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大宮店
フレーミング
投稿日:2024/12/8     更新日:2024/12/11
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何を写し、何を写さないのか。
雲ひとつない快晴の空。少しひんやりとしてきた朝方の空気と、季節外れの昼の温かさ。
それでも太陽の位置は少しずつ低くなってきて、秋特有の鈍く温かな光がスタジオに入ってくる。
まるで重みがあるかのようなその光は、人も物もすべてを温かく包み込み、じんわりとした温度を感じさせてくれる。
私は秋のあの温かで優しい光が好きだ。
私たちカメラマンは、カメラを通して世界を覗く。
そこに見える世界は、私だけの特別な世界。
覗く人が変われば世界は変わる。
私は何かを見て、そして何かを感じて、それをどう写真に残そうか考える。
その時私はひとりの私としてではなく、私を含むさまざまなつながりの中で世界を眺めている。
それは過去でもあり現在でもあり未来でもある。いろんな経験や関係性を通して私が形作られているように。
大げさかもしれないが、私の撮る写真はそういったつながりの先にできた結果物だと思っている。
であればこそ、私たち撮影者はよりその事実に目を向けて自らを省みる必要があると思う。
写真は自分を投影したものであるから、自分の写真を見るということは、自分と向き合うことになる。
私が撮っているものは何なのか。私が撮りたいものは何なのか。何を感じ、それをどう形にしたいのか…。
写真行為は孤独なものなのかもしれない。だからこそ共有し共感を求めるのかもしれない。
写真が好き。私は未だにこの言葉を使うことができない。めんどくさ人間だなと自分でも思う。
でも掘り下げてみるとやっぱり私は写真というものが何なのかを分からないまま、
それを好きだと(嫌いだと)はっきり言うことができない。写真は、私にとって本当に難しい存在だ。
写真を撮ることはとても主観的な行為だ。なぜなら私が良いと思ったものを写真に残し、そう思わないものは残さないからだ。
では私の写真の行きつく先は自己満足なのだろうか。別にそれが悪いとは思わないが、どこか違うような気もする。
それがたぶん、素直に「写真が好きだ」と言えないボトルネックになっているのかもしれない。
カメラを覗いて写真を撮る。そんなことをかれこれ9年くらいやっている。
最近写真を撮っていてようやく分かったことがある。写真って楽しいなと。
9年経ってその楽しさに気づく私はやっぱりめんどくさい人間だなーと思う。
自分の撮った写真を改めて見たとき、その背景にあったのは色んな人の存在と思いだった。
写真を見つめているとまるであの時の一場面が再生されるかのように、楽しい思い出が呼び起こされる。
笑い声やその表情、楽しく会話するみんなの姿や子どもたちを見つめる親御さんの目線…。
正直思ったようにいかないこともよくあるけど、それもご愛敬。泣きっ面にハチのような表情さえもかわいく見える。
私は今日も明日も「何を写し、何を写さないのか」を迫られている。
でも一歩踏み出してみると景色は変わる。同じ場所に立っていても見える景色は変わらない。
小さな一歩でも9年たてば結構変わるものだ。今日も明日もめんどくさい私であることには変わりないかもしれないが、
そんな自分とゆっくり向き合いながら、写真とも向き合っていきたい。
フレーミングってなんだろう。
日々出会ういろんなご家族様、一緒に撮影に入る同僚。
その人たちが関わることで生まれるさまざまな瞬間。
そしてその瞬間を私なりに写真として残すということ。
まだまだ答えは分からない。
写真:上田
コーディ:たいちゃん(前田)
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