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青山店
写真分析~深根固抵でありたいな。~
投稿日:2018/2/21
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Yokohamaaoba
Photo:gomei
Codi:Misaki Nakagawa
もう少しで私は30歳を迎えるのですが、30と言う数字は前々から何となく何かの分岐点だと感じながら、ここ5年程を過ごしてきました。何となく数字で物事の選択が狭くなったり、はたまた物事を色々な角度から見てみようと、考え方が少しだけ変わってきている事も自分自身で感じます。
20代中盤くらいまでは、「30歳になると見えない制約や、年齢に追われて機動力を失ってしまうから、それまでに新たなフィールドを見つけよう。」と考えて生活をしていました。あれから5年、あの頃よりはできることがいくつか増え、少しだけ物事の考え方を多角的に
捉えることができてきました。また、自分がどの様な目標を持ちながら働くことができるのか、今ならば自分自身の信念たるものを言葉で少しだけ伝える事が出来てきました。きっと自分自身への理解度が増したのだと思います。ですから今は「もう少しここでかんばってみよう。」そう前向きに考える事が出来ます。
多くの生活習慣を変えていく中で、面白い事に写真を撮る際の、子供の見方にも変化がある事に気が付きました。
今も無くはないですが、どこか人と違った写真を求める自分がいました。何だか目を引く極端な写真と言うとイメージが沸くでしょうか。
それが自分を写真で表す唯一の表現の様に捉えていた時期があります。極端なトリミング、極端な光の設定など。写真展に行って、これはどうとっているんだ?と思うような写真を見てはスタジオでまねたり、その度皆の反応を頂くので、内心はしてやったり!と思っていたのでしょう。でも必ずその時期は必要だと思っていますし、そのように私は技術を学んでいきました。そのような人に今もいくらかの憧れを抱き、その才能を喉から手が出るほどに欲しくなる時があります。どの条件でも写真を通して自分の意図を思うままに表現できる撮影者をここでは写真家とします。
世間一般的には撮影者の事をカメラマンと称します。これも立派な役割だと思います。ではカメラマンのイメージとはどのようなものなのかを個人的に考えてみます。カメラマンとして思い浮かべるイメージは、クライアントの要望に合わせて写真を撮る人だと感じます。
例えば、雑誌の取材カメラマンや宣材写真のカメラマンは、依頼者の確かな要望を確実に残していく事を必要とされます。本当に自由には撮る事は出来ませんし、求められるものは自身の意図とは別のところにある可能性も高いです。しかし確実な理論と技術が無いといかなる状況でも対応ができませんので、写真家に対してスキルが劣っているという事はありません。ここでは、いかなる条件でも撮影を可能にする撮影者をカメラマンとします。
ではここでの問題定義は、ライフスタジオの撮影者は写真家であるべきなのか?カメラマンであるべきなのか?です。
これに関しては皆「う~ん…」と悩むのではないでしょうか。
自分らしさを表さないのも違う気がするし、なんだか求められるままに撮る事も機械的に感じるし…
一枚の写真として考えると悩みのパラレルワールドに入っていくのだと思います。商業写真の一面もあれば、芸術写真の一面も持ち合わせるのが写真であり、ファインダーを覗く以上撮影者の意図は反映せざるを得ないからです。
個人の見解ですが、私は6カメラマン:4写真家の考え方が理想だと考えています。
この書き込みを見て10カメラマンだ!と反論をしたい人が居れば、きっと他の写真を媒体とした企業へ転職したほうがいいと思います。はたまた10写真家だ!と反論したい人が居るのならば、有名な写真家さんへ弟子入りするのをおすすめします。なぜなら、私達は一般のお客様を対象にしながら、記念写真や芸術写真などの複合的な要素の写真撮影を行っているからです。この写真の性質を体現する為に、流動的に撮影を行って行きます。つまりは75cutをどのように残していくのかを考えるべきだと思います。
極端に、全ての写真が極端なものだと、相対的に極端な写真だと判断しづらくなりますし、ただただ条件だけを合わせていく撮影だと、被写体がだれであっても変わらない原本が生成されます。なんだか寂しいですよね。
ではやっとになりますが、この写真の話に移りたいと思います。
この写真は変哲の無い写真だと思います。きっとぐっと何かを惹かれるような極端な意図は感じづらいですし、ふと流されてしまいそうでもあります。条件は強い自然光が被写体の右側から差し込んでおり、部屋の隅と手前の壁には光が当たらずに、コントラストが強い条件です。
では何を撮りたいのか、意図につながる部分は写真家の色が強い部分だと考えます。前途した最近変わってきた部分はここへの影響が強いです。赤ちゃんの特性を見ます。比較的まったりとした性格の赤ちゃんであり、癇癪を起すタイプではない性格をしていました。それらは仕草と表情で見える形として表れます。これをどのように移すことができれば、赤ちゃん自身の自然な姿につながるのか。一見眼鏡を嫌がる表情へクローズアップしたくなってしまいますが、ここはぐっと我慢して全身写真を選択します。子供の表情が可愛い事はもちろんの事、普段何を見て可愛いなと感じるかを考えてみました。笑顔の他は何か、ハイハイで近寄ってくる姿、つかまり立ちをしている姿など、動作と共に全身を使って一所懸命に動く姿を見た時に年齢の可愛さを感じる事が多いのだと考えます。
次にどのように撮るかです。撮影場所も狭く私の体を入れるのでやっと位の引き尻しかありませんので、きっと窮屈な撮影風景だったと思います。1歳は自由に動くので、そこで止まっていて!!と強く願ってもそのようにはなりません。ですから動きに合わせて条件を設定し、処理をつけていく事が特に必要なスキルになります。言い換えるならばカメラマン色の強い撮影かもしれません。まず①陰影差を入れてハイライトの部分に子供を設置する事。この時にいつも助けられるのが、構図の知識です。ここではごくシンプルに使える3分割構図の線に被写体を合わせて配置します。②は処理です。壁のラインを右側ぎりぎりで設定をし、奥に流れるように斜線として設定をします。おのずと被写体後方に余白が空きますが、その余白の奥に小物を若干ぼかして入れ込むことにより、被写体とのバランスを保つ作用をしています。主にこの二つの要素により、写真の安定感を1段高くすることができました。
最後はどの瞬間に撮るのか。先ほどあげました仕草に関わる内容で、シャッタータイミングの事です。ここはコーディネーターにありがとう!と心から言いたい内容ですが、仕草の誘発を帽子と眼鏡で作ってくれました。あとはまったりと嫌がりながら取ろうとする瞬間に合わせてシャッターボタンを押すのみでした。
どの様な意図も写真が乱雑では、乱雑な写真として見られてしまいますし、どのように整理されていても意図が反映されていなければ、つまらない写真として見られてしまいます。これらを一枚の写真の中に組み込んでいく事で、そして75cutを構成していく事で質のいい原本が作られていくものだと考えます。
何を撮るのかでは写真家の考えが必要で、どう撮るのかにはカメラマンの考え方が必要です。この二つを有して撮影を行う撮影者が良い撮影者だと思いながら、私もそこに近づく努力を惜しまない日々がこれからもずっと続くのだと思います。
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