Photogenic
下関店
feel your life.
投稿日:2018/6/20
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「今日がいつかになったとしても
その時もまた、しあわせでありますように」
いつも、いつかを想いながら。
*
写真を撮るためだけにカメラを握っているわけでも、自分が豊かになりたいからお店をやっているわけでもなく、
なぜわたしはこのスタジオという場所で写真を撮るのかと考え続けた時に出てくるのは、やっぱりいつも変わらず、いつかのため、となります。
いつかのため、という漠然とした言葉は、いつまでも、自分が自分としてこの世界の中で生きていくため、というものでもあります。
いつからそんな風に思うようになったかと言えばきっと、写真を撮ることに夢中になった高校生の頃、
ただただ、写真を撮りたいと思う人たちがいて、その人たちと写真を見かえしてはバカみたいに笑っていて、
ただなんとなく、うまれてはじめて、生きててよかったと思えたからかもしれません。
この世界に生きているという感覚は多少ある、けれど、生きていてよかったと思える感覚を、
カメラを通してリアルに感じられたのがはじまりだったように思います。
生きている。生きていく。
生きていける写真を残していくこと。
写真を勉強したいと、高校の頃に担任の先生に進路相談をしたらそれ以降口を聞いてもらえなくなったことも、
担任を押し切って写真科を専攻したもののもうフィルムの時代は終わってデジタル化になりすぐにカメラマンの需要も仕事はなくなると言われてきたことも、
はじめに就職した広告スタジオでも何人も何人もカメラマンから本当に写真が好きだったら仕事としてやらないほうがいい、写真は趣味でやるくらいがちょうどいいと言われてきたことも、
ずっとどこかに「写真なんて」そんな言葉が見え隠れしていて、ずっとモヤモヤしていました。
それでも「写真なんて」という諦めよりも、「写真だからこそ」という理由をずっと探しては、しがみついていたように思います。
写真とは何か。
それはずっと今でも考え続けていることでもあり、それと同時にいつも、この世界とは何か、社会とは何か、人間関係とは何か、人生とは何か。
すべてが繋がっていて、答えがありそうで明確ではない何かをずっと探し続けては、日々の暮らしの中や撮影の中で人や社会に対峙しながら学ぶこと、気付くことも多くありました。
ただ、考えれば考えるほどに訳が分からなくなることも、自分の思考として考えているようなことがすべて違ったのではないかと愕然としたこともあって、一度、その「写真だからこそ」という希望を手放そうとしたこともありました。
それでも今、ここにいることができるのは、諦めさせてくれなかった人がいたからこそであり、同じ気持ちで一緒にいてくれる人がいるからであり、
そしてこの場所で出会う人たちと写真や写真館としての価値というものを一緒に感じ考え続けることができているからだと思っています。
下関店がはじまるまで、不安しかありませんでした。
下関で・・・とか、今の自分に・・・とか、その理由を書けば書くだけ出てくるし、今思えば恥ずかしくもなるので省略しますが、
毎日毎日ここで何が出来るのか考えては何をしていくべきか分かるのに自信がなくなっていくようなそんな毎日。
節々がちがちなわたしと、下関オープン3日前に合流したようちゃんの元へ、はじめてのお客様として来てくださったのがこの家族でした。
わたしたちのことも知らない、わたしたちもそのご家族のことを知らない。
だけど、下関店の予約開始がはじまってすぐに最初の予約を取ってくださり、
下関からずっと離れた場所からオープンの日、1番にやってきてくれました。
・・・・パンを持って。
下関店のはじまり。
撮影を始める前に、みんなで床に座ってパンをかじりながらお互いの色んな話をして、なんというか、あぁ、これだったこれだった、って心が解凍されたような、救われたような気がしました。
どんな風にわたしたちが存在していきたいのかを、ちゃんと思い出させてくれた家族。
そこには、写真だからこそ、という理由も、写真館だからこそ、という理由も、結局は写真だけでなく、という理由が明確にありました。
あれから丸3年。
一昨日の撮影。会うのはもう何回目なんだろう・・・
どこにいても何をしてても、声も届くし、気配がする小さい小さいスタジオの中だからこそ、みんなの様子に目をこらしてみると、
2歳だった男の子は5歳になって何でも会話を拾ってくれるし、弟はおしゃべりが上手になって怪獣のように元気だし、確実に変化が分かって、何をしようかイメージしつつ、
思い返せば、3人家族の頃みんなで歌ったり踊ったりしてたなぁ・・・と思い出して、今回のはじまりはみんなで歌を歌いながらのスタートにしました。
4人家族になってから下の子も一緒にこんなに一歌えるようになったんだなぁとしみじみ。
外だと少し恥ずかしくて思いっきり歌えないけど、ここは家族のオンステージ。
(ちなみにわたしたちも一緒にいつだって気付けば歌っています。)
ドラえもんを歌うだけで、普段どんなふうに家族で過ごしているのかが見えてくる。
家族でひとつの歌をうたう姿にも、その距離感にも、家族が家族として表れてくる。
スタジオはスタジオだからこそできることや捉えられる瞬間があるのだとまた感じます。
一緒に反響しあって、一緒に汗だくになって、一緒に休憩して、一緒にできあがった写真を見てまた笑いあう、数時間の中での一連のリアルなライブ感も、
編集作業なしですぐに写真を見てお渡しまで出来るからこその流れでもあり、すごく大切にしたい流れでもあります。
1話完結だけど、常に次を考えてしまうような。
撮影のたびにいつも一緒に何か食べて、ここ最近の撮影はいつも手作り弁当をこしらえてやってきてくれてみんなでワイワイ撮影後に食べて、
一昨日の終盤はこどもたち差し置いてダイエット法を教え合い、最終的には2018年度の忘年会まで決めて解散というそんな撮影。
一緒に過ごす時間がとても気持ちよい。そんな毎日です。
いつだったか、とあるお母さんから言われた言葉があります。
「ここはしあわせな家族が来る場所なんでしょう?」
「うちなんかが来ていいの?」って。
その言葉を聞いた時に、わたしも手塚さんもすぐ違和感を感じたものの、すごくリアルな言葉だとも思いました。
写真館ってそんな風に思われているものなのか・・・と。
しあわせだから写真を撮りに行こうと思うのか・・・?と。
「しあわせな家族ってどんなんかわたしたちもはっきりは分からない。
分からないけど、みんなしあわせそうに見えて大なり小なり悩みも苦労も絶望もある。
それが家族なんじゃないですかね。。。
ここでみんな話していくのはしあわせな話よりも苦労話を聞く方が多いですよ。うちはそんな場所です。」
*
feel your life.
「今日がいつかになったとしても
その時もまた、しあわせでありますように」
いつも、いつかを想いながら。
*
これが下関の主題としてはじまりからずっとあるものです。
しあわせがなにかは、まだはっきりは分からない。
けれど、しあわせとはなにかを考えながらふとそう感じる瞬間が見える。
写真が写真として残るというよりも、そこに感度が残っていてほしい。
生きてきた感覚として。
この場所で過ごす中で、自分を大切に、そして大切な人を大切だと感じられれば。
それがきっといつかにつながっていくと願っています。
shimonoseki
kawano yoh
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