Photogenic
水戸店
客観的
投稿日:2013/4/11
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写真とは主観的なものなのか?客観的なものなのか?それとも両方なのか?
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主観的な撮影とはなんだろう?
自分には花が汚く見えて、意図的に花が汚くみえるように撮影をすること。
自分には花がきれいに見えて、意図的に花がきれい見えるように撮影すること。
どちらも主観的な撮影になると思う。
花がきれいか汚いかは事実ではなく、どちらも主観的なのだろう。
つまり『自分の気持ち』が入った見方を『主観的』なのだろうか。
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客観的な撮影とはなんだろう?
花は植物であるという図鑑のような撮影をすること。
誰がどう見ても変わらない事実を撮影することなのだろうか。
ベッヒャー夫妻が撮影した建築物写真は客観的だと思う。
陰影が排除される曇天を選び、水平のカメラ・アングルで撮るという方法化された撮影である。
つまり『自分の気持ち』を交わらない事実が『客観的』なのだろうか。
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私はどちらかというとイメージを先行させた主観的な撮影をしていたし、写真とはそういうものだ思っていた。
光やモノ、インテリア、レンズの特性を活かし、自己中心的な撮影をしていたし、本来の被写体が持つイメージを壊している気がしていた。
だが客観的に撮影しようとするとどうしても簡素でつまらないものになってしまう気がしていたし、ありのまま事実を撮影するという意味がわかっていなく、難しくて主観的な手法を選んでいた。
どちらが良いとか悪いとかの話ではなく、自分がなぜ主観的にしか撮影(事実を誇張したような撮影)ができないのだろうかということだ。
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よく見て、観察して客観的な撮影をすることで、被写体がもつ美しさ見えてくる時もあると思う。
ただただ撮影する。
ベットに座っている子供が帽子を持って、ベットの下に落とそうとしている。
という事実を鏡に映したように正確に水平に撮影する。
最近、正確に事実を写した写真のほうが、根本的な部分が見えてくるのだと感じる。
なぜ子供はベットから帽子を落とそうとしたのか?という部分が。
私は、モノを下に落としたらどうなのだろうか?という生きる為に必要な知恵をここでつけるのだろう。遊ぶことは生きることなのだろうと私は考える。もちろん他に違う意見を持つ人もいるのだろう。
私の主観的な撮影は、撮影者の考えを反映させすぎて、写真を見る側の印象を縛っている気がした。
自然に逆らわずただ撮影するという難しさ。
私は、まだまだ写真のことをよくわかっていないのが事実で、わからないことに知を求め探すおもしろさがあるのも事実だ。
もっといろいろ挑戦してみよう。
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