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青山店
【ライフスタジオの写真】写真分析~写真のみかた~
投稿日:2018/10/11
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Yokohama aoba
Photo; gomei
Codi; Takumi Yoshizawa
問題です。
彼女はどのような表情で写真に写っているでしょうか。
泣き顔
微笑み
困り顔
真顔
あなたが想像した表情が、きっと正解です。
■結局のところ人はわからない
極論、私は悲観論者なのだと思う。
私自身は、基本的にすべてのことは「わからない」と感じることが、日常的にとても多い。
例えば天候一つとっても私はわからないと思っている。
今は携帯電話で天気予報が通知される時代になっているが、あたる日もあればあたらない日もあって、ラッキーと思う日もある。
明日の天気の確率はだいぶ精度が高いのだろうが、1か月後、1年後の天気はまるで分らない。ので考えていても仕方がないなと思う今日この頃だ。
これは人においても同じことが言える。
学生時代は良く担任の先生から「私はあなたのことを理解している」と言われたり、なんなりしたことがあるが、それはとてもありがたいことだ。
しかし彼らは私の何を理解してくれていたのかは、今もわからないのが実情だ。
とても悲しい話だが、私は彼らを理解はできていないのだと思う。
例えば、恋愛の話だと分かりやすい。
どこかで恋人同士は理解しあっているという暗黙の認識で見ることが多いのだと思うが、果たして本当にそうなのだろうか。
確かに、同僚よりかは、多くの時間と深い時間を過ごすわけなので、理解度は高まっていくことは、間違いないと思う。
だが、果たしてそれは「理解している」ということに直結するかは、疑問の残るポイントだ。
理解しあえているのなら、なぜ争いがおこるのか?
こう考えてみると、私は基本的に悲観論者の立場なのだと思う。
■人は厄介だ
これは自分自身に充てる文章だ。
前途した「人はわからない」だが、これを実に厄介にするものが私の中にある。
それは、「人を理解したい」という対立する、こちらも基本的な考え方だ。
言葉を変えると、知りたいとか、近づきたいとか、その類の言葉。
間違って伝わってほしくないことは、人に対しては無関心というわけではなく、あくまで人のことはわからないが、わかりたいという根本的な人への考えを抱いている、自身の矛盾点をはらんでいるということだ。
人のことを知っていきたいのだが、極論人のことは永遠にわからない。
これはいかなる対人関係でも言えることで、親のことも、同僚のことも、恋人のことも全てそうだ。
このおかげで、人に悩むこともあるのだろう。
そう考えるととても厄介だが、悩めるだけの対人関係があるのならば、それは幸せなことでもある。
なぜなら悩むのが苦ならば、単純にかかわることをやめたらいいからだ。
それはとても充実した充実した人生とは言えなくなるのだとも思うが。
重要なのは、この厄介な考え方と感情を、どのように使っていくことではないだろうか。
単純に全世界の人を、無関心側と関心側に分けて、見たら地獄絵図だろう。
私個人としては、人のことは決してわかりきることはないだろうが、理解しようと行為を取り入れたプロセスが重要なのだと思う。
つまり、人のことを理解することが重要なのではなく、理解しようと行動し続けることが重要なのだと思います。
■私の写真の見方
5年くらい前に、TVで写真の話が取り上げられていた。
有名な、タイムズスクエアで終戦を祝うキスの写真について。
http://www.afpbb.com/articles/-/3100523
そのTVでは、この写真はスナップ写真なのか、人為的にモデルたちで作られたものなのか論議がされていたのだが、ある写真評論家が、写真の見方を話していた。
「この写真が作りものか否かということは、そんなに重要ではなく、この時代に海兵隊員と女性のキス写真が、このように発表されるという時代背景を通して、考えることが重要。写真を見る側の目が乏しいとこのような論争になる。」
確かこのような言い回しをされていたと思うのだが、この話にとても新鮮に感じたことと同時に、全ては第三者が決めたらいいのではないか?と考えたことを思い出した。
