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青山店
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ととせ。

投稿日:2017/2/8

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aoba
photo:gomei
codi:Sasaki



写真館につとめていると多くの祝い事に参加する事があります。
一般的なお祝いを時系列で纏めてみると、

お宮参り
生後一ヶ月目ごろに、無事に出産したことのお礼と子供の健康と幸福を祈って、氏神様への最初のご挨拶として、近くの神社や天神さま、お稲荷さん、観音さまなどへ詣でるお祝いの撮影です。

七五三
三歳:平安時代の「髪置の儀」に由来します。平安時代の上流階級では生後七日目に髪をそって丸坊主にし、三歳の春から髪を伸ばし始める習わしがありました。その頃の乳幼児は死亡率が高く三歳まで健やかに育つことはとても喜ばしいことで、それを祝ったのが始まりとされています。
五歳:平安時代に公家階級で行われていた、始めて袴を着ける「着袴の儀」に由来します。
七歳:鎌倉~室町時代頃からの習わしで「帯解の儀」に由来します。当時の子供のきものには紐をつけて着せていました。そのつけ紐をとって帯を結ぶまでに成長したことを祝う儀式です。
 
では十歳(ととせ)とはどのような起源があるのでしょうか。
十歳記念に関しては歴史的起源の様にしきたりは調べても特段ありませんでしたが、現在ではハーフ成人式という言葉と共に、学校行事の一環として導入されている地域もあります。
あえて起源を辿ってみると、思い病気を患っていた子供を持つ両親が20歳の成人式を迎えられないかもしれない、だから10歳の時に成人式のお祝いをしてあげよう。という思いが起源と言われています。
七五三までは神にまつわるお祝いの儀式として行われておりますが、ハーフ成人式においては親心からなるお祝いという事が分かります。
 
十歳(ととせ)のお祝い普及促進委員会のHPにこのような文章がありました。
育児というものに携わり、子供と格闘する年月でもあり、うれしいこと、楽しい事でもあり、また思い悩むことも多い歳月。
それは人生の中で、一番「愛おしい時」でもあるのです。
 
ここからわかる事は、子供の為でありながら親心からなることであり、親の願いが詰まったお祝いと願い事です。
10歳の記念と称して身体の成長を撮影する事だけがハーフ成人式撮影に必要なことなのか、私はそうは思いません。
ハーフ成人式の起源が親の思いだとするのならば、目に見る事の出来ない感情や心情が表されている物を撮影する事が重要で、目に見える身体や仕草や表情からその思いをくみ取る事が必要です。
これから大人の階段を一段づつ上がってゆく、子供への未来への希望、そして成長の記録これこそがハーフ成人式撮影に求められる内容なのだと思います。
 
彼女はハーフ成人式枠に新規の顧客としてママと二人で来店されました。
ピンポーンとインターホンがなり出迎えると、第一声は「宜しくお願いします。」緊張と不安からか少々うかがっている様子にも見えましたが、第一印象はとても行儀の良い女の子という印象でした。
終始おどけるスタッフたちに対して必ず敬語で会話をし、質問に対してはっきりと受け答えをしてくれ、落ち着いた空気が流れてゆきました。
多くの会話をしてゆく中で、彼女自身の人間性を知れるポイントがありました。

1.年上は敬う存在であると認識している
2.何事も真面目に取り組む性格である
3.母親の存在が緊張感を緩和させてくれている。簡単に言うと中がものすごく良い。

中々簡単に初対面で普段の姿は見れないものですが、それが見える瞬間はいつも不意にやってきます。
ママと2ショットの撮影をしてゆく中で、お互いの顔を見合う時がありました。
緊張しているママさんに対し、ふざけながら顔を近づけ緊張を解きほぐそうと、少々いたずらっ子な一面を見せました。
その時に私は、あぁなるほど。私はハーフ成人式撮影という形式に囚われていた事を強く痛感しました。
誰でも環境によって気を使うものであり、素の姿があるものです。
その素の姿の撮影こそが、10歳の記念であり、ハーフ成人式の撮影であり、ライフスタジオの撮影であると思います。
それは環境に抑圧された内面の自由ではないか。
そう感じると共に、親の思いと、成長性ゆく内面の撮影対していくつかの方法を用いりました。
 
