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Photo essay ueda

投稿日:2018/1/26

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プロローグ

キリギリスが飢え死にせずに、冬を越えるにはどうしたらよかったのだろう。
 

小さいときに考えながらいつも結論はこうなった。

キリギリスは蟻と一緒に冬の準備をさせてもらえるよう最初からお願いすべきだったよね…
 




 

上ちゃんと言えば、ガツガツしたタイプではなく、草食系男子と言われる部類だろう。

よくも悪くも欲が感じられないのが上ちゃんだ。(かく言う私は典型的な欲張り人間だ。)

誰かと必死に関わろうとか、関心を受けようとか考えていないような雰囲気がある。

一匹狼ならぬ、一匹猫というイメージだ。

彼自身、最近まで他人に対してそこまで関心がなかったという。


 


 

ところが、彼が思ってる以上に周りは彼に関心を寄せていることが多い。
そのため、一方通行の関心、片想いのような状態になりやすいのかもしれない。

 

一緒に働き始める前は、歌が上手いという印象が強かったけど、
本人はそんなに歌を歌うのは楽しくないとのこと。え、そうなの?!と聞き返したくなることを彼は言い出す。
彼のことを知っていると思っていたのは、彼を覆っているイメージだけで、
実際は何も本当のことは伝わってこない。それは、なかなか見えないのもあるが、
彼自身が皆に理解されようとしてこなかったのだと思う。






そして、何となくわかってきたのは、

彼は私が目を向けない世界を見ることができるということだ。

光と影で言ったら影の部分だ。
それは何か闇があるということではなくて、人が考えなさそうなこと、
見落としがちなものにも彼は思いを寄せることができるのだ。

彼は繊細で、自分に浮かんでくる感情もいちいち分析してるようだ。感情的に、軽はずみで話してしまうということは彼にはないだろう。
だからこそ、彼の本音というものがみんな気になる。

 

そして彼の持つ魅力は、話し方にある。
いい声というのもあるが、それだけではない。
黙っているときはあれ、喋りだすとみんなが彼の話に耳を傾けたくなる。
独特のテンポで繰り広げられる上田ワールド。
起承転結もさる事ながら上田君の滑らない話には定評がある。
彼から滲み出るさり気ない面白さにハマる人は、ついつい彼に絡みたくなるみたいだ。
私もその一人で、害のない(失礼)上ちゃんの反応はとても楽しい。

 

そんな上ちゃんから、かずさんと話したいんですけど、どうですか?とオファーがきた。
カメラマン同期として写真の話をということだった。

私にとって上ちゃんという存在は、
写真に関しては勝手にライバルだと思っている。
そう思うようになったのは、私の写真の師匠すーさんから
かずちゃんは上ちゃん(の写真)を見習ったらいいよと言われたことだ。

最初わたしはどうしてそう言われたのかがよくわからなかった。
自分なりに自分の写真に関して根拠のない自信はあった。
上ちゃんにあって私にないものか…

それから上ちゃんの写真をよく観察するようになった。
彼の写真はよく整えられていて、何を撮りたいのかが伝わりやすい。
そして気づいたことは、写真を撮るということ、そのために必要な知識というものが
私以上にあるということだった。
正直悔しかった。私が気づいていないものに気づき、彼はそれと闘っていたのだ。


私がキリギリスなら彼は蟻というところだ。

私が光ばかりを求めているうちに、彼は影に目を向け一生懸命準備をしていた。
いつか訪れる冬に向けて、、、。
そんな感じである。(自称怠け者の彼は認めなそうだけど。)

 

それから後日、時間を合わせて、今の私の目指す写真というのを伝えてみた。
そのとき上ちゃんから返ってきた言葉は、

お互いに目指すものは違いますが、応援しますね!ということだった。
あ、上ちゃんには違ったんだ、、、(苦笑)と複雑な思いになった。彼にその気は全く無かっただろうが、案に私の目指すものは彼にとって価値のないものだったように聞こえたのだ。そのモヤモヤは話して、お互いの感性は違うので仕方ないですね、という話で終わったが、それがきっかけで私自身改めて自分と写真ということをちゃんと考えるようになった。誰かのためにとか綺麗ごとを言いたいけど、結局はそうなんだと思う。

結局は私も自分を認めてもらいたいのだということだ。
写真というものは相手があって存在する。そして、自分という存在あってこそのものなのだということも感じた。

 

彼にとって写真とは、「自分という存在の価値を再確認させてくれるもの」だと教えてくれた。

彼の写真は確かに変わった。

被写体の魅力がにじみ出る瞬間を求め、
静かに被写体を見守り、彼らを自然に導く。
彼の持つセンスがだんだんと存在感を増してきたと最近思う。

彼の写真には彼の意図が存在していて、写真が私に語りかけてくる。

あなたはどうするのか?何を撮りたいのか?
そんな問いを投げかけられているように感じるのだ。

 

彼は私に言う。
一緒に頑張りましょうと。
その気持ちに応えられる自分にならなくてはいけないと思うし、一緒にと思うのだ。

みんなに必ず訪れる冬を乗り越えていけるように。



(冬というのは、私の中で、更なる高みを目指すのに訪れる壁みたいなものです。みんなどこかで限界にぶつかり、先が見えなくなってしまうことがあります。どうやって乗り越えるかは自分自身が見つけないといけないのです。私は今までどこか他力本願でした。周りの環境のせいにしたり、自分がこれからどうしたらいいか誰か教えてくれたらいいのにと思ってました。自分自身と向き合い、自分が何を写真を通してしたいのか真剣に考えなくてはと感じるきっかけをくれた上ちゃんに、どうもといいたいです。)





 

エピローグ

 

キリギリスと蟻。

相容れない者同士が一緒にいるには、冬みたいな危機的状況がないと難しかっただろう。

冬の準備を一緒にしながら、その方法の違いに葛藤することもあったかもしれない。

でも彼らが共に冬を越えたとき、彼らはどんな関係になっているのだろうか。

そんなことを考えてみた。

相手と自分の違いを感じながらも、

お互いを尊敬、信頼できる…

友達だと言えるような関係になっているかもしれない。

 

さて彼らは冬をどうやって越えるのだろうか…









 

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