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誰かの人生を楽しく!74 ~BENTO おべんとう展 そして子供とおべんとう~

投稿日:2018/9/13

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結論から言います。

このBENTO展、本気でおすすめです。

 

 

ほとんど美術館に行ったことのない私ですが、ほんと些細な興味本位で今回行ってきました。(館内写真撮影禁止でしたので、文章のみのご紹介になります)

 

 

 

八王子のカフェで休憩中に手に取ったレジャー雑誌の、小さな小さな欄にBENTO展の告知がされていました。

正直おべんとうを題材に展示会ということが全く想像つかず、紹介欄にもまるで詳細なし。

なんだこれは?

が率直な感想でした。

うーん、開催時期は休みもあるし、いっちょ行ってみるか。

そんな感じでしたので、不安もありますから、一応インターネットで検索してみます。

 

 

 

 

誰かと一緒に食べる行楽弁当から毎日のお昼ごはんまで、お弁当は私たちの生活の中に深く根づいています。本展では日本独自の食文化である「お弁当」と食べることのコミュニケーション・デザインについて現代作家の作品を通して見つめます。子どもも大人もファミリーも楽しい、見る・聞く・触れる、参加体験型の展覧会です。

(BENTO展HPより転用)

 

 

 

 

おべんとうを食べることのコミュニケーション?

デザイン?

全くもっておべんとうにそのような概念を抱いたことのない私は、?のオンパレードです。

しかも、見るはわかる。

おべんとうを聞く、触れるってなんじゃらほい。

 

 

 

各国のお弁当箱や、おべんとうの精霊という展示物があったのですが、割とスルーして「ふーん」という全く感動していないそぶりでスイスイ進みます。

 

しかしおべんとうの見方をガラッと変えてくれる、コーナーに差し掛かります。

それは、以前オンライン記事になっていたという、おべんとうの写真と文章のコーナーでした。

一般の方が、作ったおべんとうの写真と、おべんとう作成者から渡す人へのメッセージ。

確か、90歳になるおばあちゃんへ。

15年間2時間通勤する妻へ。

そんな見出しと共に、A4用紙1ページくらいのメッセージがあります。

そこには感謝やエールが記されており、その考えからメニューがきまり、写真が撮られています。

分かりやすかったのが、剣道に勤しむ息子に向けた、焼き肉弁当など。

 

あとは、弟の為に、姉がおべんとうデッサンを毎日行い、それを忠実に作る父の記録など。

言われてみれば、おべんとうは誰かが丹念に作ってくれて、誰かが食べ、そこには思いがあるよな。とコンビニ弁当を消費するだけの灯台下暗しの私に、ピーン!と気づきが生まれます。

この展示会を通して、自分の実体験と共に、おべんとうのことを考えてみました。

 

 

 

弁当を食すということは、作業なのか

 

 

これまでいくつのおべんとうを食してきたでしょうか。

大体は母親が作ってくれたおべんとうだったと思います。

幼稚園児くらいから始まり、高校3年生まで、私はおべんとう生活でした。

約15年間。そう思うと感謝の気持ちが生まれますね。

これまで全く、母からの何かを感じながら食べたことはありません。

記憶している限りでは、お腹がすくから食べる物です。ですから作業的な要素が私はおべんとうに対して、持つ見解でありました。

腹が減ったから食べる。

至ってシンプルな構造です。

これは消費者目線から見たときの観点で、誰もが経験があるのではないでしょうか。

 

では作成者の目線で見てみましょう。

日本の食文化を語るにおいて、避けられないのがおべんとうだと思います。

むかーしむかしからありまして、保存時間、作物などからおべんとうの種類は、各地で様々です。

ただ単純に、空腹感を満たすことだけを目的にすると、おかずの立場が危ぶまれます。

今となっては、おべんとう用にたくさんの冷凍商品が販売され、多くのキャラ弁当がインスタグラムに発信をされています。

本当に空腹感を満たすだけならば、白米のみで敷き詰めた方が、合理的に目標達成を行うことができます。そして経済的ですね。

ではおかずに着目してみます。

空腹を合理的に満たす目的を設定し、そこにおかずを入れてみます。

人間は面倒くさいことに、好き嫌いや飽きなどの感情がありますので、白米だけですと飽きて合理的に目標達成をすることがむつかしくなってしまいます。

ではこの観点からおかずの役割を割り出してみると、白米を食す課題(飽きなど)を円滑にクリアする役割を担うことができます。

簡単な例ですと、ご飯が進む味などは、塩味から軽減するために白米を消費しますので、ご飯が進むと一般的に表現されます。

ですから、作業的観点から見ると、白米をたくさん食べられたらいいわけで、塩っ辛いものを入れておけば、おかずの役割は達成されます。

ですが、現代多くのおかずやキャラ弁が存在している状況を考えてみると、そのような作業的要素が弁当の全ての要素かと考えてみると、答えはNOだ。

現代のおべんとうにおいては、ただ空腹を満たすということの目的意識は、ほぼないといっても過言ではないと考えます。

 