●不意を衝く
前途した通り、とても行儀の良い女の子です。
言われたことは少々難しくても我慢して頑張るタイプでした。つまりは撮影に対し固い指示をすればするほど頑張って行ってくれますので、一つの私の指示に対して彼女らしさが一つ隠れてゆくものだと感じました。
例えばこの年齢の子達は大体小学4年生から5年生くらいで、学校という組織の中で生活し社会性が備わっています。だから低年齢の撮影の様に偶発性が低くなりますし、健気でありながら同時に不自由な感覚すらあります。
それが大人になる事かもしれませんが。
そのような撮影をしていると、なんだか物足りなさをカメラマンとして感じます。
「何かが足りない」
まるで被写体の感情が読み取れなく、被写体は誰でもいいような写真になりがちです。
目に言える要素ばかりが混在し、良い写真である内容と形式の一致がされていない事を意味します。
端的に言うとそれは被写体に何かがあるのではなく、カメラマンの能力が足りないということでしょうか。
この写真ではその目に見えない部分をどう見せるのか、つまりは相手の素にどのように近づくかがカギとなりました。
 
この写真は2シーン目の一枚目に撮影されました。
ママやコーディネーターと談笑している間に、そそくさとライトボックスを設置しながらカメラの露出を決定します。
そしてカメラマンからの指示は極力シンプルにします。
「ここに立ってママと話していてね~」
会話の途中に話を切るように
「ねえ、ねえ。」
ふとこちらを振り向いた瞬間にシャッターを切ります。
その時必然として、何?ん?といった疑問の感情が沸き、表情としてその感情が露わになります。
社会性が身に付き出すと素の感情というものは心の内にしまわれやすくなってしまうものです。
高い城壁の小さなヒビを探すように、撮影をすることが彼女との撮影を通した対話には不可欠だったのです。
 
●シンプルな線の処理
極力シンプルな線の処理を行う事で、ある種無機質な印象を作る事も方法のひとつです。
インテリアとライトボックスの縦線を極力まっすぐ捉えるために、インテリアに対して正面にカメラを配置します。
ライトボックスが画角の左半分を締め、二分割構図にしました。
縦線を意識し整理を行う事で、シンプルに無機質的な印象を演出し、その為インテリアの色も白色が基調となる場所に設定しました。
●露出差による奥行きの演出(光)
ライトボックスを被写体後ろの近くに設置したのもこのためです。
ライフスタジオの写真の特徴として逆光が多く採用されていますが、逆光撮影の注意点としては、インテリアまでもが白飛びしてインテリアの存在が感じなくなってしまう事です。
ライフスタジオの構成要素の大きな一部にインテリアの存在があります。
初めてご利用いただくお客様が第一に感じる点はインテリアですが、そのインテリアが全て無くなってしまうのは何とも悲しい出来事でもあります。
よって一枚の写真の中に露出比をつけることで、被写体への存在感とインテリアの存在感の協同を作ります。
ライトボックスに仕込まれているタングステンライトは消しました。
何故ならインテリアと衣装との色調に統一性を持つためです。
全体的に白で統一されているところに、唯一色を持った彼女が入る事で、明確な色調差が作られるからです。
 
●統一感
結局はこの一言で纏められるものかもしれません。
光、インテリア、衣装、ヘアメイク、色調、画角…多くの目に見える要素と、彼女の人間性、タイミング、空気、ととせ…多くの目に見えない要素を一致させるもの。
それは現象から情報を取得し、分析し、提案を行うカメラマンの意図とそれを感じ取り反応する素だと考えます。
だからこそ何となくという漠然性はなくなり、より具体的なアプローチが必要になるのです。
そこから垣間見えるものの撮影こそが、ライフスタジオで行われる撮影の空間、
美しさを表現し思い出を記録する楽しみの空間ではないでしょうか。
 
 
 

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

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