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青山店
scrollable

写真分析 なんこつの思い出。

投稿日:2017/11/18

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Soka
Photo:gomei
Codi:Kai
 
 
処は草加店でした。
最近は他店舗に勤務する事もめっぽう減っており、久々に来た草加店の何から何までが新鮮に感じました。
時間は夕方手前の時間帯で、草加店の大きな窓からは、暖色帯びた光がこれでもかと言うくらいに差し込んできます。
 
「こんにちは。」
最初のコミュニケーションは、例外なく挨拶から始まり私もこんにちはと答えます。
二人の性格は絵にかいたような兄弟関係を作っており、兄は落ち着いたしっかり者という印象で、次男は元気なひょうきん者という印象を持ちます。
勿論家では異なる一面を見せているのだと思いますが。
このくらいの年齢の子たちは、すぐにイエーーーーーイ!なんて走り回る事はしません。
初めての場所で初めての大人がいるので当たり前です。
自分から自分の事を話してくれる子も稀です。
今までの挨拶から、これからの約二時間は遊ぶ時間と変化します。
撮影を共に遊ぶという事は、共通の事を通して遊ぶことが必須です。
共通な事とは撮影もありますが、時に撮影は子供たちに苦痛を与える事にもなってしまうのです。
だからこそ、撮影の前に何を話して、何を基に遊ぶかを設定する事が、子供の写真を撮るカメラマンの隠れたスキルなのだと考えます。
 
こんな時、考えます。
共通の何かを。
何を出すかは経験値からなるものだと考えています。
そして自分に知識がないものでないといけませんね。
 
30歳の私と、小学生との共通の話題とは何か。
一瞬の内に頭をぐるぐると回転させ、一言投げかけます。
「ゲーム好き?」
ビンゴでした。
 
そこからお互いのコミュニケーションは咳をきった様に円滑にわまりはじめます。
今回は私には珍しく、2ショットから始める事にしました。
もうエンジンをつけるには十分な関係を作れていたからです。
 
飛んで、はねて、投げてを繰り返し、お互いに汗をたくさんかきました。
ハイテンションな時間がバー!と流れていきました。
ふと撮影場所全体を見てみると、西日が強く光線の様に入って来ていたので、少し落ち着いた写真でも撮ろうかと、なんとなくバスの横で休憩してもらう事にしました。
二人は、は~なんて言いながら腰を掛けてくれ、私は肉眼で周りの要素を見回し、物事の整理に入っていました。
地べた付近まで視線を落として二人を見てみると、何だか昔に見たような懐かしい感覚に陥ります。
 
 
ああ、兄貴とこんなことあったな。
と。
 
私は兄と3つ違いで生まれました。
幼少期は子分の様にくっついていき、子分の様に扱われたのを覚えています。
あれはおそらく幼稚園の年長くらいだったのだと思います。
千葉県の畑ばかりの地域に産まれ、周りにはスーパーも、ましてやコンビニもなく、近くにあるのはよぼよぼのおばあさんがいつも店番に立っていた商店がひとつです。
今の様に好きなものを好きな時間に変える時代ではありません。
確か親父が酔っぱらて帰宅した際のお土産に一時期焼き鳥があって、色々な種類の串に感動していた時期でした。
でも私はあんなにおいしい焼き鳥がどこで売っているのかを知りません。
何時しか親父は毎日酔っぱらって帰ってこないかなと、星に願うようになりました。
それからしばらくしてから、兄がばたばたと私の方に駆け寄って来て、一言。
 
「おい和真、小金原商店街で焼き鳥が100円で売ってるらしいぞ」
自転車に乗る事にもやっと慣れてきた私と、いつも爆速ですでに車に2回ひかれている兄とのちょっとした冒険が始まりました。
大人になるとたかだか自転車で10分くらいの距離でしたが、あの頃の私にとっては大冒険でした。
汗をかきながら、やっとたどり着いた焼き鳥屋が神々しく思えました。
兄は握りしめた100円で軟骨を注文しました。
私はポケットに入っていた少し湿った100円で、
「ぼくもおなじの」
と頼んだと思います。
 
夕方門限前に、商店街の隅で兄と並んで串を食べた記憶がババっとよみがえりました。
前置きが長くなりましたが、そんなノスタルジックな印象がこの写真のイメージになります。
そんな自分を撮りたいのか、そんな彼らの瞬間を撮りたいのか。
どうしてもカメラマンの意図が反映されてしまうものですが、結局は人を撮る以上、被写体と撮影者の見えない奥の部分を一致させ撮ることが、人を撮る事なのかもしれません。
 
まず一つ、抱いたイメージを具体化する為に、ワードを探します。
イメージを言語化する事が出来れば、少し具体性を持つことになります。
今回自分の中で作ったイメージは、「少年たちの記憶」です。
関係は絶え間なく変化していくものなので、この写真をいつか見てこんなことあったなと思ってもらえたらうれしいと考えました。
なので、まずは被写体との距離を大切に考えました。
 
光源は被写体奥の窓からの光と決めていました。
今回は70-200のレンズを使用して、手前に物を置き、ぼかせることにより、被写体、物、背景のシンプルな設定を行います。
そして一番気を付けたことは、ぼけている物と車の線をなるべく水平に入れ込むことです。
それに伴い全体的な線の処理を行う事で、いつかの為の綺麗な思い出を演出する事が大きな意図でした。
思い出は美化されるものだと私は考えます。

なので私が思い出した話はとても美化されている可能性が高いです。
でもそれでいいのだと考えます、きっと10年前はもっとぼちゃっとした話だったのかもしれません。
その美化された思いを具現化する為に、線の処理には細心の注意を払いました。
 
あとは二人が、何もすることも話す事もなく、ただぼやっとする瞬間を待つのみです。
あの日焼き鳥を食べた時も、おいしいね!!!なんて漫画の様な弾む会話をした覚えはありません。
ただ食べるのに夢中でした。
もしかしたら綺麗な思い出も、よく思い出してみると何ともない事なのかもしれませんね。
 

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それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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