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青山店
scrollable

写真分析 ~きっとそうだ、だぶんそうだ、おそらくそうだ。~

投稿日:2018/4/11

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Yokohama aoba
Photo:gomei
Codi:Mayu Kanasugi



ポートレート撮影において、被写体の事を本当にわかりきって撮影する事ができるのでしょうか。
私は、おそらくできないと思います。
ポートレートにおいて重要なのは、相手の事を分かり切る事ではなく、わかろうとする行動を続ける事なのではないかと思う今日この頃です。
 
 
私は基本的に何もわかりません。彼女がどういう人なのか、どのような性格なのか、どのような思いで撮影に来ているのか、全く知りません。
自分にサイコメトラーの様に透視能力が備わっていたらどんなに良いかと思う事もしばしばですが、明日からハリウッドスターになりたいと思うくらい無謀な事なので、無理な話です。カメラマンデビューしたての頃は良く、被写体との距離が遠い!と怒られ、あんぽんたんな私は、物理的距離かな?なんて理解をしてただただ被写体とカメラの距離を縮めて撮影をしていました。今なら何となく言っていただいていたことも理解が出来ますが、当時は被写体との距離なんて全く分かりませんでした。それから数年経ち、いつも被写体との距離とは何かと考えました。毎日ワケワカラネーと思っていましたが、毎日のというスパンがだんだんと開いてきた気もします。
 
文頭に書いた相手の事は基本的にわからないという点では今も一緒で、わかりません。極論私は人生で誰か一人でも、全て理解出来ているのかと問うと、だぶん一人もそのような人は居ません。なぜなら主観の中でしか相手をとらえることしかできないからです。20年以上付き合っている友達の事はおそらくこのような人だと話すことは出来ますが、本当に全てがあっているのか?その根拠は?と考えると、違うかもしれないという疑問はすぐに沸いてきます。その疑問に答えられる人はいるのでしょうか?つまり人の規定も何も「きっと」というある程度漠然とした規定の中で常に判断を行っているのだと思います。
だとしたら、相手の事がわからないので良い写真が撮れないではないか!と意見が来そうなことも分かります。しかし相手の事を全て理解していないことと、良い写真が撮れないということは直結しません。重要なのは相手の仮説を立てていく事だからです。
 
先日参加した撮影教育の際に、被写体把握のポイントとしてvolvoさんがこのように話してくれました。
「毎シャッター、毎シャッター、被写体の仮説を立てていくことが大切だ。」
哲学の話で現象と本質という話があります。
色んな自己啓発本に本質をみぬけ!と書いてありますが、そんな簡単に本質が見抜けたら本なんて買っていないよと思います。現象は目に見える事が多く、人は現象に囚われがちです。では本質はどのように見ればよいのか、面白い事に現象からしか見る事はできません。会議では良くそのような状況に出くわすのではないでしょうか。例えば先輩が何故そのような事を言うのか、よく考えてみると裏にはこんな思いがあったんだな、なんて。
多くの現象を見て、判断をして、だんだんと本質が見えてくる、なんだか量質転化にも似ていますね。
ここまでの文章を纏めてみるとこのようになります。
極論本質を見抜くことは難しいが、本質に近づくことは出来る。
被写体を理解した撮影に重要なのは、本質を一瞬で見抜く力ではなく、本質に近づこうとする根気と行動が重要だ。だって天才でないもの。
 
 
彼女は6年ぶりのライフスタジオの撮影で、10歳のハーフ成人式の撮影で来店してくれました。とてもおとなしく緊張もしており、なにか話しかけた時には「はい」「まあ」くらいの返答をくれる程度で、おとなしい印象を持ちました。
ここで彼女に対する仮説が立てられます。
「きっと恥ずかしくて、撮影をイヤイヤながらやってくれる大人しい子」と。
 
衣装提案時もいくつかの服を広げながら、こういうのもあって、ああいうのもあって、こういうのもあるんですよ!とノリノリで提案をしている私に「なんでもいい」「うん」みたいな感じの対応でした。オーウ、ママも苦笑いでしたが、そんなノリでした。
まあそんなに無理しなくてもと思いながらなんでも受け入れてくれるのなーと思いながらヘアメイクの時間に入りました。
それから数十分してヘアメイクを終えた知らせを受け、部屋に入ると、彼女の表情が目に入あります。髪の毛を巻き巻きして、化粧をした彼女の表情が少し照れながらも、広角が挙がっているのが印象的でした。すぐさま新たな仮説が立てられます。
「自分の変化をとても楽しみ期待している子」と。ちょっと期待が高まります。
 
その後、合わせてきてくれました服装で家族写真を撮りました。私としては彼女を決定つけるような現象が起きた時間です。笑顔も噛み殺すような撮影をしており、家族写真のポーズを作っている最中にドッと笑い声が聞こえました。真剣にポージング指示をしていた私は聞こえなくて、改めて何の話をしていたか聞いてみると、パパがたじたじしながらこう答えてくれました。
「パパ口臭い、歯磨いた!?」と言われたと。
私は驚きでした、彼女がパパにそんなに強い当たりをするのかと。そして笑いました。
当たり前ですが、家でもモジモジしている10歳の子は少ないです。ある程度大人にしなやかに対応ができつつも、家では猛威を振るうような、典型的な内弁慶タイプです。私の立てた彼女の仮説に囚われ写真を撮っていたなと。改めて仮説が経ちます。「おそらく芯ある強い女の子だ」と。
 