どのような物事にも絶対ということはない。
食べログの高評価店のご飯が、好みに合わないときもある。
人にはそれぞれの感性があるのだから、好き好みを排除して考えることはできない。
上記のコメントのように、考えの幅を広げることはとても重要なことではあるが、結論はすべて個人がつけなければならない。
美術展に行っても、首をかしげて終わる展示があるように、いいも悪いも自分が決めたらよい。
ただ、重複するようだが、見方は広く持つべきだ。
それまでの過程をどのように知識に入れてみるかで、物事の見え方は変わってくる。
わからないものをどのような目線で見るかということだ。
■彼女の印象
何度も写真分析に記しているが、私は写真で感情を撮りたい。
詳しくはこちらに書いてあるので、興味のあるかは下記のURLをクリックしてくださると幸いです。
https://www.lifestudio.jp/community/photogenic/yokohama_aoba/160721
彼女とは今回で2回目の撮影になり、2年連続で撮影させていただいた。
3姉弟の長女で、まあなんとも元気元気元気という感じのご姉弟だ。
それは去年も今年も変わらない。
今回は彼女のハーフ成人式でご来店され、家族写真と姉弟写真は、とっっっっっっっっっっっっても元気に、声が聞こえてきそうなほどの明るい写真がいくつも撮影された。
末っ子と6つ年が離れているからか、姉弟撮影中に、いくつかのポイントを見ることができた。
基本的には、ふざけてウェエーーー!とやっているのだが、いざ撮影が進まないかもと危機感が現場に出ると、率先して、弟の手を引く姿。
末っ子に対して、こうするんだよと教えている姿。
アップの写真を撮る際に、弟たちの肩を抱いて、寄せようとする姿。
それらをいくつか見たときに、「ああ、こういう姿もあるんだな」と簡単に思いました。
長女という環境がそうさせている部分は勿論あるのだが、それが彼女の現在の性格の一面であることは間違いない。
そして家で、ふざけて暴れまわって怒られているのも間違いない。
ここで仮説を立ててみる。
人はいくつもの面をもって、生きている。
例えば、家できかん坊という面を持っていれば、学校では優等生。そんな具合に。
家ではあまり見ることのない姿もあるかもしれないということで、10歳という多感な時期を重ね合わせながら、感情を撮影すること。
平たく言えば、知らない一面とでも言いましょうか。
人は極論わからないのだから、人に対して主観的な仮説を立てるほかないのだ。
きっとそうだ、きっとこうかも。
そんな考えを抱き、彼女たちを見ると、姉弟撮影中にはチャンスはないなと思い、この後にくるソロ撮影で行うことにした。
■申し訳ない条件設定
弟たちの撮影は、終了した。
青葉店は2Fのメインフロアはワンフロアなので、元気な弟たちは狂喜乱舞するだろう。
本当に申し訳ないがと思いながら「パパさん、申し訳ないのですが、できたら弟君たちと少しだけ別室待機してほしい」と。
親御様から、やっぱーーー!と半分笑いながら、全然いいですよと承認していただけたが、パパが子供たちに対して、おまえらマジで頼むよ!俺も見てえよ!と言っていたことに、大変申し訳ない。
心の中で、きっと驚かせますと念を送り、いざソロ撮影へ。
この時は正直、具体的な撮影のイメージは全くもってありませんでした。
何かそういう写真が撮れたらいいなくらいなもんで。
まずは撮影の条件を把握しようと、さっそうと2Fに上がり、あたりを一瞥してみる。
いくつかインテリを含めながら、面白そうに撮れる条件はあったのだが、その中でも目についたのが、部屋の中腹の床に落ちているオレンジ色の光だった。
じーーーーっと床にほほを擦り付けるように、光源側を覗いてみると、どうやら夕日がキッチンと言わるインテイリアの方から、高い角度から入り込んできている。
よしこれを使って撮影しましょう。
イメージの具現化の条件設定ではなく、少々逆になってしまったが、条件からイメージの生成を今回は行う運びとなった。
では、どのような写真を撮ろうか。
■イメージの引き出し
不思議なもので、いつも真っ先に出てくるのが、以前に観た映画の1シーンだ。
いつもそれらを思い出し、似た条件で撮影をすることがとても多い。
