Photogenic
水戸店
価値
投稿日:2013/4/11
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被写体の存在が尊重した写真を撮影できたらいいな。と最近思う。
それはどのような写真のことを指しているのだろうか?
1枚の写真で家族の会話が尽きないような写真。
涙を流したり、心を動かすような写真。
その日一日が頑張れるような写真。
被写体がどのような存在だったのかが理解できる写真。
うまく説明はできないが、そのような写真が被写体を尊重した写真になるのだと思います。
私はファインダーを覗いていて、画面になにか問題があるとシャッターを切ることに抵抗します。
例えば、アシスタントの手が画面に入ってしまっていたり、前髪が目にかかっていたり、意図しない小物が写ってしまっていたり、理由は様々です。
しかし、なぜいけないのでしょうか?
自分が写真を構成するのに余計だと思っているモノが、それが写っていても良いと思える写真が世界にはたくさん存在しているのに、なぜ私はいけないと考えるのでしょうか。
写真に対しての価値観の矛盾が発生して、悩みます………。
それは技術の問題ではなく、写真を構成する一番の構成要素の被写体を肯定する意識の問題であるのだと思います。
光や構図やレンズの使い方などを考えるのに、一番の構成要素の被写体に対して考えるのが私はあまり考えることができていなかったと深い罪悪感に襲われます。
技術を軽視しているのではなく、技術を超える写真は被写体に対しての理解や考え方、写真に対しての価値観を変化させるしかないのだと思わされました。
それを表現するための手法が技術なのだと思います。
この写真は、広い場所で被写体自身に本当に好きなように遊んでもらいました。
1才の子は自分の興味のあるすべてのものに反応し、その意思に素直に従い行動するからです。
私は、自分が意図しないような子ども行動の美しい一瞬をずっと待っていました。
そして私はこの一瞬が本当にすばらしいと思いました。
カメラに興味を持ち、持ち上げようとしたが予想以上の重さで、その重さで腕ごと背中にぐにゃんと回ってしまった瞬間が、興味のあるモノに対して行動しカメラは重いという体験し学ぶ姿がこの瞬間に確認できたからです。
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