランティア活動がほんの少しでも進んだこと、遠方の仲間で行くことで大変東北の方が喜んでくれたこと、、、いろいろな想いに感謝をしています。これから繁忙期に入り自分を取り巻く環境も大切にしながら行動力と主体性を持っていくことを私自身に希望しています。

今も継続的に活動している東北の長谷川さん初め素晴らしい友人、先輩に敬意を表します。最後に亡くなられた多くの方のご冥福と今も普通がままならない被災者の皆さんの復興を願っています。また私も東北に行きたいと思っています。

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人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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人を、人生を写しています。

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