それはオリジナルなの?と疑問視を頂いてしまいそうなのだが、仕方のない事でもある。
人はわからない+夕日のスポットライト
この二つを見たときに、パッ浮かんできたのが、パンチドランクラブという映画の1シーンだ。
詳しくはこのプログに記されていましたので、ご覧ください、
http://d.hatena.ne.jp/paranoid3333333/20150524/1432469686
ジャケットにも使用されていた、シルエットのキスシーン。
勿論キスシーンではないが、このシルエットのシーンに、映画監督を目指していた10代の私に、すごいインパクトを与えてくれたことを覚えている。
表情がまるっきしわからないことで、観客の想像力を高め、観客一人一人がそのシーンの意味合いを考え認識している手法に、私は心を打たれた。
確かにあの映画のシーンもわからないことが多かった。
しかし、わからないからこそ、わかろうとする。
その手法を逆手に取ろうと考え、イメージを作る。
チャップリンの白化粧と真顔も、同じ理由だ。
人はわからない+夕日のスポットライト=シルエットで、感情を決めてもらえる写真
と簡単な構図を頭に作り上げ、カメラを構えることにする。
■カメラの設定
今回はシルエットの写真にするために、奥からの光のみで撮ることにしました。
被写体のラインを重要に、カメラに光を遮るように、位置してもらいます。
レンズは70-200を選択し、ある程度の背景処理を容易にして、被写体にのみ意識が行くようにすることが私の中で大切でした。
さて、設定ですが、
F 3.2で被写体のみに、ピントが合うように。
その為、シャッタースピードで露出を決定していきます。
S 1/1250
ISO 400
まずは、被写体を画面パツパツで撮ってみました。
恥かしながら、その写真を見た私の感想は、「なんか怖え…」となってしまったので、もう一度条件と、イメージを確認する。
イメージは、シルエットで、感情を決めてもらえる写真。
条件は奥から入るスポット。
しっかり周りも入れてあげなくちゃだめじゃないか!!!!
ただの恐い写真じゃないか!!
自分自身に突っ込みを入れつつ、少し物理的な距離をとり、カメラを構えます。
背景にあたる、窓の光と、被写体の光でしっかりと、光での奥行きを感じられるようにしなければ、イメージとはかけ離れてしまう。
格好いい写真を撮りたいわけではない、感情が分かる、もしくは伝わる写真があくまでテーマになるので、情景と被写体との関係を表さないことには、撮れないだろう。
ただの暗い写真を撮りたくはない。
あくまで、人はわからないのだが、わからないなりに、肯定的な感情を撮っていきたいのだ。
きっと、これからいろんな経験があり、環境が変わり、まだまだ子供は可能性の渦の中にうずの中にいる物だと信じている。
肯定的なイメージを投与するために、カメラ前に、十字の加工が入ったガラスを置き、加工が光の乱反射を起こし、幻想的なイメージを作ってくれるだろうとカメラを置く。
それが、カメラマンの回しの意図としてとらえてもらえるとありがたい。
あとは感覚的だが、時間がしっとりする瞬間をとらえるのみ。
逆光の条件がきついので、AFからMFに切り替え、がちがちの姿勢になり身構える。
なんとなく、呼吸をつかむようにして、ゆっくりと。
パシャリ。
■最後に
最初の問題に戻るのだが、撮影時に彼女は、そこにいるだけだった。
特に他はなく、そこにいるだけ。
何か考えているように感じたろうか、微笑んでいるように感じたろうか。
でも感じたものでいいのだと私は思う。
そして前途した、知らない一面だったかはわからない。
もしかしたら、親御さんには既に知っている姿だったのかもしれない。
だから、極論わからない。
でも重要なことは、わかろうとすることであり、現に私は彼女の撮影もしかり、今文章を書きながら、彼女のことを踏まえ、写真と人の話を整理している最中だ。
これはわからない自分に対しての抵抗なのかもしれない。
分かろうとしている最中なのだから。
切実に follow me
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神奈川県の横浜市にあるハウススタジオ(おしゃれ写真館)
ライフスタジオ横浜青葉
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