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小山店
選択と判断と決断
投稿日:2017/11/27
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この前プライベートライアンを久々に見た。
とても自分自身にためになった映画ので、そこで感じた事を書いてみた。
戦争映画ほど決断した結果が明確に見える物はない。
瞬時に変わる戦況の中で一瞬の決断の遅れが戦況を左右する。
それは間違った決断をしたら生命がなくなり、正しい決断は生命を維持する。この映画は決断力の重要性を問う映画ではないかとみる。
私達が生きているこの世界も常に決断の連続でできている。
例えば、旅行でホテルに向かう道中、道を間違えてナビが指す道から外れてしまった。ナビが再検索により導きだしたルートは渋滞ではあるが正規ルートに戻ることができる。
そしてもう一つはナビにはない獣道ではあるが、渋滞をさけてルートに戻る事ができる。
こんな時私達はどの道を使うだろうか?安全な道か・不明確な道か。小さな決断ではあるが、このような些細な決断や大きな決断は私達の日常に存在している。
決断をする為には、選択と判断が重要になる。安全な道を選択して、判断してみると目的地に到着する事ができるが時間がかかり旅行時間を削る。
獣道を選択したら早く着くが、果たして車が通る道なのか判断する。
どちらが自分にとって最善の決断なのか。それは自分の信念により導きだされるのではと考える。
信念がある人の決断は、自分が決断した事について後悔はしない。しかし、信念がなければ後悔に終わるだろう。映画のセリフでこのような言葉がある。
「たった1人を助けるために8人が命を懸けるとは」 byリチャード・ライベン一等兵
命の価値を考えさせられる言葉であるが。リーダーであるミラーは人の命は何物にも変える事ができない。人の生命はそれ程尊いものだと自分の中にあり任務を遂行する。
信念はその人の生きる為の活力である。よく信念は一つで、何かすごいものだという認識があるが、信念もまた私達の日常と一緒にあるといえる。
信念とは、人生体験によって得た確信のことではないだろうか。
別の言い方をすれば、自ら生きることによって自ら得た智恵だ。
どちらかと言えば、信念は知識のように頭で得ると言うより、汗や涙や悲しみや苦しみを通した体得ではないだろうか。
理性のレベルに留まっていたのでは信念は得られない。
理性のレベルではむしろ信念を見失う。。信念は孤独や絶望といった肉体的レベルまで堕ちなければつかめない。
だから、1度信念を曲げても、またそこには新しい信念があるという事になる。
信念を曲げるとき、必ず決断を迫られる。どの道にいくのか?その道でどのように生きるのか?絶え間なく繰り替し生きていかなくてはいけないのだ。。。
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