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大宮店
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写真を疑う

投稿日:2018/12/15

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真を写すと書いて写真。そんな写真に普段何気なく触れてきた。

生まれた時には既に存在していて、小さい頃当たり前のように写真を撮ってもらっていたし、

修学旅行の時には使い捨てカメラを片手に何も考えず目の前の風景を切り取っていた。

デジタルの時代になっても私にとって写真は記録としての道具だったと思う。

時間が経って昔の写真を振り返ってみると、やっぱり懐かしいものだ。

 

 

それがこの仕事を始めて少しずつ写真に対する考え方が変わってきた、というよりも

少しずつ関心の矢印が向いてきたという方が正しいかもしれない。

というのも、実は私はそこまで写真に興味がなかったし、そこまで好きな訳でもなかった。

では今はどうかと言われると、写真の持つある一面に対して面白いなと感じているのが現状だ。

 

 

日々スタジオでは綺麗な写真が生み出されている。そして美しさはある程度の技術と知識があれば作り出せる。

それは今後、技術革新によって更に一般化するだろう。更に単に綺麗な写真は今、簡単に見つけることができる。

ネットに掲載されている無数の美しい写真たちは、数秒間人々の目に留まってはどんどん流されていく時代だ。

美しい写真が大量生産され、そして大量消費されていく。その価値は相対的に減少し、いつかは飽きられていく。

 

 

真を写した写真が一体どれだけ存在しているのだろうか。写真は基本的にうそつきだ。

しかし、それはあたかも真であるかのように私たちに迫ってくるからやっかいだとも感じている。

現に私は世の中に溢れている綺麗な写真に魅了されては、どこかで何かが磨り減っているような実感がある。

嘘が織り交ぜられた美しい「写真」たちは、私にとって刺激が強すぎるのかもしれない。

 

 

写真は本来光で絵を描くという意味で、光画と訳された時もあった。

私もそっちの和訳の方がしっくり来る上に、気が楽だと感じている。

そしてどちらかというと綺麗さとはまた別の側面に魅力を感じる。

たぶんそれもまたいつかは飽きられていくのだろうけれど…。

 

 

写真は今や多様で、こうでなければならないということはない。

自由にシャッターを切って自由に加工してみたり、

その楽しみ方や解釈の仕方は本当に無限大だと思う。

 

だから私はあえて今までの「写真」を疑う必要があると感じている。

もちろん途中でこんがらがって訳が分からなくなることもあるけれど、

それでもそうやって写真を楽しんで行きたいなと思う。

 

 

 

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