Staff Blog
京都桂店
L/W/H
投稿日:2016/12/14
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KOSHIGAYA photo
photo by volvo
codi by takako
ライフスタジオが目指す非日常的な体験を
【神秘的】
と捉えるならば
その核心的な意味は
「非日常的な場所や物そのものが神秘的」
ということではなく
「非日常的な場所や物に出会う事で、自分の中に新しい感覚や感動が生まれる事」
が神秘的なのだ、と
いつかの文章に書いた気がします
神秘性を持った瞬間を記録するというのは、言葉を変えれば写真とはありのまま「ではない」姿を写すとも言えます。
本来であれば写真とはありのままを記録する性質を持っていることから
泣いている子供を笑って撮る事はできませんし、残念な事に私をキムタクとして撮る事はできません。
私の場合キムタクにする為にはフォトショップという後処理が必要になります。
しかし写真は時としてありのまま「ではない」姿を写し出します。
草原を海のように写す事もできますし、私をキムタクの「ように」写す事が可能です。
それでも私の場合フォトショップという後処理が必要になりますが・・・。
写真に被写体本来のありのまま「ではない」ものが映し出される理由には
写真の特性がたとえありのままを写す機械だとしても
カメラを扱うのが「人」であるからだと思っています。
ビジネス用語でヒューマンエラーという言葉があります。
電卓がたとえどんなに精密であっても扱うのが人である以上間違いは起こるというような意味ですが
写真とは芸術的で感覚的な要素が大半を占めることから
写真におけるヒューマンエラーとは
間違いという概念ではなく個性として発揮されることになります。
その撮影者の感覚的要素(個性)がどのようなものであるかが
自分の中に新しい感覚や感動といった神秘さ(非日常)を持った
被写体がどのように表現されるかの要因の大半を占めます。
そしてその感覚的要素に最も影響を受けるのが「判断」です。
良いカメラマンの条件とは良い判断ができる事だと思っています。
子供たちを撮影する場合、特に素早い判断が必要となります。
当然ですが私の望む場所に座ってくれる事というのは正直ほとんど無いと言っていいと思います。
無いと考えるべきです。
もちろん止める努力はすべきですが、
子供とはそういうものです。
だから「子供が動いてイメージ通りに撮ることができない」というのは言い訳であり
それは「子供の動き」をイメージ内に入れてない範囲の狭い思考です。
「イメージ通りの写真」を撮りたいのなら
「子供の動きを踏まえたイメージ通りの写真」として目指さなくてはなりません。
逆光の使い方とモノクロ設定、35mmという焦点距離、そして網目の前ぼかし。
この4つの技術的要素は「このように使う」と決定したタイミングがバラバラです。
大きく分けて被写体である彼女がこの場所に座る前と座った後の二つのタイミングに分類されます。
「光」とモノクロ設定は大体「この辺」で撮る事を決めていた事から事前に準備する事ができましたが
実際に彼女が「この辺」の「どこ」に座るかは決定する事が困難なため焦点距離と前ぼかしは座ってから調節する事になります。
持論ですが
「光を見る力」は経験によって磨かれますが
「光を使う力」は感覚的な要素が強く出ると思っています。
最近、「観察をしなければならない」とよく聞きますが
光を観察する力というのは「見る力」では無く「使う力」と認識すべきだと考えます。
普段町を歩いていて「綺麗な光だな」と感じるように、私たち撮影者に「光を見る力」は
すでに経験によってある程度培われており、恵みの自然光が
大きくスタジオへと入ってきたならば私たち撮影者がそれを見過ごす事はまずありません。
12月は強い冬の日差しが入ってくる時期です。
彼女を撮影していた時間帯には被写体の後方の窓から突き刺さるような光が舞い込んできていました。
重要なのは「光がどうきているか」見ることではなく「どう使うか」であり
それはそれぞれの撮影者によって違いますし、状況によっても変わります。
私はこの写真において後方から来るいわゆる逆光を「斜光」のように使用しました。
