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【8月主題・ポージング】

投稿日:2016/9/2

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ポーズをとる。

もし仮に私達が道端でいきなりポーズを取れと言われたら果たしてできるであろうか?
ある意味撮影者から被写体に対してポーズをとらせるという事は、とてつもなくおかしな事なのかもしれない。
おかしいと言うのは、笑っちゃうという事ではなく、不安などを感じるマイナス的な表現としてここでは定義しよう。
仮にもしそれが相手の無意識のうちのコンプレックスに触れて仕舞えば、相手を辱める事もあるだろう。
そう考えてみればとてつもなくポージングという表現方法は難しいものであると言える。
それは万人が感じる絶対なる美しさとは存在しないように、完全なる表現としてのポージングは無いとも言える。
ではいかに私達がこの表現を取り扱っていかなければならないだろうか?
そこにはプロセスが必要であると考える。
心理学などでは人は人を外面的要素を用い3秒で印象付けてしまうと言われている。
たった3秒で個人のどこまでが理解できるだろうか?
もちろん外面的な美しさを判断し表現者はその人を美しく着飾らせたり表現させたり誘導させたりする事はできる。
しかし、それはその人でなくてもできる表現なのかもしれない。

花には花言葉がある。
チューベローズという花がある、とても可愛らしい熱帯地位に白い花だ。
しかしこの花の花言葉は恐ろしい言葉を持っている。
花言葉は言ってみれば花の生き方を花に関わった人の生き方を表現してるものである。
仮に何も知らずにこの花をプレゼントにでもしたら、人を傷つける事もあるだろう。
また生花においては、その花の季節感、咲く場所、花の意味などを理解した上で差さなければ花の生を台無しにしてしまう。

人も人生があり、その人生がその人の生き方である。その人の花言葉の様な内面を理解せずして表現させるポージングとはある意味、表現者の自己満足とも言えるし命に対する暴力なのかもしれない。強い表現であるが私の個人的な考えを極端化したものである。
したがって私たちは表現する際にはかならず、相手を知る必要があると考える。どの様な時に?それはリラックスしたいる時では無いであろうか。子供なら無邪気に遊んでいる時、家族であればお互いに抱きしめ恥ずかしくって笑いあう、そんな旬なんなのかもしれない。そんな時に湧き立つ愛おしい瞬間に共に存在する。だからこそ自由な遊びの空間が必要なのかもしれない。そこから現れるお互いの人生の一辺を語らい合う様なそんな瞬間にポージングが生まれるのかもしれない。

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

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