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【8月主題:ポージング】「poses」

投稿日:2016/9/2

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YOYOGI Photo
Photo:Soo
Coordi:Tomiki


私はこの少年をダンサーにしたいと思った。


この一カ月、店舗の課題に取り組みながら
「ポージングとはなんだろう???」ということを考えてきた。


ポージングと聞くと、私たちは形に囚われてしまう。

この撮影で例えてみるならば、

「はい、あなたはダンサーです。
 手を耳に、足を前にだして、はい、笑って。」

そう言いながら、
撮影者の中にある絶対的な形に向かって、
被写体を意のままに操ろうと試みるといったことである。

しかし、これを私は良く思わない。
これでは、相手を全く尊重していないし、
ただの指示であって、暴力的だとさえ感じる。



ポーズの中には、被写体の態度が含まれている必要があるのだ。

楽しいなら楽しいなりの。退屈なら退屈なりの。
被写体の内側から出てくるものに対応した形というものがある。


俳優の演技をうまいと感じるか不自然だと感じるかの違いは、俳優がどれだけ本当に役の気持ちになりきっているかではないだろうか。

まるで本当に恋人が出来たとか、大切なものを失くしたとかのように、どれくらい本気で感じ切っているかによって、私たちへの伝わり方が変わってくるものだと思う。


それと同じようなことで、被写体がどのように感じているかという態度が顕れ出ることによって、ポージングはいきいきとしてくるのである。


しかし、単なる被写体の態度だけでは、自然な写真は撮れても、ポージングと呼ぶことはできない。

だから、ポージングと呼ぶためには、撮影者の意図と被写体の態度が一致するようなものを目指さなければいけないのではと考えたのだ。




今回でいえば、この少年をダンサーにしたいと思った私の意図があり、
ダンサーではないこの少年から、まるでダンサーになったかのような態度が顕れ出ること。

そのためには、
被写体と撮影者の距離感や関係、その場にある空気感が重要になってくる。

私は私だけに主導権があるような撮影はしない。
被写体がリードする時もあれば、コーディがリードする時もある。
一つの撮影の中で誰が主導権を握るかがあっちこっちと変わっていく。

そういった関係こそが自由な環境を作っていき、
お互いが尊重されて、自然な態度が顕れ出てくる瞬間を作ると考えるからだ。

だから、私が踊って見せたら、コーディも踊ってみせ、少年も踊ってみる。
時には撮影しようという意図と共にカメラを置いて、みんなで踊ってみる。

そうこうしているうちに、みんなの気持ちが高まってきたところで、ピンときたポーズを提案すれば、あっというまにダンサーの出来上がりである。



私の中には確かに、ダンサーにしたいという意図があった。
しかし、絶対的な形があったわけではない。

撮影の中での私たちのやり取りや、
被写体から顕れ出た態度をヒントに、一緒に作り上げた形なのだ。


私は、それがポージングなのだと思う。

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