後方からのいわゆる逆光という光はライフスタジオの写真において核心的な要素を含んでいます。
逆光の最も現れる特性はフレアを起こすことで幻想的なイメージを強める効果もあることから、
確かにこのシチュエーションで幻想的な雰囲気を活かすことはひとつの方法として悪くなかったと思います。
しかしこの写真における被写体のポイントは手元での仕草と目元です。
そこに光が当たることが重要であったこと、そして私の感覚的要素では
彼女をただの幻想的な雰囲気で包むだけではなく、女性らしい凛としたイメージも同時に表現すべきだと判断しました。
理由は着物撮影の時から継続的に高いテンションで撮り続けた原本の構成に緩急を加える必要があったこと、
そして3歳の彼女が持つ黒髪のしなやかさがその緩急に一役買ってくれそうだったからです。
しかし急にテンションを落ち着かせることは難しいことでもあります。
本来無邪気で明るい性格の彼女を無理やりに抑える事はネガティブな要素を生み出す可能性も否定できません。
結局は撮影終了まで3歳らしいひょうきんさを持続していたのでその隙間に時折見せる雰囲気を切り取る事に
集中しなくてはなりませんでした。
だから「幻想感」と「凛とした」姿が両立されるポジションを、彼女の左右の動きに合わせながらゆらゆらと調節を繰り返しました。
モノクロ設定にした理由はこの光が持つ「明暗差」をより鮮明にさせる為です。
写真とは彩度と輝度の二つの組み合わせで形式が作られますが、彩度を必要としないモノクロ設定では
輝度のみが必要とされるため、より光に集中する事ができます。
逆に言うと、光がきちんと整理されなければモノクロ写真は綺麗に成り立つ事ができません。
彼女の凛としたいでたちとドレス、そして西日の照らす床に集中するには背景の赤い壁は彩度のみを消す事で統一感を保てるようにしました。
35mmという焦点距離は使う頻度としてはあまり多くはないかもしれませんが
広角写真は原本の幅を広げてくれることから使っていくべき方法のひとつです。
越谷店のスタジオは狭くはないものの
望遠レンズを使用してインテリアをきちんと入れる写真を撮れるほど長いわけではありません。
もしそうするならば被写体は大体が壁に背中をつけています。
遠近感を出す方法はより望遠で撮るか、より広角で撮るかの二つです。
35mmで撮影し、背景をこの写真のように取り入れる事はお姫様が迫り来る巨壁に気づいていないという映画でよくあるシーンを
思わせるような一体感を生み、モノクロと相まって背景の意味を確立しています。
また、彼女の動きに合わせて焦点距離も前後しつつ落ち着くのを待ちました。ファインダーの四隅をじっと見つめながら・・・。
この35mmという画角で撮るにあたり少し物足りないと感じたのは彼女の両脇の空間でしたが
その悩みを解消してくれたのが網目の前ぼかしでした。
前ぼかしの特徴である写真を平面的に見た時の重心の維持と被写体との距離感の維持、この二つの要素が
満たされたのがこの前ぼかしでした。
もちろん子供達が相手なのでそんなに時間はかけられないため目の前にあった椅子をつかったのですが・・・。
彼女の両脇にある物質的な空間の穴埋めと、下を向いて作業をしている彼女から「カメラマン」という要素を感じなく
させるための壁の役割をしてくれた事でこの写真の物足りなさに最後のスパイスを投げかけてくれたように思います。
私たちは毎日同じ場所で撮影をします。
それが習慣化されるというのは悪い事ではありませんが、同時に見慣れてしまう欠点も隠れています。
見慣れた視点というのは一期一会の子供達とは無縁です。
その時、その瞬間に合ったセッティングをする事が私たちに求められている事だと思っています。
被写体である彼女が新しい自分に出会ったという証を証明できる写真を残す為には
私たちカメラマンが被写体の特殊性に合わせる事ができる「幅」を持ちながら
お互いの個性を組み合わせられる「奥行き」を表現し
質の「高い」ものへと昇華する事。
それが現れる瞬間の感覚的要素にかかっています。
その感覚的要素の中身は「センス」ではなく、努力と準備の積み重ねだと個人的には思っています。
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