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家族写真(Finder10)
投稿日:2018/5/28
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私が写真を撮る時に、撮れたら良いなと思う中のひとつ。
それはその人が自然な姿であり、写真としても整っているということ。
目的地への道のりはたぶん沢山あって、スタジオでも日々色んなことが起きている。
それは例えば時間だったり場所だったり、体調だったり気分だったり、
撮影に入る人が違えば、そこで交わされる会話も違ってくるし、その一言によって何かが変わってくる。
実に様々な要素が互いに絡み合い、時に反発しながらも常に変化していく。
全てのことが大切なのだと思いたいが、そのひとつひとつを拾い上げていては
いくら時間があっても足りない。増してや二度と訪れない瞬間を残すことは難しいだろう。
撮影は選択の連続だ。選択するということは、多くのものを捨てるということでもある。
写真はよく引き算だと言われるが、カメラを握ってファインダーを覗いた瞬間からそれは始まっている。
目の前で変化していく景色のその一瞬をどう写真として残すのか。
その一瞬の精度を高めるためにカメラマンは技術を磨くのだろう。
またそれと同時により多くのものの中に美しさを見出せるとより良いと思う。
美しいという言葉の概念は思った以上に自分自身の思考に影響を及ぼす。
私たちは言葉によって縛られることもあれば、言葉によって豊かになることもできる。
自身の信じる美しさだけを追求し、それを深めていくことも面白いことだと思う。
しかし、その美しさの中にも未知な側面があり、最初は分からなかったとしてもそれを認められた時、
今までとは違った新しい眼で世界を眺めることが出来るようになる。
そうすることで結果として選択の幅が増え、撮れる写真の数もだんだんと増えてくる。
だが全てを自然の流れに任せていては短い時間の中で残せる写真は限られてくる。
だからある程度はセッティングが必要だったりもするし、誘導や予測する力が必要になる。
ただそれではがんじがらめで人は緊張してしまう。力みは様々な部分で不自然さを生み出すだろう。
四肢が長い大人になればなるほどその影響は顕著に写真に現れやすい。
家族写真は全体としてのバランスもそうだが、それぞれ個々のバランスも重要になる。
また、手の置き方ひとつでも関係性が変わって見えてしまうのだから奥が深いと思う。
より自然な姿になってもらうための何か。それが言葉なのか、パーソナルスペースなのか、
時間なのか、その場の雰囲気なのか、それはその時々によって、またその人によって違うが、
だからこそ撮影者は自身を含めたその状況をよく観察しなければならないのだろう。
何がその人にとっての自然なのか、また自然になれていないのであればその原因は何で、
何を選択すべきなのか。その選択は常に撮影者に委ねられていると思っている。
写真は全体で見た時、お父さんを中心に家族が三角形になるよう人の配置をしている。
次に弟君をどこに入れるかだったが、お兄ちゃんがたまたま抱っこできると言ってくれていたので、
そうしてもらうことになった。この時点でも写真は撮れたが、
このままでは少し硬い印象を受けたので、弟君を中心とした家族の意識の誘導を行なった。
この時かけた言葉や撮影者側のアクションははっきりと覚えていないが、
あえて被写体と撮影者の距離を作ることと、
その時起きたちょっとしたハプニングによって姿勢が上手い具合に崩れた。
フレーミングという選択としては、よりその時ひとりひとりの表情や仕草にフォーカスを当てるため、
頭と足が少し切れる程度に寄っている。もっと寄ればそれはまた違った写真になっただろうが、
私個人としては崩れた姿勢が作る三角形も綺麗に思えたため、あえてクローズアップは選択せず、
それぞれひとりひとりの体のラインがぱっと見て分かるようなところで切り取った。
新しく増えた家族を中心に皆が笑顔になれた瞬間。
日常のちょっとした出来事だったとしても、
それを綺麗に写真に収めることが出来たらいいなと思っている。
奥が深い家族写真。
文章を書きながら、そもそも私の中の家族写真と言う言葉自体、
とても狭いものなのかもしれないなと感じている。
もっと楽しくもっと自由に。
広く深い家族写真の世界をこれからも探索していきたい。
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