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理想
投稿日:2013/4/11
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理想というのは、将来の自分に対して最高の状態を求める現実的な目標である。
誰にでも「理想」というのがあるのではないでしょうか。
私は結婚もしていないし、子どももいない。
私のようなこれから結婚をするのであろうとする人たちは、様々な理想を想像し夢を見ることが少なからずあるのではないだろうか。
家族みんなで食卓を共にしその日あった一日のなんでもないような出来事を、皆で笑いながらビールを飲むことや、晴れた日の休日には巨大なテーマパークではなく、どこにでもあるような公園に行き、木陰の下で100円ショップのシートを広げラップに包まれたおにぎりや冷凍食品の唐揚げや甘いだし巻き卵を食べながら、EOSkissで写真を撮ったりすることを私は理想としている。
しかし、理想は抱くがいったいどうやってそうなれるのかは私は考えることはなかった。
理由は単純で、まだ家族がいないからである。
そのためには理想を求める活動が必要であるが、私にはどのような活動をすれば理想の家族になれるのかよくわからなかった。
将来の私の家族は理想とかけ離れた状態になっているのではないのだろうかと不安になる時もある。
だが私はこの家族に出会い「家族」について少しわかったような気がした。
こうあるべきなのだ。と・・・
言葉でうまく表現するのが難しいのだが、この家族には「躊躇」「遠慮」「恥」というものが、家族の関係性のなかでまったく感じられなかった。
一人一人が「家族」というものに向かって裸になって身を投じているように私は感じた。
撮影前に服を選択する時も、最終的には子どもが選択することが決まっているのだが、子どもと同じ立ち位置になって遠慮することなく家族みんなできちんとした意見を交わしたり、家族写真を撮影する時も大の大人がカメラを目の前にしても恥ずかしさの一切もなく全力で私の要求に応えてくれた。
撮影後に家族とスタッフが共に撮影した写真をスライドショーで見るのだが、一枚一枚の写真に対して賛美の言葉をまるでシャワーのように躊躇なく画面に浴びせかける。
これほどまでに子どもにとって嬉しいことはあるだろうか?
ある人から見れば、特別なことがないように見えるかもしれないが、私にとっては心臓がドクンっと音を立てて上下に揺れるような衝撃を受けた。
それはなぜか?
私には、人や環境によって態度を変えたりすることが多々あり、自分の本来の状態・・・つまりは人前であろうが環境が変化しようが、この家族のように裸になって身を投じる覚悟も勇気もない人間だからだ。
理由は他者に嫌われたくないからだ。
こういう時に「それでいいじゃないか。人は人であなたはあなたで。」とよく言われることがある。
この言葉の意味はなんだろうか?
圧力を軽減させるという安心を与える意味を持っているようにも聞こえるし、他者の動かない状態を放置している不安の煽る意味を持っているようにも聞こえる。
どちらでもいいのだが、私はこの言葉は肝心なことを曖昧にさせる言葉なのではないかと思う。
はっきりと自身の問題点を認識させるような言葉を投げかけてくれたほうが私は好きだ。
つまり「何もしようとしない自分がいけないのだ」と。
だからこそ私はこの写真をHPに掲載させてもらいたくて承諾を得ようと連絡をしたのだ。
HP掲載の許可を得ていなかったら文章にして表現することはなかっただろうし、自身の中だけで消化していたのだと思う。
結局私は、ファインダー越しに一人一人の腕と体が複雑に絡みあった家族を覗いて、シャッターを切った瞬間にカシャン!と音を立てると同時に、私が理想とする家族だ。と確信することができたことの感謝の気持ちを伝えたかったのだと思う。
俺、こういう家族がいいなって。
私にとってこの一枚は家族を象徴している写真であり、私の理想の家族写真である。
快く掲載を許可していただいたパパとママ、そして、家族とは?という私の中で曖昧だったことを教えてくれたご家族に感謝します。
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