Photogenic
横浜青葉店
Babyhood,
投稿日:2018/12/20
2213 3

Photo&Write by Reiri Kuroki
Coordi by Satsuki Kudo
@Yokohama Aoba
「れいりさんが撮ったBabyの写真は、すぐわかります。愛情が違います」
そう言ってくれたのは、下関店のyohちゃんでした。
私にとってはこの上ない、何より嬉しい言葉でした。
『写真』とは不思議なもので、確かに目の前にある、その現実しか写すことはできないのに、その実存の一部の切り取り方で、まるで違う世界を写し出します。
言ってみれば、yohちゃんの言う『愛情』なんて、現実としての物質的な形もない。
パパさんママさんが子どもに向けるそれならまだしも、被写体に向けられる撮影者の『愛情』だなんて、いよいよ一般的ではないような気さえする。
それでも、それが識別票になるくらい、写真に滲み出ることがある。らしい。
個人的には、それはきっと、
ライフスタジオという空間で撮影される写真だから、であると、思いたい。
人が、人を、人として撮影していく、関わっていく空間で生まれる写真であるからだと。
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人①
撮影者:黒木玲理
自分が赤ちゃんだった頃の写真が、あまりありません。
と言うのも、私が生まれて間もなく母は第3子になる妹(年子です)を妊娠したのですが、その妊娠出産の過程には母子共に危険な局面が幾度もあったそうで。
生後半年足らずだった私は、母の実家に兄と共に預けられ、そこで2歳近くまで育てられました。
今とは違い、携帯もデジカメもない頃のことです。
機械音痴だった祖父と祖母にとって、写真を撮ることはあまり身近ではなかったようで、写真館で撮られたお宮参りの写真が、私の唯一のBaby時代の写真でした。
巨漢のBabyで、3つ年上の華奢な兄をよく殴っては泣かせていたとか、ハイハイをせずにあぐらをかいて進んでいたとか、そういう話はよく聞かされたものですが、それを視覚的に確認できる記録は、残っていません。
この世界に生きる誰もがそこから始まる、『赤ちゃん』という時代。
自分ではまだ何もできず、大人から世話をされ、一身に愛情を受けながら成長していく、小さな小さな頃の、僅かな期間。
そして、その一身に受けた愛情の記憶を、自分ですべて覚えておくことは、できません。
タイムマシンが発明されるまでは、そういう記憶の記録を残していくことが、『写真を撮る人』としてのひとつの使命だと思っています。大袈裟かも知れませんが、本当にそう思っています。
その理由は多分、自分にそういう記録が残っていなかったから、なのでしょう。
今や、ひとりひとつのカメラを持っているくらいに、写真は身近なものになりました。
だからこそ、『何を撮るのか』を大切にしていかなければならない。
全てを覚えておくことは、できません。だから、写真にしておきたい。
カメラの前の『あなた』がいつか、自分が一身に受けた愛情の深さを知りたくなった時に、それを目で見て確認できるように。
愛情は、目で見えないけれど、そこに確かに在る『実存』。
その一部を何とかして写真に収めようと日々足掻く、ファインダーを通した私の眼差しは、そこに在る『愛情』を代弁しようとするもの、です。
そういう人が、『人』を撮ろうとしています。
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人②
被写体:生後3ヶ月のbaby
彼とは『はじめまして』でした。
しかし、彼の兄とは既に3回撮影を共にしていて、その兄とあまりにそっくりなものだから、『はじめまして』な気が全然しない出会いでした。
笑いかけると笑ってくれる、そんなbaby。
ただただ愛おしいったらありゃしない。
しかしいざ撮影が始まると、その様子は少し変化を見せます。
まだ首も据わらないbabyである彼を、家族写真や兄弟写真でフレーミングの中に収めていくには、ただ寝っ転がっていてもらうだけ、というわけにもいきません。
抱っこをしてもらったり、支えてもらったりしながら進めていく撮影。その中で、『いつも』とは違う雰囲気を察していくbabyの本能的な感覚の鋭さは、大人の小賢しいごまかしなど通用しません。
彼の兄は、いつもずっとニコニコ笑っているbabyでした。
彼は、兄にそっくりではありますが、勿論『彼』個人としての異なる個性を持った、この世にたったひとりの『人』です。
お兄ちゃんより、ちょっぴり繊細で色々と敏感で、そして多分、周りの空気感もわかってしまうくらい賢いbaby。
そんな彼は、ソロの撮影が始まるといよいよ大きな声で泣き始めました。
普段はおうちでもあまり泣くことがない、と仰っていたママさんは、泣く彼を優しくあやし、声をかけます。
母に揺られ、落ち着きを取り戻し、しかしその体温が離れるとまた泣き、優しく揺られ……を繰り返す、彼の撮影時間。
冬の朝の日差しは窓辺に暖かく差し込み、彼の涙で潤んだ大きな瞳に綺麗な光を落としていました。
普段はあまり泣かないという彼が、こんなにも泣き、母の体温を欲している。
それは、彼がこれまでの人生で、まだ触れたことのない刺激に触れている瞬間なのだと、思いました。
いつもとは違うその刺激に驚き、戸惑いながら、まだ言葉を持たない彼の精一杯の表現である『泣く』という行為を通して、その刺激に反応している。
それは、成長をしている、ということ。
今、この時、初めての刺激に触れながら、それに反応している。それが普段はあまり泣かない彼の『泣く』という行為に繋がりながら、彼は経験をしていく。
成長をしている、まさにその、瞬間。
『人』らしく在る、その瞬間。
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結果:人として、表現するということ
撮影者である『わたし』が、『わたし』という人として。
被写体である『baby』が、『彼』という人として。
そこに、在るがままいる。そのままの存在を受け入れ、美しく表現する。
それが『ライフスタジオ』という撮影空間で行われていくことです。
在るがままの彼を、ママさんも、コーディネーターの工藤さんも、そして私も、受け入れていました。
その瞬間を真っ直ぐに見詰め、ただ受け入れるということこそ、『愛情』のひとつの形であるのかも、知れません。
暖かな光の差す窓の近くで、ゆらりゆらりと優しく揺れるママさんの肩越しに、彼は光を見て、カメラを見ます。
少し警戒感を含んだような口許も、真っ直ぐに向けられる眼差しも、初めての『刺激』に向けられたもの。
それを真正面から受け止めて、息を殺して、シャッターを切ります。
何よりも『人』らしい、成長をしている瞬間の、写真。
それが本当に人間らしくて、記録しておきたくて、そのまま真っ直ぐに、写真にします。
潤んだ瞳も、少し乱れた髪も、冬の光も、とてもとても綺麗で、愛おしい光景でした。
記憶の記録に使命感を感じる『人』が、成長している瞬間を見せてくれる『人』を、在るがまま、その『人』として表現する。
だから、写真に滲み出る『想い』があります。
やっぱりyohちゃんの言う通り。
それが『愛情』だと感じてもらえるのなら、私は撮りたい写真を撮ることができているのだと思います。
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