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【ライフスタジオの写真】遊べ、遊べ、遊べ。~写真分析~

投稿日:2018/11/15

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Yokohama aoba

PTOHO:gomei

CODI:Misaki Nakagawa

 

 

■私の幼少期

 

日ごろ、私はいわゆる「元気な写真」を撮る事が多い。

これまでの写真分析には、「家で元気でない子供は居ない!がモットー」、「人の感情を撮りたい!」と散々書き記してきた。

勿論今現在もこれらは変わりなく続いている私の考え方である。

毎日汗をかきながら、時には肌着姿での撮影だ。下手したら20代前半より俊敏に動けているような気さえするものだ。

少々エゴイズム的な話になるが、自分が撮りたい写真というぼんやりとしたテーマは確かにある。

そしてそれらを熱心に行ってきた自負もある。

今日はこの内容ではなく、なんでそうなってきたのか、自分自身の過去を記憶の限り見つめてみようと思う。

 

基本的に人はなりたい様になりたいと考えている生き物だと考えている。

将来の夢も、来年の事も、老後も、全ては願望などの良くと言う点で話すことができるだろう。

何故なら既に手にしている環境や事柄に対しては、欲を書く事はない。

だってそんなのおかしいではないか。

簡単に書いてみると、そうでないから、そうありたいという事になる。

この簡易的な考え方に私の写真のテーマを当て込めてみると、元気でなかった過去があるから、元気な写真を撮りたいになる。

でも、元気な記憶は確かにある。

何だか腑に落ちない感覚だ。

ちょっと実家に寄った時に幼少期の卒業アルバムを見たことを思い出した。

特に幼稚園の卒園アルバムだ。

在籍していたクラスの集合写真には、少々真面目な表情をした、可愛いころの私がいたのだが、3年間の思い出のページを見て、少々驚いた。

探せど、探せど、私が出てこない。

う~~~~~ん、私はどこなのでしょう。

そうだ、ほとんど熱出して遠足いってないや。

母親に訪ねてみると、3年間の内、1度ほどしか遠足に行けていないらしい。

どおりで元気に写っている写真が無いわけだ。

当時の私はきっと泊りの遠足なんて特に羨ましがっていたことに間違いない。

 

記憶をたどってみると、元気でない事は無いのだが、元気に写っている記録は全くと言っていいほどに無かったのが現状だ。

悲しいわけで、元気でありたいのではなく、元気を写していない過去があった。

それから考えてみると、元気で写っている写真が無いからこそ、元気な写真を撮りたいのかな、なんて思ってしまう。

何だか、先ほどよりも府に落ちる。

 

 

 

■元気の作り方

 

これはとても簡単だ。

元気な人が元気な写真を撮れるわけではない。

元気でなくても、元気な写真を撮る事は可能だ。

元気でないなら、元気に見えるように、演じればいいのだ。

以前よく教えて頂いたのは、馬鹿には出来ないけれども、馬鹿になれないとできないと。

元気のルールも、いたってシンプルに考えている。

1.大きな声である事

2.全身を使って表現する事

3.アプローチは質より量である事

これらをそれなりに長くやっていると、石原義純みたいになる。

 

 

1.大きな声である事

大きな声ではきはきと。これだけである。

元気な友人を思い返してほしい。皆総じて声が大きいのではないか。

声は元気のイメージの大部分を占める可能性が高い。

だから日常会話でもなんでも大きな声で話すことは、最重要と言っても過言ではない。

大人にも、子供にも。

 

2.全身を使って表現する事

どんな小さなことでも、この様にする事をお勧めする。

言語化するのは難しいのだが、例えば驚く反応をするときはこのようにしてみよう。

 

わぁ! → ドゥワァア!

 

海外旅行に行った際のことをよく思い出す。

私は外国語は一つもできないし、英語で12カ月を言えない。

でも海外で一人で歩き回れる。

なんとか体で表現するから。

でも案外不便する事は無い。

言葉が無くてもなんとかなるものだ。

 

スタジオでも2歳以下は、言葉でのコミュニケーションが撮れない場合が多い。

その際に大きな声ではきはき伝えるよりも、あっちゃこっちゃのパーツを使って、伝えた方が効果的だ。

この遊びはどうやってやるのか、この流れで遊ぼう、こうやると面白いよ。

それらを普段の300%位上乗せしてやる事。

ひょうきんさを印象つける事が可能だろう。

 

3.アプローチは質より量

まずアプローチの質を定義できないのだが、すごい質の高いものを見極めてやれていたら、子供番組の司会でもやってみたいものだ。

基本的に子供一人ひとり好き嫌いが異なるのだから、何が好きなのかパッと見わからない。

だから、色々試す中で、好みの系統を探る事が非常に大切なのである。

そして質より量をこなしていると、まわりからはずっとふざけている人と思われるだろう。

そしたらこっちのもんだ。

おもちゃよりも、YOUTUBEよりも、現場では私が意識の的になる。

 

 

この3つの元気ルールを基に、私は元気な写真を撮るための準備を行うのだ。

 

 

■そもそも元気な写真は求められているのか

 

難しい問題だが、求められているとも言えるし、求められてもいない。と答えるのが適切だ。

よく「自然な感じで」とオーダーを頂くのだが、自然=元気と安直に考えるのは危険だ。

勿論黙々と積み木で遊ぶような仕草を自然と捉えている方も少なくない。

平たく言うと無形だ、考えたものが自然。という事になる。

これまでの経験でも、元気にとって!と求められたことは数えるほどしかないだろう。

では何故撮るの?

