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青山店
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彼とグラブと時々わたし。

投稿日:2017/11/23

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Yokohamaaoba 

Photo:gomei 

Codi:Natsuko 

 

 

野球やっているんです、グローブを持ってきました。 

 

そういう彼の話を聞き、おじさんも野球やっていたんだよ~なんて話をしながら、グラブを見せてもらいました。 

グラブ入れから、年季の入った柔らかい内野手用のグラブが出てきたときに、彼が日ごろどのように野球と接していたかが手に取るようにわかります。 

 

手、はめていい? 

少年野球用のグラブは、今の手の大きさには少し窮屈でしたが、昔熱心に野球をおこなっていた頃を思い出します。 

グローブに中には少年野球のC球が。 

グラブの型が崩れない様に、はめておくのが一般的です。 

自分の手の平のC球が小さく感じた時に、時間の流れを強く感じます。 

 

グラブの登場は3シーン目です。 

最後に兄のソロ写真を撮る予定であり、本当の最後に出してもらいました。 

私は頑張って練習をしてはいたのですが、万年ベンチの温め役でした。 

試合に出る時は決まって、送りバントか守備固めで2時間近くある試合の内5分から10分くらいでした。 

そんなこともありながら、甲子園は目指せないなとあきらめをしながら、卒業大会で負けてグラブを置く時の気持ちを、彼のグラブを見て思い出しました。 

 

こういう事を考えた時に、良く迷います。 

彼の情報元にイメージを作り上げていくべきか、それとももっと自分自身を投影させていいものなのか。 

文章を書きながらもうーん、と迷います。 

カメラを構えるという行為をする時点でカメラマンは必然的に影響してしまいます。 

ポートレートを撮るという事は、必然として被写体の要素が大きく影響してしまいます。 

では、その影響する要素はどこから来ているものなのでしょうか。 

 

私の印象を店舗のスタッフに聞いてみました。 

ある人は、初見は心無い人かと持っていたけれども、関わってみたら輪を大切にする人だったと言いました。 

とすると、人を表すには見た目のことよりも、目に見えない内面の要素が反映されることにより、その人を具体的に初めて撮ることが出来ます。 

目に見えない情報を得ながら、目に見える要素を通して表現をすることが人を撮ることにつながっていく可能性があります。 

それを知るためには、自分の方法が必須であり、その条件から影響は免れません。 

だからこそ、自分の意図が反映されてしまうために、自分がどのように見るのか+彼の規定が大切になります。 

彼をこの様に規定してみました。 

「夢への可能体」 

 

三浦友和のボールは友達という名言がありますが、野球だとグラブが友達ですね。 

毎年毎年買い替えるものではなく、新品の固いグラブから使い続けてゆっくり自分の手の形に合っていき、グラブが育っていきます。 

これまでの成功体験や失敗体験、鍛錬が毎日毎日積み重なっていき、掛け替えのない存在へとなります。 

このグラブとこれからどのくらいの期間を付き合っていくのだろうか。 

延々と付き合っていってほしいという願いもあれば、私のように挫折をする経験もあるだろう。 

そんな考えから、写すものは最小限いしようという意図が生まれます。 

まずは光。 

被写体手前の近くにライトボックスを配置して、強い光を当てました。 

それからゆっくり被写体の周りをゆっくりを回るように撮影を行います。 

どこだろうか、こっちか、いやもっとか、上か、下か。 

時間にすると10~15秒くらい探しました。 

そしてここだ!に出会います。 

 

被写体に向かって右側に回り込みながら撮影を行いました。 

本当に小範囲で光を感じる場所を探していたので、半逆光の様に光が使用されます。 

そしてカメラの設定を持って、その他の要素を真っ暗に落とし、見せたいものに制限をかける事がこの写真には必須だったのです。 

それは使用感あるグラブと、彼の視線だけです。 

 

以前マミーという映画を見た時に衝撃を受けました。 

画面比率が1対1なのです。 

写真の比率は4対3なので、それから考えてもだいぶ特殊なカメラ設定を行っています。 

その監督は見せたいものを見せたいから、無駄を排除できる1対1を選んだと、コメントしています。 

私も今回はこれをしたかったのだと、時間が経ってから気が付きました。 

 

それに伴い、グラブを中心にして、ど真ん中で撮影を行っています。 

どストレートに伝えることがこの写真の核だと考えています。 

前途いたしましたが、人を撮るという事は、結局は目に見えない要素を自身が得た情報を整理し、規定をしていかなければなりません。 

だからこそ、会話をしますし、自分の事も話します。 

その繰り返しを行っていくと、自分の中では、人とは結局のところわからない。という結論に至ります。 

何故なら、規定も主観が決定つけるからです。 

人の事はわからないですが、この写真には彼のこれまでのドラマと、私のこれまでのドラマが詰まっている物になります。 

その積み重ねと、第三者が見て、読んだ時の同意、即ち一致こそが人を撮る上で大切なことだと考えます。 

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