Photogenic
青山店
ouri,
投稿日:2021/10/20
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Photo&Write by Reiri
Coordi by Tiara Suzuki
@AOYAMA
写真は感情的なものだから。
と、カメラを持つ人は言います。
その写真の被写体が人でも、風景でも、食べ物や動物でも、有機物でも無機物でも……、カメラを持ってシャッターを切る、それを人が行うなら、そこには起点となる何かの感情があって、その瞬間を記録しようとするのでしょう。
光や影、匂い、音、温かさや冷たさ、そういう五感を刺激するものに人の感情は反応したり、あるいは、誰かの感情や記憶に共感して自分の感情が動いたり、……そういう、何かに反応する感情が豊かであればあるほど起点は多く、その瞬間に指はシャッターを押します。
その『何か』を、『何か』に反応した感情を、残しておきたい。その欲求を、カメラに託して。
私たちが毎日撮る写真は、それこそ感情的なものです。
ライフスタジオに来てくださるご家族は、自然な笑顔、家族の姿、子どもの可愛いところとか、愛とか、幸せとか、そういうものを感じられる写真を撮りたいと思って来てくださってるんじゃないかなと思っています。
撮る人間としては、撮影技術はもちろんのことですが、そういう愛とか幸せとかに対しての関心を持っておくべきなのでしょう。それが、どんなところから感じられるものなのかを知らなければ、どう写真を撮ったら良いのか分からなくなってしまいます。
愛とか、幸せとか、美しさとかは主観的な概念で、必ずしも自分の価値観がたったひとつの正解とかでもありません。だから、映画を観たり本を読んだり、人と関わりを持ってたくさん話したりしながら、その広さや深さや多様性を知ろうとします。
とは言え、写真は視覚的なものしか残すことができません。匂いも、音も、温度も、その時の感情も、写真そのものには記録されることはありません。
しかし、視覚的なものは感情を刺激します。
私は、自分の感情を動かす目の前の人の存在に、その人を取り巻く光や影に、その人の声に、その生きている体温に、その人に注がれる家族の想いに、一緒に過ごして来た時間に、……そういう様々な要素に触れ、自分の感情が動くに任せ、それをどうにか表現しようと試みます。せめて、視覚的に。
その写真が、この時の感情を呼び起こしてくれる記録になることを、私は知っています。
この写真は、言うなれば私の感情任せの記録です。
初めて彼に出会ってから10年経って、3歳だった男の子は13歳になろうとしています。
ひとかけらの人見知りも場所見知りも緊張の片鱗も見せずに笑い転げていた男の子は、ここ数年は少しぎこちなさそうで、ああこれが思春期ってやつかぁ、と、カメラ越しにその変化を噛み締めていました。
毎年、秋になるとやって来てめちゃくちゃふざけて笑い転げて、ポーズを作るのにもひと苦労だけど全開の笑顔の写真をたくさん撮らせてくれた彼は、私の指示にただ静かに佇み、照れ隠しにちょっとにやけながら目線を泳がせるようになりました。
ポージングの指示をすればする程ぎこちなくなって、居心地が悪そうにしているけれど、それでもこの10年付き合いがあるカメラマンに対しての礼儀だけは失わずにいてくれる彼を見て、嬉しいような切ないような、でも決して悪い心地でもない、何とも言いようのない感情が湧き上がりました。
声変わりはまだだし、身長も抜かれてはいないけど、いつかその時は来るのでしょう。彼が被っているニット帽は元々私のだし、写ってないけど足元のブーツもこの日私が履いてきた私物(除菌済)を履きこなされています。いつか、私の私物さえも入らなくなって、写真撮影そのものに興味も無くして、スタジオ撮影に来てくれることもなくなってしまうのかも知れません。いつか、その時が来るのかも知れません。
ぎこちなく、居心地悪そうにしている彼に、外を見ててよと声をかけると、少しその表情から力が抜けます。夕刻、光は柔らかく空に拡散して、窓から滲むようにグラデーションを描き出しました。まだ少しだけ丸みを残す少年の横顔を階段の下から見上げながら、かつての無邪気な笑顔の面影を見詰めます。
来年の君は、声変わりをしているでしょうか。再来年には、私の背に並ぶくらいになるのでしょうか。ますます目線を合わせてくれなくなったりもするかもしれない。それでも私は、君の前に立って君の写真を撮りたいなと思う。できるだけ、長い間。
3歳の男の子が13歳になる、それをずっと見守らせてもらえていたからこそ、思春期を迎えた彼をこんな想いで撮影させてもらうことが、できている。私はもうそれで充分過ぎて、その感情は『幸せ』という感覚に、似ていました。
いつまでも、無邪気なままではいないでしょう。思春期もまた確かな成長の証で、私は彼のそういう変化を寂しく、嬉しく感じています。大人びていくその姿を見守らせてもらう大人の眼差しは、キラキラ眩しいハイキーな写真ではなくて、しっとりした寂寥感を帯びて滲むような光と影が混ざる写真になりました。
写真は、感情的なものです。
目の前の被写体から、空間から、撮影者が感じるものが、写真には反映されます。写真を撮るという行為は、そういう人間らしい部分に依るところが大きいのでしょう。
写真を撮っているから知ることのできた感情がたくさんあって、写真を撮っているからこそ人間臭くいられます。
私たちの撮影で大切なことはきっと、そういうことだと思うのです。
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