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越谷生中継 8日目
投稿日:2016/4/15
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~楽しい時と楽しくない時~
もくじ
①楽しいとき
②楽しくないとき
電車で寝てしまい肩を貸してくれていたお姉さん、ありがとう。
この感謝は忘れないよ。
この感謝は忘れないよ。
①楽しいとき
楽しい時というものは何をやっても面白い、大好きな趣味に没頭しているときはその一日が思っているような一日にならなくとも楽しいものだ。
釣りを趣味にしている人は、釣れても釣りで釣れなくても釣りなんだよ、という。
自分のやりがいを体感しているときには、何でも楽しいというものだろう。
では仕事ではどのようなときが楽しい時間なのだろうか、成人するかしないかの時は友人と仕事なんてしたくない、と夜な夜な語り合ったのを覚えている。
あの時は仕事に対して本当に受動的な姿勢だったが、あれから皆仕事を続けているのだから、少なからずどこかに楽しみは見出しているのだろう。
少し難しいので身近なことで一度考えてみる、子供はひとつづつできることが増えることにとても喜びを覚える、お手伝いなんかもその類に含まれるのではないだろうか。
はじめてのお使いを観ていて小さな子が四苦八苦しながらお使いをしている姿は感動的だ、帰宅のシーンでは成長に感激した親がほめるシーンが印象的だ、すると子供もお使いができたという結果を認識することとなる。
それが自身につながり、お使いに対してのやる気も出るものだ。
つまり自身の行為がひとつの結果となって現れることで、実感ややりがいを感じることができるからこそ、ひとつの嬉しさにつながるのだ。
では話を仕事に戻す、入社したころを思い出してみる。
初日は右も左もわからないが次第に電話対応などの基本的な業務内容を行えるようになり、少しづつ仕事の一員として自分を捕らえ始め、より責任の生じる仕事に挑戦をしだす。
それらが行われると同時に、職場での立ち居地段々と確立し始め仕事に対する実感がより強く感じるようになる。
その成長してゆく自分と組織の一員になってゆく感覚が楽しかったではないだろうか。
行為→結果→実感→やりがい→楽しさ
というプロセスを確認することができる、これはどのような環境でも年齢でも変わらず、これを感じられる場所は楽しい環境であるだろう。
特に個人で事業を行っている方は0から1を作ってゆく作業を延々と繰り返す。
自分の行為が全て結果として見えるので、さぞ楽しいことだろう。
①楽しくないとき
楽しくないときというものは、楽しさを感じている人と全く同じことをしていても楽しいと感じることはできない。
先ほど楽しいときの項目で 行為→結果→実感→やりがい→楽しさ説明したが、同じことを行っていても楽しくないということは、この矢印のどこかがうまくつながっていないから楽しくないと考えることができる。
行為~結果まではどの環境でも行っているのだが、次の実感という点が楽しくないときの共通点かもしれない。
例えば自分の行為がひとつの結果として現れるが、ただやっているだけという状態が続くことを想像すると辛らくはないだろうか。
ノミとコップという話がある。
身長の何十倍ものジャンプ力を発揮するノミを逆さにしたコップに入れる、ノミは何度も何度もジャンプをするがコップにあたり、抜け出すことはできない。
するとノミは次第にジャンプをするのをやめ、何もしなくなってしまったという話がある。
ジャンプという行為を行ったが、変わらない結果に達成感を得ることは無く、次第に行為自体をやめてしまった話だ。
もしもジャンプでコップを抜け出すことができていたのならば、そのノミはその後もジャンプをしていただろう。
このように実感を感じられない場合はもちろん楽しさも感じることはなく、次第に停滞していってしまう。
実感を感じる為には、自身がサイクルを持つことととそれに合わせ環境にも感じられるシステムが必要ではないだろうか。
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