そんな質問が聞こえてきそうだ。

これには賛否両論あると思うが、カメラマンゴメラマンとしての主張が見え隠れしているのだと思う。

そこで対立物として存在するのが、ライフスタジオのカメラマンである。という事になる。。

お客様は基本的にライフスタジオの写真を求めているわけで、ゴメラマンの写真を求めているわけではない。

ライフスタジオが持つイメージと、ゴメラマンが持つイメージの2つを私は抱きながら毎日撮影に入る事になる。

あーーーー、難しい問題だ。

少々文章が長くなりそうだが、どうにかお付き合いいただきたい。

 

卵が先か、鶏が先かの問題に似ているのだが、ライフスタジのカメラマンが先か、自身の願望が先か考えなくてはならない。

ここからは個人の観点になるので、反論は個人的にお電話くださいませませ。

 

単純に考えてみると、ライフスタジオの写真を求めているのだから、ライフスタジオのカメラマンとして明確に存在すべき!とも思う。

でもよく考えてみよう。

ライフスタジオのカメラマンってなんだろうか。

確かに確実に一定の写真のテイスト、クオリティーと言うものは存在するし、しなくてはならない。それを基礎と考えよう。

これが全カメラマンに装着されていないとしたら、今頃ライフスタジオは企業として存続はしていない事だろう。

では、ある一定の画一化された写真がライフスタジオの写真かと言うと、否だ。

当社HP、コミュニティーページにあるフォトジェニックを見てみると、毎月多種多様な写真が熱心な文章と共に公開されている。

どの写真もカメラマンが情熱をかけた写真だ。

一定的な写真提供をしているならば、これほど多様な写真があげっている事はおかしい事なのではないだろうか。

 

では、自分を大切に好きな様に撮っているのがライフスタジオかと問うてみると、こちらも否だ。

基準が無いのであれば、ライフスタジオという屋号を掲げて運営する事はおかしい。

フリーランスカメラマンの集まりとしてなら、わかる事が出来る。

でもそうではない。

 

もう少し見解を変えてみよう。

内容と形式という話がある。

簡単に言うと、内容に沿った形式を作る事がとても大切という話を覚えている。

ではこのように考えてみよう。

私達は前提として、人間である。

つまりライフスタジオに働く人員の前に、人であるという事だ。

人に足されるように、我々にはライフスタジオのカメラマンという形式が付随する事になる。

我々の企業理念を一言で表すと「人」だ。

第一に人を置く企業である。だからこそ、フォトジェニックも多様になるのだろう。

これまでの時間を考えてみると、業界の情勢や、働くカメラマン達によって、いいも悪いも写真も変化がされてきた。

つまりは、人という部分が尊重されるように形式が整えられていくのがライフスタジオという事になる。

カメラマンの特殊性をある程度活かせるのが、ライフスタジオという事に、一旦暫定の定義をしてみる。

このカメラマンの特殊性をどのように活かすのか、それもカメラマン次第だ。

それをある程度の基準を保ったうえで、発揮させる事。

非常に難しい問題だ。

 

私は自身の特殊性発揮の為に、この形式をよく考える。

75cut3パターン。

 

ライフスタジオの撮影パターンだ。

私が元気に撮りたい!といってわちゃーーーーーっと3シーン撮影してしまうと、これは

これでダメだ。

シンプルに考えると、私はこの中の1シーンを自分の主張の場として使用させていただくことが多い。

単純に1.2シーン目は適当に撮っているわけではない。

これはこれで大変なことが多い。

例えば、わかり易く言うと、1シーン目はナチュラルに。

2シーン目は、しっとりと。

3シーン目に元気いっぱい。

みたいな感じだ。

そのように自身を発揮する場所を明確に分けながら、形式を利用する事が私のパターンの一つであることは間違いない。

上手く形式をつかえているのかは、また考えなくてはならないが。

 

最後に問題定義に戻ってみる。

Q:元気な写真はそもそも求められているのか。

A:もとめられてはいません。しかしライフスタジオの写真と言うものはある種「人」を表す写真なのであれば、私は残したいと思います。

 

何だか煮え切らないが、私の今のレベルだとこのように答える。

 

 

■こんにちは、は2回目

 

今回は3歳七五三でご来店頂きました。

そして私が撮影させていただくのは2回目です。

前回は申し訳ない事に、泣きじゃくり、ママから中々離れられず、私はスナイパーの様な撮影をした覚えがある。

あれから一年経って、どのように成長をしただろうか。

今回は着物撮影だから、しっかりとママから離れて撮影する事ができるのだろうか。

期待と不安が入り混じりながら、対面する事に。

 

あれ?

