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小山店
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自由と感謝2

投稿日:2018/5/22

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兄とはいう存在はいったい何をもって兄と言えるのだろう。
4人兄弟の中の長男であった僕は、その答えが分からなかった為、兄という自分の立場が誰かの為に、自分のやりたい事を犠牲にしないといけないという思いから、自分が兄であるという立場が大っ嫌いであった。
それは常に弟達の模範とならなくてはいけなかったからだ。

今だからこそ、兄が何故模範にならないといけないのか、理解する事ができる。
早く生まれた分、弟達より色々な面で多くの面をで経験している。
経験をしているからこそ、何が良くて、何が悪いのかを知る事ができるが、子供の時これらを知ることはできても、理解する事はできない。
だから、少年期僕自身が兄という立場以外の1人の男としての部分や、友達の中での自分など、全てを含めて自分だと視野を広げる事ができなかった。

そんな自分は何をもって自分と言えるのだろうか?兄としてではなく、キクチ マサクニとして生きたいと思いながらもできずにいて、自分の存在理由を探せずにいた。

兄としての自分を捨てて自分だけをみる事をしていた僕は、必然と弟との接し方が分からないようになった。
だから兄が弟や妹を思いやる姿は、理解する事ができないでいたが、
何故かそれが良くみえ、自分もそうしたいと感じた。

その様な幼少期を過ごした私の中では、兄弟写真を撮るときとても悩んでしまう。
それは、兄は弟や妹や姉に何をすれば兄らしいのかが分からないからだ。
そんな私に衝撃的な出会いが訪れる。
それが、せいちゃんとの出会いだ。

男2人兄弟で長男のせいちゃんは、私の姉を思い出させる。
始めてあった時の挨拶はごく普通の挨拶だった。
恥ずかしがり、自分を中々だそうとしない部分。しかし弟はそれとは正反対で社交的であった。

撮影が始まると自由奔放な弟のけいちゃん。
その姿をみて兄のせいちゃんは、ちゃんとしろと言う姿はまさに兄の鑑である。
それと同時に、せいちゃんのソロ写真を撮っている時は1人の男性として、そして1人の子供として自分らしさを出す姿は、自分の魅力を存分に出してくる。
僕の中での兄という概念をひっくり返すせいちゃんに惹きつけられた。
それは、兄=犠牲という考えであった僕とは、真逆であったからだ。
何をするにしても親からはお兄ちゃんだからという言葉で、自分を捨てないといけないと考えていたが、
せいちゃんはそうではなかった。
兄=与える。

せいちゃんに聞いた事がある。
お兄ちゃんって人はどんな人だと思う?
せいちゃんは、即答で(与える人)だと答えたのだ。
与えるという事は、自分が与える事を知らなくてはいけない。それは自分が経験して何を与えられるのかを知らなくはいけない。
それは、自分が一歩踏み出さないといけない。
兄としての自分が全ての自分ではなく。男としての自分、子供の自分、母親と接している自分、全てが自分であることを知らなかったが、せいちゃんは、きっと知っているから与えるという言葉がでたのだろう。
その事をちゃんと理解しているせいちゃんは、僕にとって理想的な兄である。
そんな、せいちゃんに見習い、自ら一歩踏み出して与えていこうと思います。

多くの事を教えてくれてありがとう。
また会える日を楽しみにしてます。

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それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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