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青山店
写真分析~観察してからの~?~
投稿日:2017/10/28
2007 4
現在ワンポイントの写真の主題として写真大辞典の【観察】が取り進められています。
観察を一旦いうとすると、見慣れた観点で見ないことと記されていますが、日常的に習慣化された事柄を、見慣れたように見ないようにするには、高い意識と技術が必要なのはわかりきったことです。
では!毎日から変えてみよう!!!例えば見方を変えれば世界は全て美しい!!!
なんて思うたちでもありません。
何か一つでも、自らの意識を変えて行けることが出来てゆくのであれば、それは十分な見慣れたように見ないことだと認識しています。
では、何を対象とするべきなのか。
それは自分自身に染み付いた、自分の癖だと考えます。
以前volvoさんがまとめてくれた観察の資料では、いかに多角的に情報取得をするのかという話がありました。
被写体からもらえる情報を多くの角度から認識と理解をして、習慣を一つ変える何かを。
被写体から情報取得を多角的に行うことによって、被写体への理解が深まったり、認識が変わる事はもちろんあります。
例えば、私の中でやんちゃなイメージだったダルビッシュ有が、ある時インタビューで自身のストイックさについて、「後悔したくないので、今を精一杯行っている。」と語っている動画を見た際に、自分の抱いていたイメージと大きく異なる印象を持ったのを覚えています。
野球をしている姿しか知らなかったのですが、野球以外のインタビューという形式の中で彼の心を映し出していることが私の中で、見慣れていない側面だったのだと思います。
写真を撮る上でも、多角的に情報収集が必然であり、カメラを媒介し写真として見える形となって現れます。
言葉を変えると客観的に見よう。
と言い換えることが出来ますが、何に対して客観的に見るものなのでしょうか。
見慣れたように見ないという事は、見慣れている状況に陥っている可能性があるからであり、誰が見ているのかというと、自分でしかありません。
つまりは、どこまで客観的に見ようとしても、主観の中からは抜け出すことは出来ないので、結局は被写体の情報を取得しながら、自分自身を見つめ直すことが重要です。
ここで一つ疑問が生じます。
鋭く見ることによって得た情報をどのように使用するのが適切か。
写真大辞典を読み返してみると、具体的な方法の中にこのような文章がありました。
自分が表現したい方法で撮影する。
また、視覚だけでそれらの形、線、色、音、触感的特徴、臭い、さらには味までも総動員して観察する。このようにもあります。
比較的、視覚的情報取得は日常的に行っている方も多いのではないかと思います。
インテリア、光、色、線、面、形、癖、見た目、その他諸々日常的に情報取得をしています。
勿論いつもよりも具体的に見ることがこの取り組みには大切であり、
自身の変化発展の原理を3つの方法をもって私たちは学習をしてきました。
量質転化、対立物の統一、否定の否定。
見慣れたように見てしまうという事は、日常的に習慣の中で、疑問を抱かずに多くの選択をしている事です。
まあ確かに毎日毎日何も懐疑的に物事を見ている人はいませんね。
慣れと安定は常に日常にあふれていますし、これが無い生活というものは考えられません。
コーディネーターの中川から撮影前に情報を貰いました。
「全く人見知りないです!」
神よ、ありがとう。
カウンセリング後に撮影場所に向かうと、にこにこと少し恥ずかしそうにしている彼に出会いました。
この瞬間に私の中にテーマを作りました。
観察の内容にあった着眼点です。
それは恥ずかしそうに少しだけ、もじっとする笑顔から、満面の笑顔になった瞬間を力強く撮る事です。
以前先輩に教わった言葉の一つにこのような言葉があります。
「物理的距離は、心の距離。」
客観的な遠くから撮るスタイルではなく、一緒に本当に遊ぶことがこの撮影の課題だったかもしれません。
レンズも24-70に切り替え、とにかく自分も一緒に遊ぶこと。
撮影者と被写体の垣根を壊せるように、一緒にというキーワードを用いりながら遊ぶこと。
そこに共感が生れるならば、その瞬間から仲間なのです。
私と一緒に撮影に入ってくれた方なら知っているかもしれませんが、基本的ににぎやかな撮影を行います。
その中でも、子供や親御さんの反応を色々な事を行いながら、収集します。
はたから見るとウルサイ撮影なのですが、私の中では投げる事と、反応というキャッチボールを、、会話や質問と変わりない事を行っているつもりです。
ではそのでえた情報を、どのように適切に活用するべきなのだろうか。
沢山の情報を得たうえで、選択権はその分多くなります。
例えばモジモジっとした仕草を撮る事も今を残す事につながりますし、もしくはふとした瞬間の真剣な表情を残すことが今を残すことかもしれません。
そんなときに自分が撮影を行う際に、必ず思い返す事があります。
「家で元気ではない子は居ない」
この思いが撮影を行う上での私の軸になります。
だからにぎやかな撮影を行うのです。
過程の話になってしまいますが、家での姿が一番自然に近いのかもしれません。
環境によって人は表情を変えながら生きていく順応性の高い生き物だと思いますが、私自身一番心が素直になれる場所はどこかと思うと、家です。
その姿に近づけてゆく事が私の撮影の命題であり、私の撮影のスタイルであり、テーマです。
この目標に向けて、多くの情報取得を行い、適切な使用を行い、目標達成を目指します。
つまり私の中では、この観察にて得た情報を元に、目標点までを最短距離で突き進むことこそ大切な事なのではないかと考えています。
見慣れたように見ない。
鋭く見る。
そして自身も含め多くの事を客観視した上で、方法を決定します。
何のための方法か。
自身の大切にしている「家で元気ではない子は居ない」を体現する写真を生むための。
それがスタイルであり、私が撮影する意味だと今回の分析にて改めて感じました。
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