まんまるお目目の女の子は、しっかりと着物来て、元気に笑っている。

一年で何があった!?と思うくらいにそれこそ「元気」という印象が強い。

ママにも変化への驚きを伝えてみる。

何だか前回の撮影が懐かしく感じるくらいの成長だ。

これは元気にいけるぞ!と思いながらも、時は今ではないと感じながら、ぐっと自分を抑え込む。

 

 

■撮影場所の決定

 

この写真は3シーン目に撮影した。

まあ元気に暴れるように仕向ける為、最後に撮影する方がいろんなバリエーションが撮影できるので得策だろう。

うーんと周りを見回すと、光はキッチンか側のエリアが程よくいい感じなので、少し撮影する。

その後をどこで撮るか。

元気なイメージを適切に出せるところはどこだろう。

その際に真っ先に思い浮かぶのが、安定した光量があり広い場所だ。

子供が元気に動き回る事は間違いないので、ある程度の可動域を持てた方が撮影としてスムースに行えるかだ。

でもどうやって撮ろうか。

整頓された広い画角に、元気良い人物がいる事で、対比で元気の良さを感じさせるか。

でもそれは普段撮っている物に近く、正直新鮮味も面白味も感じず、出来る型に嵌めていくので、果たして元気な撮影かというと、そうではないだろう。

 

なるべく型に嵌めないような場所はないだろうか。

……

 

ああ、これがあるでないか。

青葉店、通称小屋。

これは子供にはちょうどいいサイズだが、大人にとっては少々苦しい狭さだ。

調度写真の後ろ側(私側)の入り口は、30CMくらいの入り口しかなく、寝そべって動けないような体制で撮るしかない場所だ。

 

そうだ、トンネルの様に撮ってみよう。

狭い場所から広い場所に視線誘導させ、その先に元気な子供の姿があれば、元気の良さをより強調させる事ができるのではないだろうか。

この時は、淡い期待を抱いていたのだが…

 

■思い通りにいかない。それが子供の撮影。

 

前途した様な撮影場所の為、撮影条件がかなり限られることになる。

まずカメラは俊敏に動く事が出来ない。ほぼ固定のカメラと考えていいだろう。

次は光の条件となるのだが、この小屋は可動式なので、光源の方向は初期設定時なら自由に決めることができる。

今回はトンネルの様に撮る。と淡く考えていたので、逆光として設定する事に。

しかしそこまで強い光が入る状況でないため、シャッタースピードを高く設定する事も出来ないので、影に入り込みすぎない程度のシャッタータイミングが肝だと感じ、まるでF1カーでも撮る様な気持ちで、カメラを構える。

 

よし!いつでも来い!!!!

そんな気持ちで待っていても、そんなに都合よくいかないのが子供の撮影だ。

何故その向きで!?なぜそこで!?今!?

私を翻弄するように、全てを逆手に取られたように、撮影が進んでいく。

まるで追いかけっこの様に、近づけば離れ、離れれば近づき…

 

 

この時こそ、元気の3ルールを思い出す。

何よりも自分が彼女にとっての「おもちゃ」になる事が肝心である。

わーとかキャーとか、詳細まではわからないが、中川と騒ぎ続けたような気がする。

きっと私は、いない!いない!ばぁーーーーー!いない!いない!ばぁーーーーー!

いない!いない!ばぁーーーーー!

いない!いない!ばぁーーーーー!

いない!いない!ばぁーーーーー!

いない!いない!ばぁーーーーー!

いない!いない!ばぁーーーーー!

いない!いない!ばぁーーーーー!

いない!いない!ばぁーーーーー!

いない!いない!ばぁーーーーー!

いない!いない!ばぁーーーーー!

いない!いない!ばぁーーーーー!

と叫んでいたのだろう。

 

 

騒ぎすぎてどんな瞬間だったか分からないのだが、写真を見ると楽しいにぎやかさが伝わってくる。

 

 

■最後に

 

私のは入る撮影では、最後は部屋全体が雑多な状態になる事が多い。

そうすると、写真に写り込む小道具もそのような状態になってしまう事もしばしば。

勿論、綺麗な状態で写っているか、写っていない方が写真としては好ましい。

でもたまーーーーに思う事がある。

75cutの内、1枚くらい、その状況が分かるような写真があってもいいのではないだろうか。

勿論写真のクオリティーは保ちながら。

クマが転がっていようが、床に敷いた布がずれていようが、帽子が多少ずれていようが。

きっと数年後には違った遊び方が好きになっているでしょうから、今は、今で。

写真一枚を見ると、その情景が読み取れるような写真を。

店長と言う立場になってからは、なかなか声を大にして言う事もできないが、偶にはそんなことを思ったりする。

何故なら、私は家で元気でない子供は居ないと考えるからだ。

 

 

 

 

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神奈川県の横浜市にあるハウススタジオ(おしゃれ写真館) 

ライフスタジオ横浜青葉

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