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ハニカム⑳~阿修羅マンの如く~
投稿日:2017/6/5
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横浜青葉店のアシュラマンこと、五明和真です。
アシュラマンとは、キン肉マンに登場する悪魔超人でありながらも圧倒的な人気を誇るキャラクターです。
キン肉マンを読んだことが無い人でも名前は知っているという方もチラホラ。
元は仏教の阿修羅をモチーフにしており、6本の手と3つの顔を持ちます。
一つはノーマルの顔。
一つは哀れんでいる顔。
一つは怒りの顔。
の3つを使い分けファイトスタイルを変える悪魔超人でした。
勿論私の最近の顔は、これです。
人を怒るという事はそれはそれは大層な事であります。
そして大きく分けると2種類に分類がされるのではないかと感じる今日この頃です。(自分が行っているのが2種類?)
一つは感情的な怒り。
これは日常的によくあります。
例えば人に当たるという事や、思い通りにならない事を伝えるということ。
これらに共通している事は、感情先行型であるという事だと認識しています。
人にAと伝えたが、Bとして理解をされた。
何故わからないのか、何度言っても分からないのか!予想以外の反応が出た時に「あんなに丁寧に教えたのに!」や「ふつう言ったらわかるよ!」とフラストレーションが溜まりに溜まって爆発させます。
でもよく考えてみると、理解の仕方や認識の仕方は個人差があって当たり前なのです。
何故なら一人ひとりが異なった価値観を持っているからです。
一番おいしいご飯は何?と聞いたら皆違う答えを述べます。
そのくらい人の感じ方は異なりますので、そもそもわかるはずだと考えること自体がずれていることだと感じることもありますし、その怒りをぶつけるとお互い理解が異なっていますので、関係破滅へのスタートになりやすいものだと思います。
つまりは価値観の違いを理解せず、予想に外れた結果のみを感情のみで伝えることは、自分自身のフラストレーションを吐き出すだけの利己的な行為だと考えます。(もちろんグチを言い合う時間も必要ですがね^^)
もう一つは、相手の発展の為の怒りです。
これには先ほどとは、うって変わって理性が必要だと考えます。
まずは人の価値観の違いというものを理解し、他者にとって何が必要なのかを見極めたうえで、行う必要があるのです。
つまりは怒りというよりかは、叱りの方が適切なニュアンスですね。
他者の課題に対して客観的に多くの要素を捉え、抜け落ちている部分を指摘する事が必要なわけですので、おのずと理性がないと叱る事はできません。
言葉とは感情に音がのったものを言いますが、言葉に感情をのせる感覚でしょうか。
言葉遊びの様ですが、そのくらい性質の違いがあるものだと考えます。
例えばAを伝えようとしてBと理解がされた、それならば相手の立場になって考えてみるとAをするまでにA①という要素が無いのを発見、それに対して代案を行う事。
でもこれだけでは怒りには該当しないように感じます。
そこで私が怒ることと怒らない事の基準が必要になります。
私の中ではすごい単純な基準です。
やっているかいないかの差です。
感じることや、思う事は誰でもできます。
でも行う事は自然には出来ないのです。
つまり行えない事と、行わないということは明確な違いがあり、後者は怠慢だと考えています。
話しがぼわっとしてきましたので、少し纏めてみると、
2つ目の怒りは、他者の発展の為に心を鬼にする事。ではないかなと感じます。
私の尊敬するプロレスラー北斗晶はTVで、
「鬼嫁とは夫に対して鬼になる事ではなくて、夫の為に鬼になる事である。」
と発言していました。
まさにこれが正しい使い方ではないかと思います。
もう一度自分に立ち戻ってみます。
ここまでの大演説ですが、出来ているの?と問われると少々弱ってしまいます。
自分も自信はありませんから^^;
しかしそのようにあるべきだな、そうなりたいなとは常々思っています。
横浜青葉店で本気で楽しむことをするのであれば、怒る時も本気でなくてはありません。
それが相手の発展の為の鬼になれるのであれば…
さあ、皆6月も頑張りましょう!
怒りの反省をしている、深夜のブログでした。
私のノーマル顔よ、戻ってこいー。
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