撮影をしながら、いろんな会話をしながら、自分に関係ない話も聞きながら、多くの現象をとらえながら、だんだんと彼女という人柄が見えてきました。
彼女の人柄をベースに、「しなやかさと力強さを感じる写真」を撮りたいと思いイメージを作ります。きっと今の彼女を表現するには適切ではないかとこちらも仮説を立てます。
 
A4、3ページ目でやっと写真の話です。だいぶ遠回りをしました。
「しなやかさと力強さを感じる写真」を具現化する為に、条件を探します。うーんと10秒ほど一周してみて、青葉店の玄関横の窓から撮る事にしました。
まず彼女の芯ある力強さを表現する為に、光の使用方法を考えます。この際は光と言うより影を探す感覚です。カメラの教科書に良く書いてあるように、サイド光などの影が強く出ている写真は、ドラマティックな印象を与えてくれます。言い換えるならば写真の中での陰影差です。彼女は窓からのぞく姿勢で、私は窓の外から撮影しています。光は被写体のやや斜め上から当たっていますが、立ち位置的には順光の条件です。彼女の力強さを演出する影を作るために3つの条件設定を行っています。
1.廊下の電気を消す事。
被写体奥は青葉店の廊下です。廊下には窓が無いため暗く落ち込むことは容易に想像できましたので、被写体との露出差で、背景の暗がりを出すことを一つ。
2.被写体の立ち方を、やや斜めに。
具体的には窓枠のへりに右ひじをついてもらい斜めに出る形です。このようにする事で、顔の左側から右側にかけてグラデーションを生むことができました。
3.木の隙間をついて撮影。
これが最大の効果を発揮してくれました。木の枝と葉っぱが彼女への光をさえぎってくれることで、顔の中に影を生むことができ、よりドラマ性を強く演出してくれます。よく見るとおでこの左側の影と、右側の影はこの木によって生まれたものです。
 
光の使用方法は決まりました。次にレンズと設定です。
この写真のテーマは「しなやかさと力強さを感じる写真」です。それをアップで表現したかったので、背景に意識が行かない様に、背景処理が必要です。この撮影条件で背景処理を容易にしてくれる望遠レンズを使用して撮影を行いました。
見せるものは一つでいいと思い、絞りの値は2.8の開放に設定して、撮影を行います。必要な要素以外の物を整理したいので、このような設定にしました。
 
力強さを演出する為に次に設定したのはポーズです。
今回は何もしませんでした、強いて言うならば目線の角度くらいです。クローズアップの写真になると手の使い方が重要になりますが、ここでは女性のしなやかさを演出する指使いなどがあまりいい効果を生まないと感じたからです。あくまで力強さがテーマでしたので、ただそこにいるだけで十分な状況がそこにはあったからです。
目線は下を見てもらう事にしました。私が感じた彼女の力強さとは、内なる芯だと仮説を立てていましたので、自分と向き合うような雰囲気、それはうつむき気味な角度が一番適切だと考えるからです。
 
では次は「しなやかさ」です。
これのポイントは一つで、髪の毛だと考えます。ここで大切にしたことは無造作感です。
なんだかおもしろい事に、人は人の手によって作られた物に違和感を覚え一瞬で見抜けてしまいます。静止画と動画を誰もが一瞬で見抜けるのと同じように、人の違和感というアンテナは馬鹿に出来ません。髪の毛を単純に垂らすだけでも同じような写真をとることは出来ますが、単純に目にかかっている邪魔くさい前髪という印象が、どうしてもイメージと一致しません。ここでは偶発性に期待をしました。風でなびく前髪を。
なので、今年から花粉症を発症した私にとっては少々つらい状況ではありましたが、窓を開け窓の外から撮影をする事にしました。
ブワー、カシャカシャ。ブワー、カシャカシャ。と風が吹くタイミングで4~5回ほどシャッターを切ります。
心の中で思いました。
「母なる大地の恵み、伊吹よ、ありがとう」と。
 
最終的に私を迷わせたのは分類の時間でした。
撮った4~5カットの似た写真を見比べます。どの写真が一番私の中の彼女に近いのか。
3枚程度の写真はすぐに捨てましたが、どちらにするか迷います。
一つはぴったし目にピントが来ている写真で、もう一枚は目からピントが外れて髪の毛にあっている写真。何度も見比べます。こんなに迷うとは思いませんでした。結果的に残した写真は髪の毛にピントが来ている写真でした。
色んな仮説を立てながら彼女の本質に触れようと撮影を行ってきましたが、このしなやかさと力強さという彼女のイメージも本当に信ぴょう性高いものなのか?抜本的な疑問が私を迷わせます。極論わかりません。
だから、きっと、たぶん、おそらくそうあってほしいなという私の希望を抱き、少しだけ淡くぼけている写真を残したのだと思います。
いつまでたっても分からない、だからこそポートレートは面白く、私が撮りたいとおもう理由なのだと思います。
 

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