 

 

おべんとうに含まれる思いとは

 

 

ではなぜべんとうは、このように多様な進化を遂げることになったのでしょうか。

詳しくはわかりかねますが、持論展開を行っています。

先ほども人は好き嫌いや飽きがあることを記しました。

ですからおかずも多様化していったのでしょう。

では多様化していくにあたる、基本的なおべんとう作成者の概念とはどのようなものなのでしょうか。

とてもシンプルに現代のおべんとうは、「おいしく食べてもらいたい」という概念から成り立っていると考えます。

おいしくとは漠然とした内容で、各人好みは分かれます。

言い換えてみれば、消費者の特殊性に合わせたメニューを通して、幸福感をあたえるものとここでは定義してみます。

私自身はおべんとうを作り機会はありませんが、料理は好きなので、その実体験を思い返しながら考えてみます。

私も例外なく、おいしく食べてもらいたいという考えから、一定のプロセスを経て料理をしています。

まずは好き嫌いを聞き、和洋中などのジャンルの気分を聞き、バランスよい食卓になるように考えてみます。

自分の料理に自信がなければ、料理本を参考にして、おいしいと言ってもらえるように努力をしてみます。

作成者側から考えてみると、おいしく食べてもらいたいという基本的概念の要素が非常に多いことが分かります。

 

 

 

 

おべんとうはコミュニケーションなのか

 

結論から言うと、私はこの展示会を通して、コミュニケーションであると考えます。

消費とコミュニケーションのバランスは、一つの弁当を通して、立場からある程度分かれることが考えられますが、一種の深いコミュニケーションが可能ではないかと思います。

展示の一つに長野郷中学校の生徒たちが、おべんとうをテーマに映画を作るショートムービーがありました。

その中で、生徒たちが自分ちのご飯をテーマにディベートを行うシーンがあるのですが、卵焼きの味一つをとっても各家庭ばらばらで、食に新たな気づきを生むシーンがあります。

言い換えるとおふくろの味を知る瞬間とでも言いましょうか。

私も母親を思い返すと、無意識的に味の連想を行っています。

その味を知る上でも、おべんとうは大きな効果を発揮していることは言うまでもありません。

自分の好み、成長に合わせた弁当箱の変化など、おいしく食べてもらう思いを含め、メニューとなり、口に運びます。

この上位概念は、作成者の愛だと考えます。

その愛を表す形式の一つがおべんとうであり、味と量を通して、幸福感を感じます。

これはコミュニケーションという言葉以外に表すことができるのでしょうか。

 

それを立証する内容もありました。

おべんとうに対してコメントを柵に書き記すコーナーでした。

絵馬みたいなものです。

そこに記されているほとんどの内容が、感謝の言葉でした。

作成者の愛は、消費者の感謝をもってコミュニケーションが成立するものなのかもしれません。

私はそれまで30年かかりましたが。

先ほど深いコミュニケーションを生むと書きましたが、それには時間が関わるからだと実体験をもって感じました。

作業的に食事ている頃には感じるはずもありません。

しかし、私も大人になってから当時を思い返しながら、親の愛を回想的に知っていきます。

私と親のおべんとうを通したコミュニケーションは、たった今成立したわけで、そこには時間と共に多くの感謝をまといます。

ですからこのコミュニケーションは、必然的に深い関係を生むものだと考えます。

 

 

頑張るママさんたちへ

 

ライフスタジオをご利用していただく多くのママさんたちは、おべんとうを現在日常的に作っていると思います。

時には残してきたり、まずい!なんてあまのじゃくな言動を浴びせられる時もあると思います。

その都度「もう作ってあげるのよそうか!!」と怒りがふつふつとわくかと思います。

頑張って作ったキャラ弁も、二度と作るか!と思うかもしれません。

ですが子供たちは、おべんとうを通しながら母の味を知り、いつかどこかで母の味を語りながら、感謝の念を抱く時が来ます。

現に私がそうであるようにです。

その時初めて、膨大な労力と、多くの愛を知り、感謝をするのだと思います。

それまでには長い時間がかかりますが、きっといつか花を咲かすものだと思います。

 

 

よし、明日からまた頑張るか。

そんな気になれそうな、素敵な展示会と上野で出会うことができました。

 

 

 

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